エリザベート。 エリザベート歴代トート役(東宝・帝劇ミュージカル)まとめ※感想つき

ざっくり解説!ミュージカル『エリザベート』あらすじ・キャラクター(宝塚・東宝)

エリザベート

名門の娘として エリザベートが生まれたバートリ家はあのハプスブルク家とも関係が深く、代々トランシルヴァニア公国の王をつとめ、叔父はポーランド王もいるという由緒正しい名門中の名門でした。 エリザベートが幼いころからすでに由緒正しいナダスティ家に嫁ぐことが決まっており、11歳になると当時の慣習に従い姑となる予定の相手の婦人に預けられました。 その姑は非常に厳しく、元来ワガママなエリザベートはたびたび逃げ出し、ナダスティ家の空気にも馴染めないまま孤独に過ごしていきます。 彼女は育っていくにつれ美しさが際立つようになりましたが、その反面傲慢で女王然とした気質をもつようになりました。 バートリ家は頻度の高い近親での縁組による遺伝的疾患があるといわれており、血縁には癇癪で死んだ人や狂気淫乱という痼疾をもちあわせた人間が多く、エリザベートもその一人だったと言えます。 しかし結婚後の新居であるチェイテ城は古い文化が生き続けるような何もない田舎でした。 夫も軍人であるため城にいないことのほうが多く、そして姑は変わらず口うるさく、しだいにエリザベートは自室にこもるようになります。 自室の鏡の前で宝石や衣装を身につけるだけで過ぎていく日々。 そんな生活からか、彼女のナルシシズムは異常なまでに発達していき、薬草や香油からはじまり魔女さながらに大鍋の中で液体を作るなど、若さと美容を保つための研究が唯一の生きがいとなっていきます。 血に対する渇望 人間、それも若い処女の血に美容や若返りの効果があることは昔から言い伝えられており、錬金術や黒ミサなどの多くにその要素が見られます。 ある日若いメイドがエリザベートの髪を梳かしていたところクシに絡まってしまい、それを誤って引っ張ってしまったことに激怒したエリザベートは髪留めでメイドの胸を何度も突き刺し心臓をえぐります。 その返り血がかかった手を拭うと肌が輝いて見えたといいます。 また、興奮してメイドの腕に噛み付いた際に噴きでた血を見て、快感を覚えたともいわれます。 そんな言い伝えや経験にもとづいてか、いつからかチェイテ城の地下室は穀物庫から処刑部屋へと変貌していきます。 エリザベートが44歳の時に夫が亡くなるころにはもうすでにメイドたちへの虐待や処刑は始まっていたといい、それは噂として流れはじめるようになります。 しかし噂を知っていても貧乏な百姓たちは僅かな対価で喜んで娘を差し出しました。 鉄の処女 エリザベートの拷問方法は爪の間にピンを刺し込む、針で口を縫う、裸のまま木に縛り付けて体中にアリやハエをたからせるといったものから、口の中に両手を入れて左右に力いっぱい引っ張って口を裂く、喉の奥まで焼けた火かき棒を突っ込むだと多岐に渡ります。 他には内側に鉄のトゲを生やした巨大な鳥かごを吊るし中に娘をいれ、その娘を家僕が熱した火かき棒でつつくと、不安定に揺れる鳥かごの中で避けようとする娘に次々と鉄のトゲが刺さり血が流れ、それをエリザベートが下で浴びるというものもありました。 中でも有名なのが鉄の処女と呼ばれる、人形を模した鋼鉄の拷問器具です。 この人形は機械仕掛で動く精巧な人形で、ちゃんと歯や目も髪も動くように作られており本物の人間のようだったといいます。 そして宝石で作られたボタンを押すと歯車が動き、両腕が上がると同時に胸の扉が開きます。 そして抱え込むように動く両腕に抱きしめられた娘が、空洞である胸の中へと引き寄せられると扉が閉まり、扉の内側に生やしてある多数の刃で刺されて苦悶のうちに絶命するというものです。 そして娘が流した血液は人形の体内から溝を通って、浴槽へと溜められます。 そしてこの浴槽に入浴するのがエリザベートというわけです。 しかし血糊ですぐに錆びてしまう上、すべて機械まかせで処刑が終わってしまう鉄の処女にはすぐ飽きてしまったといいます。 城を出てウィーンの宿屋に止まった際も拷問は続けられ、「娘たちは裸になっていたが体中に血がこびりついて炭のように真っ黒だった」とは下男の言です。 600人の娘を殺した末路 やがて民の娘では効果が薄いと思い、貴族の娘にまで手を出していきました。 貴族の娘まで姿を消したとなれば噂はどんどん大きくなっていきます。 死体も最初の頃こそ手厚く葬っていたものの、死者の数が膨大になってくるにつれ扱いは雑になりっていきます。 そしてあるとき、死体の処理を面倒に思ったエリザベートは四人の娘の死体をそのまま城壁の外に放り投げてしまいます。 それに気づいた村人たちが死体の身元を検めると、村から集められた娘ということがわかりました。 弔いのたびに呼ばれるものの、その頻度があまりにも高いことを訝しんでいた神父はこの証拠を知ると中央政府に訴え出ます。 そして捜査当局が城へと向かい地下室に降りて行くと、異様な臭気が立ち込めていました。 そこには数々の拷問道具と前述のように真っ黒な木偶人形と化した死体や腐りかけの死体、そして虫の息でなんとか生きている娘もいました。 この生き残った娘の証言では、食事が与えられずに殺された娘の肉を食うことを強要されたといいます。 最終的に犠牲となった娘の数は600人とも700人ともいわれます。 そしてエリザベートは裁判にかけられましたが、親族の嘆願と出自を鑑みたオーストリア皇帝のはからいにより、死刑を免れ終身禁錮刑となりました。 チェイテ城の一室を窓と扉を埋め、食事を通す孔だけがあいている密室でエリザベートは残りの人生を過ごしました。 閉められた井戸のように真っ暗な部屋で、自慢の白い肌を視認することもできないまま、エリザベートは三年後に死亡しました。 享年54歳。 その亡骸は白骨になるまで放置されたといいます。

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エリザベート (ミュージカル)

エリザベート

基本データ ウィーン・ミュージカル『エリザベート』(呼び名:エリザ) ジャンル:歴史ファンタジーロマン 初演:1992年(アン・デア・ウィーン劇場) 日本での上演カンパニー:宝塚歌劇団(1996年〜)、東宝(2000年〜) オリジナル・スタッフ:ミヒャエル・クンツェ 脚本、作詞 、シルベスター・リーヴァイ 作曲 キャラクター エリザベート(シシィ)• オーストリア・ハプスブルク帝国最後の皇后• サーカスに入って自由に暮らしたかったけど、皇帝フランツ・ヨーゼフに一目惚れされ窮屈な宮廷に嫁入り• 姑の皇太后ゾフィーとは犬猿の仲• 死神が見えちゃう• その死神にも一目惚れされてストーキング被害に遭う 代表曲:「私だけに」 しおらしいお姫様とは真逆のタイプで、ミュージカルの割と序盤で 自我の塊と化す。 それ以来、あらゆる人に心を閉ざして生きてます。 絶世の美女で、身長172センチ、体重50キロのモデル体型。 自慢の美貌を維持するために、1日に卵3個とオレンジ1個しか食べず、3時間機械体操したりミルク風呂入ったり生肉でパックしたりする 意識高い系女子。 トート• 黄泉の帝王• 常にダンサーを周りにはべらせている(トートダンサー)• 幼いエリザベートの命を奪おうとして、逆に心を奪われる• エリザベートにうんざりされても冷たくあしらわれても全くめげません。 純愛ってことでいいんだよね…? 演じる役者によって、品の良い貴族風だったり、オラオラしたロックスター風だったりと様々なキャラクター像を見せてくれます。 フランツ・ヨーゼフ• エリザベートの夫でオーストリア皇帝• トートとはエリザベートをめぐる恋のライバル• 激しく対立する母親と妻の間で ギュムギュムに板挟みになる 代表曲:「夜のボート」 「寛容で善意の名君と呼ばれたい」とか言いつつ、母親のゾフィーには逆らえない マザコン皇帝。 エリザベートのことは愛しているのに、ゾフィーの策略で過ちを犯し、夫婦仲を決定的に壊してしまいます。 息子である皇太子ルドルフともうまくいかず、 二幕では不憫なおじいさん化が止まりません。 ルイジ・ルキーニ• エリザベートを暗殺したワイルド系イタリア人• ミュージカルのストーリーテラー• 獄中で首吊り自殺した後も、エリザベート暗殺の罪で裁かれ続けている• 宝塚にはルキーニを演じた者はトップスターになる、というジンクスがある 代表曲:「キッチュ」 この人がいないと物語が始まりません。 ざっくりまとめると、 なぜ自分がエリザベートを殺したのかをルキーニが語る、というのがこのミュージカルのあらましです。 よって、この物語自体がルキーニの妄想だと考えることもできます。 ルドルフ• エリザベートとフランツの息子• ハンガリーの独立運動に賛同• トートに誘われ銃で自殺 代表曲:「闇が広がる」 母の愛を感じずに育った悲しき マザコン皇太子。 幼少期は勇気を試すために猫を殺し、成長してからは「ママは僕の鏡だから、僕の気持ちは全て分かるはずだ」というぶっ飛んだ思考を披露してくれます。 ミュージカル俳優の登竜門的ポジションで、プリンス・オブ・ミュージカル井上芳雄のデビューを飾った役でもあります。 あらすじ 第一幕 皇后 <エリザベート>を暗殺した罪で死後も裁判にかけられていた <ルイジ・ルキーニ>は、動機を「黄泉の帝王 <トート>がエリザベートを愛し、彼女自身が死を望んだからだ」と証言します。 エリザベートとトートの出会いは、まだ彼女が幼かった時まで遡ります。 高所から落下し、死の淵をさ迷ったエリザベートに トートが一目惚れし、その命を救ったのでした。 しかし、生き返ったエリザベートはオーストリー皇帝の <フランツ・ヨーゼフ1世>に見初められ あっさり結婚してしまいます。 怒ったトートはハプスブルク家の終焉を計画し、エリザベートを執拗に付け狙うのですが、エリザベートはなかなか自分を選んでくれません。 その間に、姑 <ゾフィー>と反りの合わないエリザベートは、助けてくれないマザコン夫に愛想を尽かし、王宮の堅苦しいしきたりにも反発して 自我に目覚めていくのです。 一幕ラストは、有名な 鏡の間のシーン。 白いドレスに身を包み、神々しいほどの美しさを見せるエリザベートと、彼女を愛するフランツ、トートの三重奏で幕は閉じます。 第二幕 エリザベートは隣国ハンガリー国民の心をつかみ、その影響力を恐れたゾフィーは、 フランツに愛人を作らせます。 トートがそれを報告し、夫の浮気に怒り心頭のエリザベートは王宮を出て長い長い旅に出掛けてしまいます。 その間、トートにそそのかされて ハンガリーの独立運動に荷担した皇太子 <ルドルフ>は、父フランツと対立していました。 窮地に陥ったルドルフは、久しぶりに帰ってきた母エリザベートに助けを求めますが、エリザベートはそれを拒否。 落胆したルドルフは死を選び、失意のエリザベートは再びあてもない旅に出掛けます。 物語の終盤、トートから短剣を受け取ったルキーニは、旅の途中だったエリザベートを刺し殺します。 フィナーレでは、俗世のしがらみから解き放たれたエリザベートがトートの胸に飛び込み、 二人で黄泉の世界へと旅立って行きます。 まとめ 『エリザベート』の魅力はなんと言っても豪華な舞台装置と美しい衣装! 死が人を愛する、というファンタジックな世界観へ観客を誘ってくれます。 また、宝塚版と東宝版では演出、台詞、歌詞も異なる部分が多いので、違いを楽しむこともできますよ。

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ハプスブルク家、最後の皇妃 エリザベート

エリザベート

生涯 [ ] 王家である傍系のとバイエルン王女の次女として生まれた。 幼少の頃は父マクシミリアンと共に街に出かけ、奏者に扮した父の傍らでチップを貰う少女に扮したり(もちろん住民は、王家に連なる極めて身分の高い公爵と公女であると知りつつも知らぬそぶりで歓迎し、エリザベートは後年、「私が唯一自ら稼いだお金」と言ってそのチップを大切に保管していた)、また狩りに行くなどしていた。 王位継承権からは遠く公務とは無縁であったため自由を満喫していた。 そんな生活は1853年8月、姉の見合い相手だった、母方の従兄である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められて求婚されたことによって終わりを告げた。 シシィは婚約が決まった翌日からお妃教育を受けさせられたが、不真面目で勉強嫌いの彼女は何度もヒステリーを起こしていたという。 しかし、彼女にとって生涯忘れられない出会いもあった。 お妃教育の一環として彼女に広大なオーストリア帝国の歴史を教えたマイラットは、彼女が最初に出会っただった。 伯爵はの素晴らしさを彼女に密かに吹き込むなど、彼女に多大な影響を与えた。 1854年4月、シシィは16歳で結婚、オーストリア皇后となった。 しかし、自由人だった父の気質を多く受け継いだ彼女は、母方の伯母で姑であるがとりしきる宮廷の厳格さに耐えられず、また、マイラット伯爵の教育を受けたエリーザベトがや当時独立を求めていたに同情的であることを察したゾフィーは、エリーザベトの影響でフランツ・ヨーゼフ1世がハンガリーやイタリアに寛容になることを嫌い、中傷ビラを撒く、エリーザベトが宮殿の外に出た際には暴徒に囲ませる、といった嫌がらせをした。 徐々にエリーザベトは人前に出ることを極度に嫌がり宮廷生活や皇后としての義務や職務を嫌い、に浮かぶなどに療養に行く、夫に同行してイタリアを訪問する、あるいは個人的に旅行に出かけたり病院を慰問したりと、生涯に亘りさまざまな口実を見つけてはから逃避し続けた。 ジュラ・アンドラーシ伯爵 特にエリーザベトが心安らぐ最高の場所としたのは、当時オーストリア帝国の一部であったハンガリーであった。 ゾフィー大公妃がマジャル人嫌いだったこともあり、エリーザベトは死ぬまでハンガリーを熱愛し続けた。 その熱意は勉強嫌いの彼女が、短期間でハンガリー語を身につけ、皇帝とハンガリー貴族の通訳を出来るほどであった。 穏健独立派のハンガリー貴族伯爵と知り合い、の敗北を受けて、翌にハンガリーの自治権を認めた(妥協)を締結するにあたっては陰の推進者の役割を果たした。 アンドラーシはアウスグライヒ後のの初代首相、帝国外相となる。 エリーザベトの晩年最大の悲劇は、息子の自殺であった(1889年、暗殺説もあったが、のちにルドルフの心中相手が自分の母宛に送った遺書が発見された)。 夫の死後喪服を着続けたに倣い、その後彼女は死ぬまでを脱ぐことはなかった。 1898年9月、旅行中の・のほとりで、イタリア人のに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、その生涯を閉じた。 人物 [ ] ルートヴィヒ2世• 当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、51センチで体重は生涯43〜47キロという驚異の体形の持ち主だった。 美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なや美容方法でそれを維持していたが、年を取るにつれて皺とシミだらけになった顔を分厚い黒のと革製の高価な扇や日傘で隠すようになり、それが彼女の晩年の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっている。 交友関係では、とは親しくなかったが、その息子のとは、ルドルフ皇太子と共に親しかったという。 他には、フランツ・ヨーゼフ1世の弟の妃で義妹の王女との仲は険悪だったが、同名の妃(カルメン・シルヴァの筆名で知られる)とは、ドイツの王家出身、皇后・王妃でありながら・の否定、王侯貴族に対する激しい憎悪、王侯貴族などの気に入らない人物に対する辛辣な批判、浪費癖、現実離れした夢想家、破綻した結婚への嫌悪感、宮廷での孤立、死への異常なまでの関心、詩作、古代ギリシア文化への傾倒など、数え切れない程多くの共通点があり親交があった。 彼女は詩人の中では、「革命詩人」と呼ばれるを好み、彼のことを深く尊敬し、「師」と呼んでいた。 また、エリーザベトはハイネの作品を知り尽くしており、専門家として彼女に教えを乞いに来る人もいた程だった。 従甥で「狂王」と呼ばれるとも一時期親しかったという。 彼らは世間や堅苦しい宮廷を嫌って逃避行を繰り返し義務を放棄して快楽に耽り、精神を病んで奇行を連発する桁外れの浪費家同士で意気投合したとされるが、ルートヴィヒ2世は彼女に片思いをしていたため(ルートヴィヒ2世は同性愛者だったため、あくまでも純粋な友情に過ぎないとする説もある)、王の前途を心配したエリーザベトは妹のと婚約させようと計画した。 しかし、ルートヴィヒ2世は全く関心を示さず、婚約は破棄された。 エリーザベトはこれに激怒し、二人の仲は険悪になり、それが後にルートヴィヒ2世を現実逃避させて精神状態を急速に悪化させ、国費を浪費する遠因になったとも考えられる。 しかしエリーザベトは、ルートヴィヒ2世が逝去した際にはたいへんなショックを受け、家族の皆が深刻に心配する程精神状態が悪化した。 によるエリーザベト皇后(左)とウジェニー皇后(右)の肖像。 エリーザベト皇后のドレスはによるデザイン• 1865年には、前年にエリーザベトの肖像画も描いたから彼女の話を聞いた皇后がエリーザベトに興味を持ち、翌年オーストリアのバート・キッシンゲンで保養に行く際に私的に表敬訪問したいと申し出たが、彼女は気乗りがしなかったらしくこの申し出を断っている。 しかし6月19日、が皇帝の座に就けたマクシミリアンがケレタロで銃殺刑に処されたため、この年の8月にナポレオン3世とが、オーストリアとの一種の調停訪問を目論み、での2人の美貌の皇后の対面が実現した。 マクシミリアンの事があったため、ザルツブルク市民はフランス皇帝夫妻を冷ややかに迎えたが、2人の美しい皇后が見られるということには大変関心を寄せた。 そしていざ実物を見てみると、王族の出ではないウジェニーではあったが、エリーザベトの生まれつき兼ね備えた威厳や美しさと比べてもなんら遜色ないと市民たちの目には映った。 ただし保守的なザルツブルク市民たちは、ウジェニーの服装が最新のパリ・モードにそってスカートの裾があだっぽく絡げてあるため、足がのぞいて見えるのをはしたないことと見なした。 2人の皇后が並んで立つと、長身のエリーザベトに比べ、ウジェニーのほうがだいぶ小柄だったという。 またエリーザベトはイギリスの妃の美貌と自身の美貌とどちらが優れているかを気にしていたが、実際はアレクサンドラは非常に背が低く胴長短足であるうえ、首に醜い手術痕があり、頭には奇妙なへこみがあるなど、容姿はエリーザベトより劣っていた。 しかしエリーザベトにも、面長で顎がしゃくれている点や、極端な撫で肩、鼻の穴が大きい(ヴィクトリア女王も「鼻の形は美しくない」と漏らしていた)、手足が丸太のように太いという欠点があった。 特に本人が最も気にしていたのは、歯並びが悪く黄ばんでいることだった。 見合いの席でゾフィー大公妃はそれを指摘し、彼女に「歯を磨くように」と言いつけている。 エリーザベトはそれを気にするあまり、毎日懸命に歯を磨き、人前では常に口をきつく結んでほとんど話さず、話す時には扇子で口を隠していた。 しかし、肖像画ではこれらの欠点は見事に隠され、美化されている。 夫のフランツ・ヨーゼフ1世に宛てて書いた手紙の「確かにヴィクトリア女王はとても親切な方でした。 でも、私にとっては得体が知れないのです……」という言葉からわかるとおり、エリーザベトは人の好き嫌いが激しく気難しい性質だったため、ゾフィー大公妃の選んだ気に入らない女官を全員解雇して周囲をお気に入りのマジャル人侍女のみで固め、女官には徹底的に控えめに振舞うこと、ウィーンから離れた生活に耐え自分の旅行にずっとついて来ること、数時間ぶっ続けの激しい早歩きにずっとついて来ること、生涯独身を貫くことなどを要求した。 また自分とは正反対の、良妻賢母として知られるマリア・テレジアを敬愛し、病人や障害者、貧しい民衆に同情するなどの一面もあったが、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを一切放棄かつ拒否し続け、欲望のままに放縦な生活を送り続けた。 エリーザベトの贅沢ぶりは凄まじく、宝石・ドレス・名馬の購入、若さと美しさを保つための桁外れの美容への出費、ギリシアのに絢爛豪華な城「アキレイオン」の建設、彼女個人あるいは皇室の所有するあらゆる宮殿・城・別荘の増改築、彼女専用の贅を尽くした船や列車を利用しての豪華旅行などを税金で行っていた。 だが、生来の気まぐれな性質から一箇所にとどまることができず、乗馬や巨費を投じて建てたアキレイオンなどにもすぐに飽きてしまった。 皇后でありながら君主制を否定した「進歩的な女性」と評されることもあるエリーザベトだが、一方で尊大、傲慢、狭量かつ権威主義的であるのみならず、皇后・妻・母としての役目は全て放棄かつ拒否しながら、その特権のみほしいままに享受し続け、皇后としての莫大な資産によってヨーロッパ・北アフリカ各地を旅行したり法外な額の買い物をしたりするなど、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かったとされる。 当時のベルギー大使夫人は、「この女性は本当に狂っています。 こんな皇后がいるのにオーストリアが共和国にならないのは、この国の国民がまだ寛大だからです」と書いている。 ただしハンガリー統治に関しては非常な関心と情熱を傾けたため、過去に近隣の大国に翻弄され、分割・被支配とさまざまな苦難の歴史をたどったハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、今もハンガリーの人々には慕われている。 そして彼女が嫌ったウィーンにおいても観光のシンボルとして肖像画を見ることができる。 子女 [ ]• (1855年 - 1857年)• (1856年 - 1932年)• (1858年 - 1889年) オーストリア皇太子• (1868年 - 1924年) 参考文献 [ ]• カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート』監修、田辺希久子訳、、1997年、190頁。 ブリギッテ・ハーマン『エリーザベト - 美しき皇妃の伝説』上巻、中村康之訳、、2001年、339頁、下巻、中村康之訳、朝日新聞社、2001年、329頁。 マリー・ルイーゼ・フォン・インゲンハイム『皇妃エリザベート』『皇妃エリザベート ハプスブルクの涙』訳、、1996年、332頁・297頁。 ビッヒラー『エリザベートの真実』訳、集英社文庫、1998年、278頁。 マルタ・シャート『皇妃エリザベートの生涯』訳、集英社文庫、2000年、245頁。 シェーファー『エリザベート』大津留 厚監訳・永島とも子訳、2000年• 『マンガ 皇妃エリザベート』ジャン・デ・カール原作、、2001年、435頁。 『 皇妃エリザベート永遠の美』、2006年、144頁。 関連作品 [ ]• 『双頭の鷲』:の。 映画ではが、舞台ではがエリーザベトを演じた。 『』:ウィーン発のミュージカル。 日本でも(『』)などが上演しヒットした。 『』『』『』(3部作):エリーザベトの若き日(公女時代)を描いたオーストリア映画。 『エリザベート〜愛と哀しみの皇妃』(・・合作のテレビ映画)• 『エルジェーベト』:のコミック。 演じた俳優 [ ] 映画 [ ]• ミュージカル「」日本版 [ ] 宝塚歌劇団版(本公演) [ ]• (1996年・1998年)• (1996年)• (2002年)• (2002年花組・大鳥れいの代役)• (2005年)• (2007年雪組)• (2009年月組)• (2014年花組)• (2016年宙組)• (2018年月組) 東宝版 [ ]• (2000年・2001年・2004年・2005年・2006年)• (2008 - 2009年)• (2008 - 2009年・2010年)• (2010年・2012年)• (2012年)• (2015年・2016年・2019年・2020年 予定• (2015年・2016年)• 2019年・2020年 予定 その他の舞台 [ ]• 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 エリーザベト オーストリア皇后 に関連する および があります。 - 孫娘(長男ルドルフの娘)。 脚注 [ ] [].

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