二子玉川 堤防。 多摩川の氾濫は二子玉川で堤防の反対運動があった場所だった。

多摩川の氾濫は二子玉川で堤防の反対運動があった場所だった。

二子玉川 堤防

「住宅の中からの、すばらしいながめが高い堤防にさえぎられ、周辺の自然もなくなる。 100年に一度の洪水に備えられるという説明納得できない」という建設反対派と、 「水害から人命・財産を守るのには欠かせない」という賛成派の、それぞれの意見を紹介しました。 》 反対は裁判所に却下され「下流側」堤防は完成した いまネット掲示板では「多摩川氾濫は天災ではなく人災だった」という書き込みが続出している。 堤防建設反対派住民への非難の声があがっている。 同会の代表を務めていた男性は昨年他界し、副代表の男性が取材に応じた。 「我々は堤防が要らないと主張していたわけではないんです。 堤防ができる前、川沿いの土手には桜が咲き誇り、松林も生い茂っていたので、もちろんこの綺麗な景観を守りたいという気持ちがありました。 そうした木々を避けて堤防を建設するといった国交省の柔軟な対応を求めていただけなんです。 我々が一番に主張していたのは、中洲の樹木の伐採でした。 例えるなら血管の中にコレステロールが溜まってしまっているような状態で、自然と水位は上がってしまいます。 そうした点を含めて、国交省に対して安全と環境のバランスを保った堤防を作ってほしいと頼んでいました」(副代表の男性).

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台風19号の深すぎる爪痕 タワマンは“機能停止”川崎市武蔵小杉の住民悲鳴 浸水した二子玉川、過去には「堤防反対運動」も (1/3ページ)

二子玉川 堤防

橋上の二子玉川駅と多摩川橋梁。 台風通過の翌日午前。 多摩川の水はだいぶ引いていた(2019年10月13日、筆者撮影) なぜ多摩川は鉄道橋梁付近ばかりが氾濫するのだろうか。 東急二子玉川駅付近の氾濫や武蔵小杉駅付近の浸水が盛んに報道されるのを見ていて、こう感じたのは筆者だけではあるまい。 二子玉川駅は、多摩川の上にホームのある橋上駅である。 氾濫地点の真上近くに東急田園都市線の多摩川橋梁が架かる。 JR武蔵小杉駅も北東数百メートルの所に横須賀線・東海道新幹線の多摩川橋梁がある。 ここも鉄道橋梁の近くだったわけだ。 激流によって川に面した民家がバリバリと音を立てて崩れ流されていく姿がテレビカメラに捉えられ、当時大きな注目を集めた。 このシーンをモチーフとし、家庭の崩壊と家の流失をダブらせて物語る山田太一脚本、八千草薫主演のテレビドラマ『岸辺のアルバム』が放映され、その点でも広く知られた出来事だった。 近年の多摩川氾濫・浸水地点がいずれも鉄道橋付近で起きたのは、単なる偶然なのか、それとも何か理由があるのか。 以下推察レベルにとどまるものもあり、多摩川の例ではないものもあるが、鉄道橋梁が氾濫の原因になりかねない確かな事例もある。 推察と事実を分けながら検討してみたい。 まず二子玉川駅付近の地形を見てみよう。 多摩川は今でこそ堤防に囲まれた地を流れているが、数百年から数千年前は氾濫を繰り返し川筋は一定ではなかった。 現在多摩川沿いの平地は大昔の氾濫原である。

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住民の合意難航…50年以上、無堤防状態 多摩川氾濫の東京・二子玉川(1/2ページ)

二子玉川 堤防

1974年9月には台風16号により堤防決壊。 狛江市の民家が流れ出るという 狛江水害とも呼ばれる災害が起こっています。 そして2007年9月に発生した台風9号では 二子玉川南地区には あわや区道まで浸水という事態に 陥ってしまいました。 これは二子玉川南地区は 多摩川下流部の東京都gawaで 唯一堤防がないためです。 2007年の台風で浸水しなかったのは 単純に2000袋以上の 土のうで事なきを得たため。 このことから2008年10月から 堤防を作るために 「無堤部解消プロジェクト」 というものが行われました。 しかし周辺住民の反対により 堤防は完全には建設できず。 下記画像の緑の部分が未だに 堤防が整備されていない、 およそ540mの区間となります。 画像はより 多摩川、二子玉川南地区の 堤防が反対された理由は 「景観が悪くなる」などといったもの。 2018年から2019年6月にかけても 「二子玉川地区水辺地域づくりワーキング」 という名前で5回ほど堤防設備に関する 整備案なども説明されていた状況でした。

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