キングオブコメディ 考察。 映画『キング・オブ・コメディ』フル動画を無料で視聴する方法と『ジョーカー』との共通点4つをネタバレありでまとめてみた|イツキのアンテナ

キングオブコメディ高橋逮捕で相方今野に風評被害の懸念

キングオブコメディ 考察

ぷらすです。 今回ご紹介するのは、数々の作品でコンビを組んできた盟友、と監督が1982年に制作した『キング・オブ・コメディー』ですよー! 僕は本作は初見だったんですが、30年以上前の作品とは思えない作品でした。 で、今回は昔の作品ということもあり、ネタバレ有りで書きますので、もしもこれから本作を観る予定のある人は、感想部分は映画鑑賞後に読んでいただけたら嬉しいです。 興業的にはあまり成功しなかったが、映画人や芸能関係者からの評価は高いらしい。 キャラクター像やストーリー構成が似ているので、1976年の「タクイバー」の双子的な作品とも言われている。 アメリカの喜劇俳優、が、『ほぼ』本人役で登場している。 あらすじ コメディアン志望の男、ルパート・パンプキン()は、有名なアン ジェリー・ラングフォード(ジェリールイス)の出待ちをしていたファンの群衆から救い出し、自分を売り込む。 そして、すっかり人気コメディアンとなったパンプキンは、高校時代だった初恋の女性リタ・キーン(ダイアン・アボット)を夕食に誘い、自分がコメディアンとして成功したことを報告するが……。 感想 とにかく 痛くて怖い映画でした。 と言っても、暴力描写が激しいとか血がビュービュー吹き出るとか、そういうのではないです。 むしろ本作で血はほとんど出てきません。 大人気(日本で言えば、きみまろさん的な感じ)のジェリー・ラングフォード()が出演しているTVショーから車に乗り込もうとすると、出待ちのファンが殺到。 なんとか車に乗り込むと、中にはこっそり忍び込んでいた熱狂的ファンの女マーシャ(サンドラ・バーンハード)が抱きついてきて、慌てて外に出るとまたファンが……。 その時、群衆からジェリーを守りどさくさにまぎれて一緒に車に乗り込むのが、本作の主人公ルパート・パンプキン()です。 パンプキンは車中でジェリーに、『自分には才能がある』と言い『チャンスが欲しい』とジェリーに懇願。 ジェリーが「後日、自演のテープを事務所に届けるように」と言うと、有頂天になった彼はジェリーに昼飯を奢ると言って帰っていきます。 そして場面変わってレストラン。 ジェリーとパンプキンは一つテーブルを囲んで、昼食をとっています。 そこでジェリーは「君が忙しいのは分かっているが、6週間だけ自分の番組の司会を代わってほしい」と頼み込んでいます。 ここで『ああ、数年後にジャンプしたのか』と思うとそうではなく、これ、パンプキンの妄想なんですね。 つまり、パンプキンは 現実と妄想の区別のつかない人なんです。 彼は30才を超えても仕事に就くことなく、自宅で母と二人暮らし。 2階の自室にジェリーの出演するTVショーのセットを自作し、そこにジェリーやゲストのを置いて司会ごっこをしている『痛い人』です。 そんな彼が『自分には才能がある(ハズ)』で『1度のチャンスがあればみんなは自分の才能に驚き、スターダムに駆け上がれる(ハズ)』という妄執に囚われた彼が、目標としているコメディアン、ジェリーに接触するのが冒頭の部分なわけです。 『事務所にテープを~』は当然メンドくさいヤツを追い払う口実で、真に受けたパンプキンは自宅で録音したテープを事務所に持っていきます。 後日秘書の女性に「あなたには光るものがあります。 まずはクラブのステージで実績を積んでください。 ステージが決まったらスタッフを見にやります」とやんわりと断られますが、パンプキンはジェリーはテープを聞いたのか、あんたじゃ話にならないと居座り、結局警備員につまみ出される始末。 もう、観ていて 『あ痛たたたたたたたたた!!』ってなります。 しかもパンプキン、高校時代憧れていた女性リタに『自分はジェリーの別荘に誘われている』なんて言って、一緒に別荘に押しかけちゃいます。 何も知らないリタは信じてついて行ったものの、パンプキンの話とジェリーの様子がどうも話と違う。 結局、パンプキンの妄言だったことに気づいてまた大騒ぎ。 このことを逆恨みしたパンプキンは、ジェリーをストーキングしている女マーシャと手を組みジェリーを誘拐。 スタッフを脅迫して番組を一回だけ乗っ取るというストーリー。 で、本作を観て思い出すのが、本作と同じくデ・ニーロ主演、スコセッシ監督で作られた1967年の作品『タクイバー』 トラビスは元あがりの男で、腐りきった社会や孤独に耐え切れず精神を病み、次第に過激な妄想にとりつかれていく男で、本作のパンプキンによく似ています。 ただ、トラビスとパンプキンは表面上は似ていても、本質的な部分で正反対の人間の様に僕は思いました。 トラビスは戦争体験や都会の孤独感から精神を病み、いわゆる「」に傾倒した結果、大統領暗殺を計画するわけで、その根底にあるのは(歪んではいるけれど)正義感で、彼の行動の根本にある願望は他者との関わりなんですね。 一方のパンプキンは、学生時代いじめられたり、モテなかったり、バカにされたりというコンプレックスから逃れるために『妄想』の中に逃げ込んだ男です。 自室の『スタジオ』で『コメディーの王様』として君臨することで、『社会』や『現実』に背を向けて見聞きしないようにしている、彼の願望の中に他者はいなくて『自分』だけなんですね。 なので、現在の日本に暮らす人にとっては『タクイバー』のトラビスよりも本作のパンプキンの方が、よりリアルに、身近に感じられるんじゃないかなーと思いました。 パンプキンの言動は、滑稽で哀れで、そしてとても怖いです。 トラビスは分かり合えないだろうけど、まだ話し合いの余地があるように思えるんですが、パンプキンの方は最初からもう言葉が通じない感じなんですよね。 通じないというか聞く気がない。 冒頭の車中でジェリーはパンプキンに「我々の職業は簡単にできると思われている」「自分たちの『技術』は下積みの上にある」みたいなことを言っていて、パンプキンはそれに同意してるんですが、自分のことを言われているとは思ってないんですね。 この、話の通じない感。 ジェリーの秘書も似たような事を言いますけど、パンプキンはやっぱり聞き入れません。 自分に都合のいいことは拡大解釈するけど、自分に都合の悪いことは他人事にしてしまったり、話をすり替えてなかったことにしてしまったり。 最近ネットでこういう人をたまに見かけるし、僕自身にもそういう部分があるわけで、だからパンプキンを見ていると、まだ、自分が少年だったころの膨れ上がった自意識を見せつけられてるようで凄く痛いし、多少気持ちが分かるだけに怖いと思ってしまいます。 そして、ラストシーン。 ジェリーを誘拐し本懐を遂げたパンプキンは捕まるわけですが、その後獄中で書いた手記が大ヒット。 仮出所後にすぐにTVの冠番組が決まるというオチになってます。 で、ここは、現実にそうなった説とパンプキンの妄想説に解釈が分かれるんですが、僕はパンプキンの妄想だと思いました。 ラスト、アナウンサー? に紹介されて登場するパンプキンですが、登場の音楽が終わりそうで終わらないくて、パンプキンが話し出せなくて戸惑うところで映画が終わります。 (コントでよくあるアレです) それは、文字通り『一夜限りの夢』を現実で叶え、満足してしまったがゆえに、パンプキンは自分の王国である『妄想』すらも失いかけているという事じゃないかと、そんな風に思いました。 あと、パンプキンと組んでジェリーを誘拐する マーシャを演じるサンドラ・バーンハードの 次に何をするか分からない感は超絶怖かったですw 本作はブラックコメディーというより、ある種のサイコホラーと言ったほうがしっくりくる感じですが、その中にも、即興演技が入ったり、映画だと思わない通行人がに話しかけたり(多分ゲリラ撮影だから)、パンプキンのお母さんの声がスコセッシの実のお母さんだったり、本来ならNGテイクをそのまま使ったりと、思わず笑っちゃう面白シーンも沢山あって、途中で飽きちゃうことはないと思います。 なにより、本作は 今観たほうが新鮮な感じがすると思います。 興味のある方は是非!! aozprapurasu.

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キング・オブ・コメディはキモくて笑える!感想とネタバレ

キングオブコメディ 考察

「キングオブコメディ」あらすじ ルパート・パプキンは有名コメディアンのジェリー・ラングフォードのテレビ番組に出演して自分のネタを披露することが夢だった。 ルパート・パプキンは、なんとしてもジェリーに認めてもらおうと電話をしたりオフィスに行ったりしたが相手にしてもらうことはできなかった。 どうしてもジェリーの番組に出たいルパート・パプキンの行動はしだいにエスカレートしていくのだった…。 「キングオブコメディ」キャスト 監督マーティン・スコセッシ やギャング・オブ・ニューヨーク、近年だと「アイリッシュマン」など多くの名作を監督しています。 ルパート・パプキン ロバート・デ・ニーロ 人気コメディアン、ジェリー・ルイスのテレビ番組に出演しようとしている男。 ロバート・デ・ニーロは「」などにも出演しています。 ジェリー・ラングフォード ジェリー・ルイス 人気コメディアン。 ルパート・パプキンやマーシャにしつこくつきまとわれる。 マーシャ サンドラ・バーンハード ジェリーの大ファンだが、非常識な行動を繰り返すストーカーとなっている。 リタ・キーン ダイアン・アボット ルパート・パプキンが昔から気になっていた女性。 「キングオブコメディ」ネタバレあり感想 ラストシーンのネタバレもありです。 「ジョーカー」のヒットで注目されたキングオブコメディ トッド・フィリップス監督の2019年の映画「ジョーカー」が高評価で話題になりました。 「ジョーカー」でキングオブコメディのオマージュがあったり似た設定があったりするので、キングオブコメディについて言及されることがあり注目されたんですね。 僕もTwitterのTLでキングオブコメディのことが流れていて興味が出てきたので「キングオブコメディ」観てみることにしたわけです。 「ジョーカー」も「キングオブコメディ」も狂気を描いています。 「ジョーカー」観て見応えあったっていう人は「キングオブコメディ」も観てみると楽しめるかなと思います。 僕はまだ「ジョーカー」観てないんですよね。 わざわざ気分悪くなりそうな映画観るのもなんだかな〜と観てませんでした。 しかし、キングオブコメディ観てみて面白かったので「ジョーカー」も観てみたいと思うようになりましたね。 主人公ルパート・パプキンの徹底した行動が狂気的でサイコパス 主人公ルパート・パプキンすごかったですね。 まさに 目的のためには手段を本当に選ばないサイコパスなキャラクターでした。 だんだん明らかになっていくルパート・パプキンのサイコパスな行動 ルパート・パプキンはコメディアンとして有名になりたくて、人気者コメディアンのジェリー・ラングフォードに自分を売り込みます。 ここまではガッツがあって、まあそういう人もいるかなという感じでストーリーが進みます。 途中突然、有名人になったらしいルパート・パプキンとジェリー・ラングフォードがレストランで食事をしているシーンに切り替わるんですね。 僕は「キングオブコメディ」どういう映画なのか知らずに見始めたので、「なんだ?突然未来の場面に飛んだのか?」と思ったんですが、このシーン、ルパート・パプキンの妄想なんですね。 さらに画面が切り替わってルパート・パプキンが自宅で母親に文句を言われながら、ジェリーと仲良く話している1人芝居みたいなことをしている様子が映されます。 まあまだこういう有名人との妄想をする人はいるだろうなと納得はできます。 でもルパート・パプキンは、さらにエスカレートしたことをやっていることが明らかになっていきます。 ぼくはルパート・パプキンの度を過ぎた妄想芝居があるあたりから「キングオブコメディは、狂気ものの映画なんだな。 」と理解し始めました。 ルパート・パプキンの目的はだた1つ。 多くの人から称賛されること。 キングオブコメディ観た人は、ルパート・パプキンそんだけガッツがあるなら地道にコメディアンとして成り上がれるんじゃと思うかもしれません。 でもルパート・パプキンの目的はコメディアンとしての場数を踏んで実力をつけ人気になることではないんですね。 どんな手段を使ってでもテレビ出演して、 「多くの人から称賛と喝采を受けること」 これのみがルパート・パプキンの目的なんです。 しかも、多くの人に注目され称賛と喝采を受けるのは一回きりでもいいと割り切っています。 長く活躍したいとかは考えてません。 なぜ一回きりでもいいのか? それはルパート・パプキンのセリフでもあったとおり、 「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」 からですね。 【考察】「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」の意味とは パプキンはおそらく自分のサイコパス的なところを自覚していたため、普通にやっていては自分が輝けることはないと考えていたのではないでしょうか。 どこかのバーとかでコメディを演じたとしても、テレビに出演できるような人間ではないと考えていたのかなって思います。 自分の人生が無駄ではなかったと思いたかった。 なぜそこまで有名人になりたかったのか。 その理由は このまま悲惨な人生のまま終わりたくないと真剣に考えていたからだと思います。 一回でもいいからテレビに出て自分の人生をネタにして多くの人に笑ってもらえれば、 自分の人生は無駄ではなかったと思うことができ、満たされると考えたからではないでしょうか。 自分の異常な面を分かっていたパプキンは、このままだとどん底のまま人生を終えてしまうことが強烈に嫌だった。 なにがなんでも有名になり大衆に認められることで、初めてパプキンは満足できたのでしょう。 自分みたいな者は、ずっとどん底の人生だろう。 なら一夜でもいい、多くの人に認められるようなデカいことをやって人生を終えたいということなんだと思います。 「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」は、悲惨な人生を送ってきた者だからこその言葉ではないでしょうか。 ルパート・パプキンとは違い、ちゃんとした方法?で見事に長年多くの人々から愛され称賛される人物となったのがの主人公で実在の人物ルディ・レイ・ムーアですね。 とことん名前を間違えられるルパート・パプキンの悲しさ ルパート・パプキンは有名コメディアンのジェリーに事務所に電話してくれと言われて素直に電話します。 しかし事務所側はまともに取り合いません。 それでルパート・パプキンは直接事務所に行ってジェリーに会おうとします。 わざとじゃないと思うんですが、半分ぐらいは「あなたの名前は覚えるほどの価値もない。 」と無意識にでも思っていたのではないでしょうか。 そもそもルパート・パプキンの名前を覚える気がないのがありありと伝わってきます。 いくらルパート・パプキンが狂気じみていても、せめて名前は間違えないでなんて観ていて思ってしまうほどのシーンでした。 ルパート・パプキン、子どものころから散々こういう目にあってきているという設定なんでしょう。 サイコパス気質で周りとなじめない状態で、さらに周りの理解もなかったから、だんだんとサイコパス的行動がエスカレートしていき手段を選ばなくなってしまったのかと思うと悲しさもありますね。 とことんずれた「あきらめずに挑戦する」ルパート・パプキンが怖い よく自己啓発とかで、あきらめずに挑戦することは大事だと言われます。 ルパート・パプキンは、とことんあきらめませんでした。 まさにルパート・パプキンは「最後まであきらめずに挑戦し続けた」ので、TV出演を果たしたわけです。 しかしルパート・パプキンの行動はとことんずれていました。 そのずれ方が怖さを生み出しているんですね。 目的はただ一つテレビ出演のみという狂気的な信念が恐ろしいです。 ロバート・デ・ニーロ演技すごいなと思った。 主人公のルパート・パプキンを演じたのはロバート・デ・ニーロ。 僕は演技の良し悪しはそんなに分からないんですが、キングオブコメディでのロバート・デ・ニーロの演技はすごいなと思いましたね。 とくにすごいな思ったのはルパート・パプキンが1人でジェリーと話している妄想芝居をしてるときです。 このシーン、最初はルパート・パプキンが話している相手がいるだろう部分を隠して映しているんですね。 なので、最初はルパート・パプキンの前に本当に話し相手がいるのかと思いました。 ところがカメラが横に動くとルパート・パプキンが1人で話しているんですね。 この最後のあたりのシーンが事実として描かれているのか、ルパート・パプキンの妄想として描からているのか、考察しがいがあります。 マーティン・スコセッシ監督は事実か妄想かハッキリとさせていないみたいですね。 個人的には事実であってほしいです。 そのほうが面白いです。 ラストシーンでルパート・パプキンがテレビ出演して名前を何回も呼ばれるものの、パプキンはただただ満足気にうなずくだけで話しません。 ラストシーンが、ちょっと変な感じなので妄想っぽくもありますね。 結果的に超過激な炎上商法となってるとこが、現代のネットに通じるものがある。 「キングオブコメディ」は1982年の映画。 1982年には炎上商法っていう言葉はなかったでしょう。 今はネットのSNSなどで一気に拡散して、それネガティブな話題だと「炎上」って言われたりします。 わざと炎上させて話題になることを炎上商法って言いますよね。 「キングオブコメディ」は、わざとではないですが結果的にルパート・パプキンが有名になり本が売れたりしてました。 ルパート・パプキンが人気者となる最後のあたりのシーンは大衆の怖さも表現しているのではないでしょうか。 ラストが事実なら、パプキンは大衆に同情されたパターンだと思う。 考えられるのは、 ルパート・パプキンが悲惨な人生を送ってきたことが知られるようになって、だんだんと同情する人が増えてきて人気者になっていくというパターンですね。 あの伝説の一夜のパフォーマンスで披露した話が実はルパート・パプキンの悲惨な人生そのものだったことが話題になったりとか。 もしラストが妄想ではなく事実だとしたら、このパターンなんだろうなって思います。 テレビ出演で観客が笑ったのは事実なのだろう。 ルパート・パプキンがテレビ出演してネタを披露して観客に笑ってもらえたという部分は事実ではないでしょうか。 観客の笑い声がパプキンの妄想という可能性ありますが、マーティン・スコセッシ監督はルパート・パプキンはネタを披露して観客が笑ったとこは事実として描いているのではと思います。 なぜならルパート・パプキンのような者にも多くの観客に笑ってもらえたという救いをもたらしていると思うから。 ルパート・パプキンにもたらされた救いとはなんなのかというと、「自分の人生に意味があったんだ」という救いです。 自分の悲惨な人生をネタにして笑ってもらえたからパプキンは救われた。 ルパート・パプキンはテレビ出演のとき自分の人生をネタにしたんです。 映画のなかでパプキンは自分の人生をネタにしたと明言してないですが、ほぼ自分の人生ををネタにしたと考えてもいいと思います。 自分の人生をベースにした自虐ネタを披露したんですね。 テレビ番組収録現場の観客は自虐ネタだと思わず、ルパート・パプキンの創作が多いんだろうなというぐらいの感じで見ていたのではないでしょうか。 本当にあった出来事をそのまま使ったとしたら、かなりきつい出来事ですからね。 でもそのきつい出来事はルパート・パプキンの身に起こった真実だったのでしょう。 観客はルパート・パプキンの話すことが本当にあった出来事ではなくフィクションだと思ったからこそ笑える話として聞くことができた。 しかし、じつはルパート・パプキンが人生で体験してきた本当の出来事だったという悲しみがあるんです。 でも ルパート・パプキンは自分の本当の出来事を観客に笑ってもらうことができたので救われたのでしょう。 笑い コメディ と恐怖 ホラー は紙一重 同じ出来事をコメディとして描くのかホラーとして描くのか。 同じ出来事が描き方の違いによってコメディにもホラーにもなる。 こういうことはよく言われていることです。 どちらかというとホラーよりというかサスペンスよりというか、半分以上はシリアスな雰囲気もあります。 映画「キングオブコメディ」を100%コメディとして描くこともできそう。 しかし「キングオブコメディ」という題材をコメディ映画として描くこと可能ですよね。 ルパート・パプキンがテレビ出演したときのトーク、収録会場の観客は素直に大笑いしていましたが、映画の鑑賞者は笑うに笑えないなんとも言えない微妙な気持ちになります。 このテレビ出演のシーンはすごいですね。 「キングオブコメディ」は狂気を描くホラーがメインでありながら、思わず笑ってしまう場面もある、すごく微妙な空気感を描くことに成功している映画なのではないでしょうか。 「キングオブコメディ」は、これからも映画史に残る名作としてタイトルが挙げられ続けるのではないでしょう。 思い出すのがコント番組でダウンタウンの浜ちゃんがキレるドッキリをしたとき怖さしか感じなかったこと。 これ浜ちゃんのキレぐあいが演技とは思えないレベルになってて、後から「実は浜ちゃんがキレたのはドッキリだったんですよ。 」と言われてもYOUたちは泣いてしまって「人間不信になる・・・」とか言ってて終わりだったかと思います。 ドッキリを仕掛けたと思ってた側が、実はドッキリを仕掛けられてたという構造になってたんですね。 これを観た時まったく面白さを感じなかったです。 ただただ浜ちゃんが怖すぎってなってしまって気分が悪くなったのを覚えています。 これ観て以来浜ちゃんがなんとなく苦手です 笑 たぶん放送する側は面白いと思ってテレビで放映したんだろうなって思うんですが、僕は怖さしか感じなかったです。 なんでこんなの放送するのかと不思議でした。 たぶん個人差あって、この逆ドッキリコントが面白いと感じた人もいるんだろうなって思います。 とまあ、笑いと恐怖は紙一重で思い出したことでした。 映画「キングオブコメディ」ネタバレあり感想まとめ ということで「キングオブコメディ」のネタバレあり感想でした。 まとめると、• 「キングオブコメディ」トッド・フィリップス監督の2019年の映画「ジョーカー」で最注目された• 主人公ルパート・パプキンの徹底した行動が狂気的でサイコパス• とことん名前を間違えられるルパート・パプキンの悲しさ。 とことんずれた「あきらめずに挑戦する」ルパート・パプキンが怖い。 ロバート・デ・ニーロの演技がすごい• 「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」の意味は、多くの人に認めてもらって自分の人生に満足したいということ。 ラストはパンプキンの妄想か事実かはマーティン・スコセッシ監督は答えていないらしい。 ラストは現代の炎上商法と似た部分がある。 パプキンは観客に笑ってもらえて救われた。 といったところです。 繰り返し観たいとは思わないですが、すごく完成度が高い名作狂気映画だと思います。 ラストの展開は驚きましたね。 パプキンのテレビ出演のネタ披露シーンは、なんともいえない絶妙な悲しさがすごかったです。 「キング・オブ・コメディ」を実質無料で見る方法 「キング・オブ・コメディ」を実質無料で見る方法があります。 もちろん違法な視聴方法ではなく、ちゃんと正しく安全安心に視聴することが可能。

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キング・オブ・コメディ(1983)のレビュー・感想・評価

キングオブコメディ 考察

気分が落ち込んだとき。 例えば、頑張って勉強してきた試験がダメだったとき。 傷つけられた自尊心。 今までの苦労が水泡に帰したという喪失感。 これからどうすればいいのか分からなくなる閉塞感。 そんなときは、一度コメディでも見て笑って、気持ちを切り替えて、再スタートするのがいいだろう。 そういうときにこそ、『キング・オブ・コメディ』という映画は最適 ……ではない。 むしろ、傷はさらに深くなり、未来への想像が胸を締めつけるだろう。 『キング・オブ・コメディ』とは、そういう映画だ。 これから本作のストーリーを追いながら、その魅力と、提起された問題について考察していく。 当然、ネタバレを含みますので、ご注意ください。 社会からの疎外感を感じているときは、あまり見ないほうがいいかもしれません。 ストーリー 序: 無名コメディアン、パプキンの押しかけ コメディ界のスターである ジェリー・ラングフォードを出待ちしているファンたち。 その中に、本作の主人公、 ルパート・パプキンもいた。 もみくちゃにされながら、なんとか車に乗り込むジェリーだったが、車の中にはファンの女が潜んでいて、抱き着かれてしまう。 パプキンは、車に潜んでいた危険な女を、ジェリーから引き離した。 その見返りにパプキンは、自分を番組に出してくれるようにジェリーに要求する。 ジェリーは、自分の事務所に連絡するように言った。 パプキンは喜び、今度ランチでも食べようと言いながら、ジェリーと別れる。 場面が変わり、パプキンとジェリーがランチをしている。 パプキンの成功を、ジェリーがねぎらっている。 さらに、ジェリーはパプキンに、自分の番組の代役を懇願する。 しかし、ランチを食べながら代役を頼まれるという場面は、 パプキンの妄想であった。 本作は、才能ある主人公が成り上がる、という話ではない。 破: パプキンの異常な営業活動 パプキンは、思い人である女性 リタに対し、自分のサインを渡す。 早くも、自分はスターになったと思いこんでいる。 リタに対し、「自分を低く見てはいけない、君はすばらしい」と言うパプキン。 セリフだけ見ればいいこと言っているのに、パプキン自身、全く評価されていないということを考えれば、滑稽である。 しかし、ただ滑稽なだけではない。 全編を通してみたとき、このセリフは哀愁を帯びる。 さっそくジェリーの事務所に連絡をとるパプキンだったが、アポイントはないと言われる。 ジェリーが「連絡して来い」と言ったのはもちろん、ただの方便、嘘であった。 追い出す口実として、「テープに自分の芸を録音して持ってくれば審査する」と言われたパプキン。 外に出ると、ジェリーの車に潜んでいた女 マーシャがいた。 実はこのふたり、最初から組んでいたのだった。 お互いに、ジェリーとの関係を作りたい、という願望があったがゆえの共謀であった。 マーシャはジェリーのストーカーである。 家に帰ったパプキンは、大勢の客が笑っている「写真」の前で、「笑い声」と「喝采」を聞きながら、一人芸を録音する。 その異様さは、視聴者に恐怖を与えることだろう。 パプキンという男は、明らかに異常だった。 繰り返す妄想と現実のサイクル。 妄想の中では、ジェリーに褒めちぎられる。 次のスターは君だ、と絶賛される。 現実では、ジェリーの事務所に行っても相手にされない。 名前すら覚えてもらえない。 いつまで経ってもジェリーに会えないので、パプキンは、ジェリーの別荘に招かれてもないのに訪れる。 そこで、パプキンはジェリーに手痛く追い出された。 ついに、パプキンは現実を突きつけられてしまった。 見ていられないのが、招待されたと嘘をつかれて付いてきたリタである。 楽しく踊ったりしていたのに、どうやら招かれていないということに気づくリタ。 パプキンの妄想世界に踊らされ、恥をかいてしまう。 恐怖である。 急: 誘拐と脅迫 パプキンは、ついに最終手段をとった。 ストーカーの女マーシャと共に、ジェリーを誘拐したのだ。 ジェリーの命と引き換えに、番組出演を約束させる。 交渉が成立し、テレビ局へと出向く。 FBIがテレビ局で待ち構えていても、 パプキンは動じない。 収録が終わると、リタの働く酒場で、その放送を見る。 パプキンのトークの内容は、自分の半生を面白おかしくしたものだった。 パプキンは、父親に相手にされなかったという悲しき過去を持っていた。 「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」と、彼は言った。 その後、逮捕されたパプキンだったが、衝撃のデビューが脚光を浴び、獄中で書いた本がバカ売れ。 仮釈放を経て、喝采の中、パプキンはテレビに出演する。 それが果たして現実か妄想かは、分からない。 考察 1 パプキンという男 パプキンは、コメディアンになって世に認められるためなら、手段を選ばない。 なにがそこまで彼を掻き立てるのか。 それは、 絶対にあると信じて疑わない、自分の才能だ。 リタに言った「自分を低く見てはいけない、君はすばらしい」というセリフは、自身にも言い聞かせていることでもあっただろう。 自己暗示が強すぎて、もはや暗示であることも忘れているという状態である。 手段は確かに間違っている。 しかし、 その情熱と信念を否定することは、誰にもできないはずである。 さらに、 彼が語った番組内でのトークは、彼の偽らざる半生である、と判断できる。 父に無視されながらも、なんとか生きてきたという事実だ。 そこに、同情の余地が生ずる。 彼は、 自分の信じる才能を正しく生かすために、努力していたにすぎない。 その方法は間違っていた。 だが、それはおそらく彼の出生に原因がある。 彼は、 親から十分な教育と愛情を受けることができなかったために、手段を誤ったのだ。 同様のことは、パプキンの共犯者であるマーシャにも言える。 彼女もまた、愛を知らずに育った人物だ。 だからこそ、パプキンは名声を、マーシャはジェリーからの愛を求める。 彼らは加害者でもあり、被害者でもあると言える。 これは、現代社会においても、依然として同様の問題があるといえるのではないか。 社会に認められない者は、どこへ行けばいいのか? そうした人間の根底にある問題が、物語としての「深み」を作っている。 2 物語の構成について 本作は、パプキンが世に認められる(犯罪者として、ではあるが)というところで終了する。 しかし、それは本当に現実だろうか? 本作は、物語の構成、展開として、現実と、パプキンの妄想を繰り返している。 そして、パプキンの成功は、すべて妄想として処理されてきた。 今までの法則からすれば、 最後の成功もまた、妄想だと考えられる。 彼の番組出演シーンの長回しでは、観客の笑い声が、過剰なくらい起こっている。 しかし、それはパプキンの芸が世間に認められたこととは関係がない。 笑い声を挿入することでなんとか番組として成立させようとする製作者の意図であって、実際にパプキンの芸がおもしろかったかどうかとは別の話になる。 もしくは、あの笑い声自体も、パプキンの妄想であるかもしれない。 さらに、逮捕したFBI捜査官がパプキンに対し、「あの脚本はひどい」と酷評している。 これが民主的意見の代弁であるとすれば、パプキンが、コメディアンとして認められたとは考えにくい。 以上を踏まえれば、最後の成功体験はパプキンの妄想であると判断できる。 では、 成功体験が現実だとすればどうか。 パプキンの芸の程度はともかく、センセーショナルな登場であったのは間違いない。 犯罪者が獄中で本を出し、それがヒットするというシーンを見て、私は酒鬼薔薇聖人の事件を想起した。 犯罪者だろうが、世間の興味を引くことができれば、売れるのだ。 それを鑑みれば、パプキンの芸がいくらお粗末だろうが、 成功したという現実があってもおかしくはないと思われる。 もちろん、パプキンの芸そのものによって売れたことも完全に否定はできない。 このように、エンディングで「実際はどうなのか」を分からなくし、 考察の余地を残すことで、物語は深みを増す。 本作から学ぶべき教訓 ・単なる異常者として描くのではなく、背景を持たせること。 それにより、キャラクターに奥行きが生まれる。 ・作品のラストを曖昧にすることで考察の余地がうまれ、作品に深みが増す。 『キング・オブ・コメディ』という見事なタイトル詐欺にひっかかってしまった私は、傷ついた心をさらにえぐられたわけですが、その分パプキンへの共感が深くなり、より作品を楽しめたのかな、と思っています。 「社会から認められていないという感覚」は、現代において「死に至る病」であり、人を狂わせるのです。 landmarks.

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