歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た。 今村直美の歌謡曲でないと!

専属作曲家・古関裕而のご紹介

歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た

西寺郷太(にしでらごうた) 1973年、東京生まれ京都育ち。 早稲田大学在学時に結成し、昨年メジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。 作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、そのほかアイドルの作品にも数多く携わっている。 音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。 を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。 いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切か 西寺:少し前に、秋元康さんがプロデュースしてる「」っていうオーディション番組の審査員を、1年ぐらい前に番組が始まった時にも2回ぐらい出たんですけど、久々に頼まれたんですよ。 まあ、オーディションの内容はともかくとして、なんで僕がその仕事を受けてるかっていうと「好奇心」なんですよ。 それこそ80年代から現在までもちろん主流派ではない時代もありましたけど、「歌謡曲」というか「芸能界」の中心にいる秋元康という人はどんなこと考えてるんだろう? と。 いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切なのかっていうのが、改めてわかる経験でしたね。 作曲が大事なのか、作詞が大事なのか、プロデューサーが大事なのか、もちろん全部大事なんだけど(笑)。 ただ歌謡曲とはなにかっていうのは、日本で愛される音楽がいわゆるアメリカやイギリス発信の「洋楽」と違っているところはなにかみたいな話で。 それは今、僕が考えてることのひとつでもあって。 で、自分もずっと色々考えてきた結論から言うと、歌謡曲っていうのはつまり「歌える歌」っていうことだから、最も大事なのは作詞だろうなと。 米田:洋楽っぽい音でやっても、日本語で歌えば全部、歌謡曲、J-POPになってしまうというか。 西寺:そう、僕は子どもの頃から洋楽が好きで。 正直、歌詞の意味がわかるものもあれば、そうでないものでも楽曲のパワーやヴォーカルの呼吸も含めて「音楽」として感動してきました。 メジャー・デビューした時にそう思ってたんですね。 正直、あんまり歌詞歌詞って聴いてなかったですし、今もある意味そうなんですけど、うるさいくらいに「作詞のほうが大事だから」ってディレクターやらプロデューサーに言われたんですよね。 若い頃、当時はね、それにすごくムカついてたんですよ。 だって、僕らはビートルズでも感動するし、マイケルにも感動するし、言ってることも「うっすら」わかるし、歌詞カード見ればよりわかるし、作詞が大事だっていうことは、音楽そのものの効能を否定するのかよ!って思ったりもしてたんですよね。 言葉のある音楽が生まれるよりもっと前から人類って何かを叩いたリズムで踊ったり、音そのものを楽しんだり怖がったりした長い歴史があるはずですからね。 決まった歌詞を歌うなんて、人類の歴史のごく最近のことの気もしましたし。 ただ20数年やってきて、特に歌謡曲の機能として日本人が感動できるものっていうことを考えた時に、言葉の力の圧倒的さに改めて気づきますね。 たとえば、槇原敬之さんの書かれたSMAPの『世界にひとつだけの花』がもし別の歌詞だったとすれば、あのメロディーに別の歌詞が乗ってたらあんなに売れることもなかったと思うんですよね。 まさに今年最大のヒットと言えるDA PUMPの『U. 』も、カバー曲ですけど歌詞の面白さとインパクトでしょうし。 米田:「歌える」ということで言えば、海外でもケンドリック・ラマーがピューリッツァー賞を獲ったりだとか、最先端って言われてるラッパーも、いちばん重要視してるのは客といかに合唱できるかっていう。 ケンドリック・ラマーと同じく今年フジロックに出演したN. Dなんかもそうでしたけど、やっぱりそういう「歌詞回帰」みたいなのは世界的にある気がしますね。 西寺:僕、2年前にポカリスエットのCMソングで『』っていう曲の歌詞を書いたんですよ。 そしたらもう、高校生や中学生が公園で踊っていたり、「子どもも歌ってます」みたいなうれしい感想をもらって。 あくまでもCMソングだったんで、CDや完成品としてパッケージされてないんで、ちょっともったいない曲でしたけど。 ただ、僕らはアンビヴァレントな世代なんですよね。 僕らより上の人って、明らかに「洋楽のほうが偉い」っていう世代でしたけど、僕らのあとぐらいの世代の認識では日本の音楽が越えていって、洋楽が売れないっていう話ばかりになって。 でも、ここ数年、ケンドリック・ラマーを筆頭にラップの世界は若い人にもストレートに浸透してるかもしれないですね。 ともかくケンドリックはインタビューとかで普通にしゃべってるだけでも、声とグルーヴがとんでもないって、それこそ人種や言語を飛び越えて伝わる人ですからね。 クインシー・ジョーンズのドキュメンタリーがNetflixでやってましたけど、ケンドリックの登場シーンだけは普通の会話が、え? これ完成してる新曲か? ってくらいクールで驚きましたよ。 西寺:松尾潔さんは、とかああいうアーティストは、向こうの人にしたらみんな歌謡曲なんだって言ってますよね。 僕らが「別れても好きな人」とか「時の流れに身をまかせ」とか聴いて感じる感情のような世界こそがベイビーフェイスが愛されてることを理解する真髄なのかもって。 僕らはどうしてもアメリカやイギリスから届いた「しゃれた音楽」として、英語だったり黒人が歌ってるソウルを受け取ってる。 インテリの音楽のようにも思ってるけど、向こうの年配の人がベイビーフェイスの歌詞を覚えて歌ってる時の気持ちっていうのは、まさに安全地帯と井上陽水さんの「夏の終わりのハーモニー」じゃないけど、日本でいうスナックとかで「染みるなあ」って思って歌ってるのとイコールなんだろうなって。 「和製プリンス」と言えば……? 米田:前に尾崎豊の話をしましたけど、僕ね、吉川晃司さんと岡村靖幸さんも大好きで。 尾崎さんと吉川さんと岡村さんって、仲良し3人組だったっていうじゃないですか。 とくに岡村さんは高校の頃によく聴いてて。 岡村さんって、サウンドとダンスってところによく注目されますけど、歌詞もすごく独特で良いんですよね。 西寺:あ、多分、岡村さんの歌詞は皆凄いと伝わってると思いますけどね。 彼は現在までどんどん若い人たちとコラボレーションしてアップデートしてて凄いですよね。 岡村さんは、「和製プリンス」って昔よく言われてたけど、個人的には和製ジョン・レノンでもあり、和製ボブ・ディランの方が近いんじゃないかって僕は思ってますね。 その前に、超多作のプリンスに比べて、岡村さんは寡作ですしね。 とはいえリリースした作品がとんでもなく凄いんですけど。 米田:たしかに、プリンスは亡くなるまでずっとコンスタントに作ってたし、未発表のままの曲も膨大にあるんですよね。 西寺:そうなんですよ。 大量に作って出すっていうことをいったら、曽我部恵一さんのほうがプリンスに近いと思います。 もう、わけわかんないもの、駄作かも知れないけどとりあえず出すみたいな。 本人も、自分でもよく意味わかんないって言ってましたから(笑)。 そのために自分のレーベルがあってね。 曽我部さんって凄いなぁ、と。 ジョン・レノンがもし生きていたら、ほんとボブ・ディラン以上の多作家になって、ネットとかも上手に使いこなしていた気がしますね。 米田:プレイヤーとしては、どっちかっていうと「味」ですよね。 西寺:ボブ・ディランも岡村さんもそうですよね。 そういえば、岡村さんの『ビバナミダ』っていうシングル曲は僕が歌詞を書いてて。 正確に言うとある当時の国民的アイドル・グループに提供する話で、僕が作詞、岡村さんが作曲と編曲って感じの座組で。 ただ歌うには難しい曲と判断されたのか、あんないい曲が返ってきちゃったんですよね。 今でももったいないと思ってますけど。 米田:岡村さんの曲って、独特のクセの強さがありますもんね。 西寺:僕、作詞する時には自分で仮歌入れるんですけど、そのアイドル・グループに渡す段階で岡村さんが歌い直してくれたんですよ。 それがまた不思議な感じで、どっちも知ってる人からしたら、同じ曲を僕が歌ってるとノーナに聴こえて、岡村さんが歌うとバリバリ岡村靖幸になるっていう。 当たり前なんですけど(笑)。 で、それがあまりにも良かったから、これ、岡村さんの曲にしたらいいのにって思ったのも事実だったんです。 結局、岡村さんが残りの歌詞を書き加えられて歌ってリリースしたら、人気曲になって。 タイトルは、コールドプレイでもヒット曲ありましたけど、常套句の『Viva la Vida』からとった言葉で、「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ」から、「ヴィヴァ、涙」。 僕の最初のタイトル表記は『VIVA NA MIDA』だったのを、岡村さんがカタカナ「ビバナミダ」に替えたんですよ。 そっちの方が断然いいですよね。 表記へのこだわりもさすがだなって。 80年代とそれ以降で違う、スター音楽家のメンタリティー 米田:そう言えばこの前、80年代までのスター音楽家と90年代以降のスター音楽家は違うって、仰ってませんでした? 西寺:これは個人的な意見なんですけど、80年代までスター音楽家って、本当にお金も持って、若くして成功して、富みや名声もあるぶん、自分でコントロールできる範囲を超えたものが覆い被さってきて悩むこともあったと思うんです。 90年代中盤以降って、そこまで裕福にならないぶん、自分で自分の音楽ライフを適度にコントロールしやすいというか。 80年代のアーティストって、産業規模が大きい分、本人やバンドが持つ荒削りで未熟な部分を、レコード会社含む先輩や天才ミュージシャンがサポートしてくれて大きいビジネスになったような気がするんですね。 だから、10代とか20代前半で「天才」って崇められて。 でも、アーティスト個人にとっては自分が思い描いたシンプルな世界を、ピュアにそのまま表現したい欲望は消せないはずで。 スタジオで手練れの裏方の人にちょいちょい手を加えられていくことが許せなくなってくる。 で、そういう自分を脅かす裏方の人材を切り離し、ひとりずつ排除していくと、結果クォリティーの高いものができなくなってくると。 米田:本人の才能あってのことだけど、それを一緒に具現化してくれる人たちがいたからこそ、ってことですよね。 西寺:そう、「ここはどうすんの? 」ってなった時に、やっぱり80年代から90年代の途中までは音楽が良くも悪くも「産業」だったんで、それをなんとかできちゃう技術者っていうのが大勢いたんだと思うんですよね。 つまりそれは、富が集まるところにはそれなりの技術を持つ人が、名前が表に出てなくても、「仕事」になるからその役割を果たしてくれていたのかなって。 米田:ところで、郷太さんは、スランプってあったんですか? 西寺:歌詞も作曲も自分で歌うものは、ある意味苦労しますね、21年やってますしね(笑)。 でも、NONA REEVESに関しては正直最新作が一番凄いことになってますよ。 ただ僕は、遅咲きだと、10代の頃から思っていたんです。 妙に楽観的なんで「西寺郷太」の能力、総合力を考えると、若い頃よりもこれからの40代後半、50代で、もっと素晴らしい音楽を作れたり、歌えたりするんじゃないかっていうふうには思ってます(笑)。 米田:それってすごく良い志ですよね。 西寺:なんか、僕がやってることって分かりやすそうで分かりづらいというか。 やってること自体はポップな音楽だと思いますけど、ちょっとした骨董品じゃないですけど、形は普通の器だけれど気がつく人は「あれ?これ?」みたいな部分があると思ってて。 周囲の感覚も熟成した瞬間に、ようやく「こいつすげえかも」って思ってもらえるものなのかなって。 まあ、常に全力で走ってきたつもりですけど、冷静に今、自分の持ってるマシンガンの弾を数えたとしたら、「あれ? まだ結構残ってる」って気がするんですよね(笑)。 次の回は 過去の連載は.

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昭和初期の歌と空気感をそのままに——下町を中心に老若男女を賑わすバンド東京大衆歌謡楽団

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に、アルバム『』を発表した 、に開局したばかりのの、が「J-POP」の発祥となった。 J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な町に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった。 しかし1988年の年の暮れ 、同社の斎藤日出夫常務(より社長)がの邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。 レコード会社側も「しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたを出す」などと言った目論見もあったという。 そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。 のによれば、当時、1986年にが『』を発表、1987年にが分割されに、1985年にがやはり民営化され、すなわちJTになった時代であり、日本を表す「J」と言う文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている。 いずれにせよこれが「J-POP」と言う語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった。 関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである。 このジャンルは、側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしいを売り手側が分類しているという点において、・・・・などといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる。 斉藤によれば当初の部類は多分に感覚的であり、はだめ、やはOK、やは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。 しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたと言う。 そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される。 一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのはから頃とされる 例外的に店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている。 なお、1993年という年は(Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPと言う語の普及にとって無視できない要素である。 「Jリーグ」は同年の「」に選ばれている。 1995年春には「J-ROCKマガジン」が創刊され、雑誌と連動したテレビ番組「」が人気となり、マスメディアでとを区別する形でも使われるようになった。 呼称の定着までに時間がかかった一因としては、「J-POP」という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる。 一例として系キー局である TOKYO FM や、その傘下の出版社では90年代中頃までは極力使わず、本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である「J-POPS」という名称を多用した。 音楽番組「」や「」のジャパニーズ・ポップス・リフレインなどがそうである。 なお烏賀陽によれば、J-POPは従来あった・・ロック・などの・サブジャンルを全て殺し、それに成り代わってしまったという。 すなわちJ-POPの普及後はそれぞれが、烏賀陽の言葉を借りれば、従来のジャンルはJ-POPと言うに入居し、歌謡曲系J-POP、フォーク系J-POP、ロック系J-POP、などといった構造に再構築され収まっているという。 1990年代 [ ] 1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である。 機材のが進み、PCM音源やサンプラーが安価になったことで制作者に普及した。 従って、機材の進化による音質向上は当然のことながら、邦楽全体としても、洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり、表現はよりポピュラーになり、コード進行,リズム,テンポ自体も高度に洗練された音楽が次々に登場した。 に登場した CD およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、売り上げは右肩上がりを続けてに初の4000億円台を記録すると、の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた。 生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する など成長を続ける中で、個人としてもにがとして記録した1172万9000枚の作家別の年間売り上げ記録を、に「」()の作曲などで知られるがとして1240万5000枚を記録し16年ぶりに更新した(以後の記録)。 3月、のアルバム『』を発売、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷し、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く、この記録は現在まで破られていない。 、ミリオンヒット作を次々と世に送り出し、1997年には10代シンガーとしては日本の音楽史上初となるシングル・アルバム総売上げ2000万枚突破を記録。 Jリーグの開幕もあり、おおよそ1995年までにはJ-POPと言う言葉は定着したとみられる。 なお雑誌『』は1994年7月号において「パクりが多い」、「ヒット曲のほとんどが盗作」、と言う見出しを用い、「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している。 CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。 これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった。 またや、楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった。 そしてコストダウンと作業の迅速化により、大量の楽曲の生産が可能となる。 この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで 、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている。 また、シンセサイザー等の技術にいち早く注目し実際に成功を収めたミュージシャンやコンポーザとしてはやなどが挙げられる。 しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた。 こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある。 (当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている。 またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。 従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも十数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである。 実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。 さらにCDプレイヤーとは別に、「」が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている。 CDは1990年から2004年までに3028万台が出荷。 ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている。 1985年春、オーディオメーカー「パイオニア」のは朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。 音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる。 オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった。 その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく。 そして1992年ごろから「」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。 1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムの合算数。 以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した。 なおミリオンセラーが続出するようになった1992年ごろは大手コンビニ各社が店頭で音楽CDを売り始めた時期であり、音楽評論家のは、この頃からレコード店に縁のなかった層がCDを買い始めたことで音楽の変質が始まったと推測している。 また、トップ10のアーティストだけで年間売り上げシェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。 90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとして KDDというものがある。 K ・ D ・大幸システム D の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。 特にの考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社所属のアーティストが売り上げ1位・2位・4位・5位を占めた ()。 なお1998年に日本のレコード CD 生産金額は過去最高を記録する。 1988年に3429億4700万円だった生産金額は、98年には6074億9400万円と、ほぼ倍増している。 CDを中心とした音楽産業はに栄華を極めた。 同時に、PC上のDAWによる打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。 PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行してしまったことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。 更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。 インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合が加速し、音楽表現そのものが飛躍的な高度化を見せた。 2000年代も末になると、ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった。 2001年3月、宇多田ヒカルのアルバム『』を発売。 リリース予定公表後にのベストアルバム『』に発売日をぶつけられ、テレビのやなどから「歌姫対決」と煽られる。 最終的に双方とも売り上げ400万枚を超えるヒットとなった。 2000年代に入るとシングル盤の売上が減少しだし、2003年の「」()を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤がまで現れなくなった。 また、2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラーとなったシングル盤がなかった )。 その一方で、()の売上が増加するという事象が発生する。 日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始したからまで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け 、にはシングルCDの生産実績を上回った。 ただし、の売上は前年とほぼ横ばいで 、には前年を割っている。 2000年代における音楽ソフト(パッケージ)売上の減少は、「CD」や「レコード」という「音源記録媒体」を購入する時代から「音源そのもの」だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化の生んだ現象である。 実際、日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた が、2008年には前年をやや下回った。 またが個人で利用しやすくなったことにより、 P2P等 や上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信もその被害を受けていると考えられる。 2010年代 [ ] 2010年になるとシングル盤ばかりかアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなって、「」となっている(2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ )。 さらに、2010年のオリコン年間シングルランキングはとの2組のみでTOP10を独占するなど特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した。 一方で、日本レコード協会が発表した2010年のの年間チャート では、AKB48の楽曲は「」の12位が最高であり、着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である。 着うたフルを配信しなかった作品(、嵐、、、等)が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲も占めたり、()・・など、のみの配信で着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなった。 なお、着うたフルのチャートに関して、音楽産業の現況にあわないとの理由で2012年7月24日をもって集計を休止している。 また理由の一つとして、1タイトルにつき3種類以上のタイプ別版を発売するアイドル曲が上位にきたり、一般にやと呼ばれる、メンバーとの握手やハイタッチ、ファンミと呼ばれるファンミーティング応募券などの特典を付けることにより、熱心なファンがタイプ別版を揃えるだけではなく同じ商品をさらに複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられている。 違法ダウンロード広報委員会」を設立している。 2020年代 [ ] この節のが望まれています。 ( 2020年2月) 同義語 [ ] ジェイロック という表記が登場するきっかけとなっている。 「日本の」という意味でJ-RAP、J-SOUL等何にでも「J-」を付ける使い方も一時期流行した。 これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、「J-POP」がこれらのジャンルの楽曲もする言葉であるともいえる。 なお海外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music(J-music)が一般的である。 として Z-POP(ズィー・ポップ)が有る。 系列の局(愛知)と系列の FMK が用いる言葉で、日本を表す"Zipangu"(ジパング)の頭文字である事、局限定である事(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違い等が有るものの、J-POPとほぼ同意義である。 脚注 [ ] []• , p. 5-6. , p. , p. , p. , p. 「J-WAVE開局20周年…若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから」(2008年9月30日)• , p. 15-16. , p. , p. , p. 20-21. 、日本レコード協会• 『オリコン年鑑 1994年版』、1994年、13頁。 2017年9月24日. 2017年11月25日閲覧。 , p. 21-22. , p. 46-51. , p. , p. 57-59. 、日本レコード協会• , p. , p. 『Jポップとは何か』- P. 60より• , p. , p. 37-38. , p. , p. , p. 39-40. , p. 41-43. , p. 44-45. , p. 、日本レコード協会• 「音楽の売れ筋 みんなが聞くから(メガヒットの憂い:上)」『』2000年4月3日付大阪夕刊、7頁。 『日本流行歌史』(社会思想社)p. 91より• それぞれ, , ,• 、Musicman-NET、2012年6月8日。 、、2012年6月9日 6:00• 、デイリースポーツ、2010年11月11日。 、オリコン、2011年1月25日4時0分• 、ITmedia、2007年2月23日。 、Impress Watch、2010年2月22日。 、Impress Watch、2011年2月28日。 、Impress Watch、2008年2月21日。 、CDV-NET。 、日本レコード協会。 2010年、日本レコード協会にミリオンセラーに認定されたアルバム盤は3作あるが、1作は2005年発売の作品である。 、日本レコード協会、2010年12月20日。 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2014年11月)• 『Jポップの心象風景』(文春新書、2005年3月)、• 烏賀陽, 弘道 2005 , Jポップとは何か, 岩波新書• 『読むJ-POP 1945-2004』(、2004年11月)• 中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書、1999年9月)• 横沢千秋・他『日本流行歌史(1960-1994)』(社会思想社、1995年5月) 関連項目 [ ]• 、 - J-POPの曲における構成要素• (のポップス)• (語圏のポップス)• (のポップス)• (のポップス)• (のポップス) 外部リンク [ ]•

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昭和歌謡の年齢は?本名は?身長は? 家族関係についても徹底調査!|bxjp|note

歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た

2017年5月31日リリース決定!! 初のオールタイムベスト 『 ALL TIME BEST』 多くのミュージシャンがその非凡な才能を手放しで絶賛し、リスナーは日本でいちばん歌がうまいと讃辞を呈する不世出のアーティスト、玉置浩二。 そんな「天才」玉置浩二がキャリア初のオールタイム・ベストアルバム『 ALL TIME BEST』を5月31日にリリースすることが決定した。 これは1987年のソロデビューから30年というアニバーサリーイヤーを記念してリリースされる作品。 日本を代表するアーティストとして数々の名曲を生み出し、世代を越えて愛されている玉置浩二のシングルの表題曲の全てを収録。 1987年から2013年まで、在籍したレーベルの垣根を越え、ソロデビュー曲の「All I Do」から、大ヒット曲「田園」、名曲「メロディー」「MR. LONELY」、そして自身も出演したドラマ『東京バンドワゴン 下町大家族物語』のエンディングテーマ「サーチライト」までの全25曲が、最新リマスター、高品質CD=Blu-spec CD2規格の2枚組で届けられる。 また、同日5月31日には、2月25日にデビュー35周年を迎えた安全地帯の『 ALL TIME BEST』がユニバーサルミュージックよりリリースされる。 こちらもシングル表題曲が30曲収録され代表曲が詰まったアニバーサリーイヤーを飾る作品となっている。 Release Information 2017. All I Do 1987年07月25日発売• 作詞は安全地帯も手掛けていた松井五郎。 3枚組の大作『安全地帯V』を発表した後の、このブラックソウル調の作品は、安全地帯とは全く異なる色合い。 これ以降、玉置浩二として発表する音楽についての意志表示だった。 メロディはシンプルだが、厚い女性コーラスと鐘の音が壮大なイメージを作りあげている。 キ・ツ・イ 1989年01月25日発売 TBS系ドラマ『キツイ奴ら』主題歌• 本人出演のドラマ『キツイ奴ら』(TBS系)の主題歌で、作曲のクレジットは。 番組内で小林薫と共に流しの役を演じ、毎週ロック、歌謡曲、演歌他の名曲を披露し、その圧巻のボーカルを楽しみにしている視聴者が多かった。 この曲もそのパワフルなボーカルが全開で、前作に続き女性コーラスがポイントに。ちなみに音楽番組でこの曲を披露する時、コーラスを務めていたのは、当時ユーミンや久保田利伸のツアーにも帯同していた人気3人組コーラスグループ・AMAZONSだった。 氷点 1989年03月25日発売 ANB系ドラマ『氷点』主題歌• 三浦綾子『氷点』を原作にした、同名のテレビ朝日開局30周年記念ドラマの主題歌で、前作からわずか2か月後に発売された。 そしてまるで童謡のようなシンプルなメロディ、旋律が、美しくも哀しい。 それがドラマから感じる哀しさをより増幅させる。 ソングライターとしての才能を、改めてみせつけてくれた。 ちなみに作詞はいつもの松井五郎ではなく、後に稲垣潤一や田原俊彦、楠瀬誠志郎などの曲を手がける並河祥太。 当時『週刊コミックモーニング』 講談社 に連載されていた人気マンガ『右曲がりのダンディー』が実写映画化され、玉置が主演を務め、その主題歌になった。 さらにJT「MIASS」CFソングにも起用され、10万枚を超えるヒットになり、自身のシングル売上げランキングでも上位に入る人気曲。 《悲しいDANCEはやめて》というサビが、わかりやすく印象的。 なお、この作品と「キ・ツ・イ」「氷点」「行かないで」の4作は、オリジナルアルバム未収録。 行かないで 1989年11月20日発売 CX系ドラマ『さよなら李香蘭』主題歌• フジテレビ開局30周年記念ドラマ『さよなら李香蘭』の主題歌として玉置が書きおろし、元々中国で安全地帯の人気が高かったため、この曲も中国語、広東語に翻訳され、現地の多くのアーティストがカバーしている。 玉置の美しく強いファルセットが堪能できる。 コール 1993年01月30日発売 東宝映画『ナースコール』主題歌• 約4年ぶりの作品は、薬師丸ひろ子主演の映画『ナースコール』主題歌。 編曲は前作に続いて星勝と、玉置の共作。 シンプルな言葉とメロディを感動的なオーケストレーションが盛り上げる。 この後2月に発売されたシングル「ひとりぼっちのエール」を最後に、安全地帯が活動休止に入る。 玉置はソロと俳優業をメインに活動を中心に置き、8月、レコード会社をキティレコードからソニーミュージックに移籍。プロデューサーに須藤晃氏を迎え、須藤氏はこの曲の作詞を手がけている。 元気な町 1993年08月21日発売 三菱地所CMイメージソング• レコード会社移籍第一弾シングル。 シンプルなサウンドに、自身の幼少期、故郷の風景を描いた歌詞を乗せている。 本人が直接見た、心に焼き付いている景色、想いを歌い、これまでの作品とは異なる雰囲気の、温かく強い歌。 この作品以降、人間味あふれる詞と曲が増えていった。 カップリング曲「カリント工場の煙突の上に」はこの年の9月に発売された3rdアルバムのタイトル曲。 このアルバムでは玉置がほぼ一人で作詞・曲、演奏まで手掛けている。 ここからシンガー・ソングライター玉置浩二の道がスタートしたといってもいい。 LOVE SONG 1994年11月11日発売 NTV系ドラマ『おれはO型牡羊座』主題歌• この年の12月に発売された4thアルバム『LOVE SONG BLUE』のリードシングルで、ドラマ『おれはO型牡羊座』 主演:武田鉄矢 の主題歌に起用された。 物哀しいサックスが差し色になって、シンプルだが強い意志を持った愛の言葉を、より感動的に伝えてくれる。 ちなみにカップリング曲の「星になりたい」も同ドラマの挿入歌に起用されていて、アルバム『LOVE SONG BLUE』の最後を飾るナンバーでもある。 STAR 1995年06月21日発売 '95東京電力CM「バヂャー家シリーズ」イメージソング• アコースティックギターが前面に出た、優しいメロディと歌。 パワフルで情熱的な歌の時とは打って変わって、抑え目で時には囁くように歌い、繊細さを感じさせてくれる。 これも玉置節。 実は玉置の作品には他にも星や月、宙をテーマにしたものが多い。 メロディー 1996年05月22日発売 TBS系『筑紫哲也ニュース23』エンディングテーマ• 玉置の作品の中でも、「田園」と並んで名曲の誉れが高い通算10枚目のシングル。 多くのアーティストがカバーし、歌い継がれている。 玉置のアカペラで始まり、鳥山雄司のアコースティックギターが乗って、静かに始まるシンプルな構成だが、玉置の歌から優しさと共に情熱が迸り、胸を打つ。 『筑紫哲也 NEWS23』 TBS系 のエンディングテーマ、また、自身が出演した東芝日曜劇場『メロディ』 TBS系 の挿入歌にもなっている。 この年はNHK大河ドラマ『秀吉』に足利義昭役で出演、年末の『NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、歌に俳優業に忙しい年となった。 田園 1996年07月21日発売 CX系ドラマ『コーチ』主題歌• 初のミリオンセラーで、自己最大のヒット。 自身が出演したドラマ『コーチ』 主演:浅野温子 の主題歌で、ドラマの視聴率も好調で、最終回は21%を超えた。 日本の民謡の、素朴な土着的リズムが醸し出す大衆性、それが《生きていくんだ、それでいいんだ》という、シンプルで根源的なメッセージをより際立たせ、一度聴くと忘れられないフレーズになっている。 LONELY 1997年08月06日発売 CX系ドラマ『こんな恋のはなし』主題歌• 前作の「田園」から1年ぶりの作品。 同年9月に発売された6thアルバム『JUNK LAND』からの先行シングルで、自身が出演したドラマ『こんな恋のはなし』 主演:真田広之 の主題歌に起用された。 イントロのファルセットからひきつけられ、歌いだしの《こんな僕でもやれることがある》という言葉で、いきなり引っ張られる。 ひたむきで優しい歌詞は、聴き手の肩を抱き、背中を押してくれ、ファンの間では支持が高い曲。 ルーキー 1998年05月21日発売 大鵬薬品「チオビタドリンク2000」CMソング• ファンハウス(当時)レコード会社移籍第一弾。 大のジャイアンツファンの玉置が、当時ルーキーだった高橋由伸選手をイメージして書いたものだが、《なんだって精一杯やってる君を 見てると何でだろう涙…こぼれる》という歌詞は、頑張っている全ての人を勇気づけてくれる。 「チオビタドリンク2000」のCMソングで、商品の特性とリンクしている。 野性味があり、疾走感あふれるアコースティックギターが奏でるメロディと、ソウルフルでメリハリあるボーカルが、躍動感を生んでいる。 HAPPY BIRTHDAY~愛が生まれた~ 1998年10月03日発売 メナード「ジュピエル モイストベールN」CMソング• イントロのオルゴールが奏でるメロディに乗せ、聴こえてくる印象的なコーラスが、幸福感を演出してくれる。 優しく、力強い詞を時には囁くように、時には情熱的にひと言ひと言かみしめるように歌う玉置の歌が素晴らしい。 歌頭と最後は、囁くように願い、祈っているようで、幸せな穏やかさを感じさせてくれる。 カップリングの「愛だったんだよ」はNHK『みんなのうた』に起用され、こちらもファンの間では名曲として根強い人気を誇る一曲。 「愛」という言葉は最後の一行まで出てこないが、それが全体をより切ないものにしている。 虹色だった 1999年11月03日発売 ANB系ドラマ『はみだし刑事情熱系』主題歌• 作詞は須藤晃氏で、全体的にシンプルなトーンの中で、玉置の抑揚のあるボーカルが《みんなで仲良く暮らせるように》《世界中に愛があふれてるんだ》と大きな愛を歌う。 大人向けのヒューマンアクションドラマだけに、じっくりと聴かせる作品が多い。 この年の6月にはドラマ『古畑任三郎』 フジテレビ系 にゲスト出演している。 aibo 2000年03月23日発売• 同年4月に発売された、約2年ぶりのオリジナルアルバム『ニセモノ』のリードシングルでもあるこの曲は、以前から玉置のファンだった香港の人気俳優・歌手のアンディ・ラウに、1999年に「痛…」というタイトルで提供した楽曲のセルフカバー。 「aibo」=相棒。 イントロの郷愁感漂うギターの音色に導かれ、玉置がひと言放った瞬間に、どこか懐かしさと切なさあふれる世界に引き込まれる。 このリズムで 2001年03月28日発売• 9枚目のオリジナルアルバム『スペード』と同発の、約1年ぶりのシングル。 軽井沢にある自宅兼プライベートスタジオで制作されたアルバムは、色々なものを削ぎ落したシンプルなロック、ブルースで構成され、人肌の温かさとでもいうべき心地よさと、カッコよさとを湛えている。 しあわせのランプ 2004年06月09日発売 ANB系『いまどき! ごはん』エンディングテーマ• コブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーしている。 《しあわせになるために生まれてきたんだから 好きな人と一緒にいなさい》という歌いだしから心をつかまれる。 語りかけるように、メロディに寄り添うように歌ってくれ、シンプルなサウンドを彩るストリングスと相まって、ゆるやかで温かな風を吹かせてくれる。 2002年にレコード会社をソニーミュージックに移籍し、約10年ぶりに安全地帯の活動を再開させたが、2003年再び活動休止に。 愛されたいだけさ 2005年01月13日発売• 約5か月ぶりのシングルは、安全地帯での名コンビで、ソロとしては初となる松井五郎が作詞を手がける。 前作とは一転、重厚なサウンドに乗せた、甘く危険な香りがする大人のロック。 カップリングの「名前のない空を見上げて」 NHK連続テレビ小説『天花』主題歌 はMISIAに提供した楽曲のセルフカバー。 いつもどこかで 2005年10月05日発売 CX系ドラマ『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』主題歌• 9か月ぶり通算20枚目のシングル。 言葉とメロディが優しく癒してくれるバラード。 作詞は本人、松井五郎、安藤さと子の共作。 ドラマ『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 主演:稲垣吾郎 の主題歌に起用され、その内容を意識した詞は、優しく温かな感動を与えてくれる。 同年6月には約4年ぶりのオリジナルアルバム『今日というこの日を生きていこう』をリリース。 プレゼント 2005年11月02日発売 NTV系ドラマ『あいのうた』主題歌• 2か月連続リリース。 8年ぶりに出演 警察官役 したドラマ『あいのうた』 主演:菅野美穂 の主題歌で、ゆったりとしたテンポに乗せ、《この世界には 愛があふれてる》《この世界には 夢があふれてる》と、ともすれば夢想家の戯言と捉えられがちな、優しく前向きな言葉の数々を、説得力のある豊かな歌で、真っすぐ、そして強く心に届けてくれる。 ドラマの優しくせつないラブストーリーとリンクして心に残る、代表曲のひとつといってもいい名バラード。 Lion 2006年03月15日発売 NTV系アニメ『エンジェル・ハート』オープニングテーマ• 人気TVアニメ『エンジェル・ハート』の福留裕介役で声優に初挑戦。 この曲がオープニングテーマに起用された。 愛と希望に溢れた応援歌だが、決して押しつけがましくない、爽やかなミディアム・チューン。 途中でアカペラになるアレンジが、全体に豊潤さを与えている。 この作品の翌月に発売した約1年ぶりのオリジナルアルバム『PRESENT』はAOR色が強く、「いつもどこかで」「プレゼント」、そしてこの曲と、人気曲が収録されている事でファンの新規開拓ができた、キャリアの中でもポイントになっている一枚。 惑星 2007年06月27日発売• 同年8月にリリースされる約1年4か月ぶりのオリジナルアルバム『惑星』のリード曲。 この曲もそう。 優しくどこかミステリアスな雰囲気が漂う。 アルバム制作後玉置は、体調を崩して活動休止を余儀なくされたが、2010年には安全地帯の6年ぶりの活動再開が発表され、ファンを喜ばせた。 2012年ソニーミュージックへ再移籍し、自主レーベル「ソルトモデラート」を立ち上げた。 純情 2013年04月24日発売• 約6年ぶりのシングルのジャケットは、玉置と母親。 写真だけでも胸に迫るものがあるが、玉置が年老いた母への限りない愛情と感謝の気持ちを表現した歌は、感動のひと言。 圧倒的かつ繊細な玉置の歌だからこそ表現でき、伝わってくる純粋な歌。 後半部分の「かあちゃん」と絶叫する玉置の声は、母へのこれ以上ない感謝の絶唱。 作詞は名コンビ、須藤晃。 万感の想いを込めた母親へのラブレターだ。 玉置浩二のファンか否かに関わらず、間違いなく後世に聴き継がれて欲しい一曲。 サーチライト 2013年11月27日発売 NTV系ドラマ『東京バンドワゴン 下町大家族物語』エンディングテーマ• 8年ぶりの連続ドラマ出演となった『東京バンドワゴン』のエンディングテーマ。 さらに深みと色気が増した玉置の声が、心に響く。 オリジナルアルバムとしては、2014年に発売されたこの曲も収録されている『GOLD』が最新作となる。 Live Information 08月17日(金) 千 葉 ・ 市川市文化会館 大ホール 08月23日(木) 東 京 ・ かつしかシンフォニーヒルズ 08月26日(日) 愛 知 ・ 常滑市民文化会館 08月28日(火) 宮 城 ・ 東京エレクトロンホール宮城 08月30日(木) 群 馬 ・ 伊勢崎市文化会館 09月02日(日) 富 山 ・ 富山オーバード・ホール 09月03日(月) 長 野 ・ 長野市芸術館メインホール 09月09日(日) 埼 玉 ・ 川口総合文化センターリリアメインホール 09月13日(木 大 阪 ・ フェスティバルホール 09月14日(金) 大 阪 ・ フェスティバルホール 09月21日(金) 兵 庫 ・ 篠山市たんば田園交響ホール 09月23日(日) 大 阪 ・ 河内長野市立文化会館(ラブリーホール) 09月24日(月・祝) 滋 賀 ・ ひこね市文化プラザグランドホール 09月30日(日) 山 口 ・ 周南市文化会館 10月01日(月) 広 島 ・ 上野学園ホール 10月05日(金) 東 京 ・ 昭和女子大学 人見記念講堂 10月06日(土) 東 京 ・ 昭和女子大学 人見記念講堂 10月08日(月・祝) 栃 木 ・ 佐野市文化会館大ホール 10月14日(日) 北海道 ・ 苫小牧市民会館 10月16日(火) 北海道 ・ 札幌文化芸術劇場hitaru 10月20日(土) 大 分 ・ エイトピアおおの(豊後大野市総合文化センター) 10月21日(日) 福 岡 ・ アルモニーサンク北九州ソレイユホール 10月27日(土) 奈 良 ・ 奈良県文化会館国際ホール 10月28日(日) 兵 庫 ・ 赤穂市文化会館ハーモニーホール 10月31日(水) 静 岡 ・ 焼津文化会館大ホール 11月02日(金) 大 阪 ・ 豊中市立文化芸術センター大ホール 11月03日(土) 京 都 ・ 宇治市文化センター大ホール 11月10日(土) 福 島 ・ とうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター) 11月11日(日) 山 形 ・ やまぎんホール(山形県県民会館) 11月13日(火) 北海道 ・ 旭川市民文化会館大ホール 11月18日(日) 東 京 ・ 東京国際フォーラム・ホールC.

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