ヤマギシ 会。 洗脳の楽園―ヤマギシ会という悲劇 (宝島社文庫)

ヤマギシ会はまだやっていた — 島田 裕巳

ヤマギシ 会

ヤマギシについて。 私は多分生まれたころから 小学生低学年まで ヤマギシというところで生活していました。 ずっと同じヤマギシにいたわけではなく 3? つくらいのヤマギシにいました。 要は引越し 私がヤマギシにいたころの思い出としては 「楽しかった」これだけです。 住んでいた私からすれば そんなことはまったく思っていなかったので とても驚きました。 「ヤマギシにはいると一生出られない」 なんていうことを見つけましたが私は 現にヤマギシから出て一般の生活をしています。 私の他にも私達家族のような ヤマギシから出て一般の生活をしている人を たくさんみています。 ヤマギシから出たときは一文無し というわけではなく 祖母が残してくれた株を売ってそのお金で 家を買いました ローンなし なので世間に出回ってるヤマギシの評判? には 疑問を感じてしまいます・・。 なぜヤマギシにはこのような悪い評判がつきまとっているんでしょうか? ちなみに私がヤマギシにいたのは 1995~2003年ごろです。 補足mamatoryoさん そうだったんですか。 ありがとうございます>< 私がいたのは広島と栃木と兵庫? です miehiyo920さん 母に聞くと最初の裁判から10年以上たっていたので 財産などはある程度は返してもらえたそうです 閉鎖的と言わればそうかもしれないんですが 暮らしている私からしたら旅行とかも 行ってましたからそういう感じはしませんでした 具体的にどこが閉鎖的なんでしょうか・・?>< あと山梨の某教団とはなんですか?.

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洗脳の楽園―ヤマギシ会という悲劇 (宝島社文庫)

ヤマギシ 会

ヤマギシ会は、正式には「幸福会ヤマギシ会」という名称の組織で、農事組合法人という法人格を与えられた組織です。 」とされています。 ヤマギシの有精卵は、通販などでも人気らしいですが、これらの農業関連事業の影響か? 最近は「エコビレッジ」の先駆者として評価されることもあったりするヤマギシ会ですが、ヤマギシ会は「幸福会ヤマギシ会」の通称で、1953年(昭和28年)に山岸巳代蔵によって最初は「山岸式養鶏会」として設立されました。 ヤマギシ会の特徴は、「所有の概念を全否定」して「無所有一体」の生活を送ることを、その信条としている点で 一般の人々からは、1960年代のアメリカに存在した「ヒッピー」や「アーミッシュ」に類似した生活共同体などと捉えられることが多いと思います。 そんな、ヤマギシ会は、現在日本国内の26ヶ所で約1500人の人々が共同生活をしていると言われています。 また、日本の他にもブラジルやスイス・韓国・オーストラリア・アメリカ・タイなどに6ヶ所の拠点があり、約50000人の会員が共同で生活しています。 ヤマギシ会の創設者である「山岸巳代蔵」(やまぎし みよぞう)は、1901年(明治34年)に、滋賀県蒲生郡、現在の近江八幡市で生まれています。 1922年に養鶏業などを中心とした農業を始めた山岸巳代蔵は、1950年に日本に被害をもたらしたジェーン台風の際、彼の田んぼが被害を受けず無事だったことがキッカケになって その後全国各地で講演をしてまわるようになります。 また、1954年には「山岸式養鶏法・農業養鶏編(前編)」という題名の本を、名古屋の出版社から出版していますので卵や鶏についてこだわりを持っていたと思われます。 今でも、ヤマギシ会の通販サイトでは、 ・平飼い有精卵 ・平飼い有精卵15個 ・平飼い有精卵 M ・平飼い有精卵 L ・10K有精卵 ・卵油 90 ・卵油 200 等のさまざまな卵製品が販売されています。 ヤマギシ会の前身である「山岸会」を創立したのは1952年ですが、1959年に不法監禁容疑で警察の強制捜査を受けて、幹部が9人逮捕されました。 山岸会の代表であった山岸本人にも逮捕状が出されましたが、後に起訴猶予処分となっています。 ちなみに、警察の強制捜査や山岸会幹部逮捕の舞台となったのは、1958年に建設されていた、三重県阿山郡伊賀町(現在の伊賀市)の「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」でした。 ヤマギシズム社会実顕地とは、ヤマギシ会がヤマギシズム(「心も物も充ち満ちた真の幸福社会」を追求すること)を実践する場として運営しています。 ヤマギシズム社会実顕地は、現在日本国内に26ヶ所・海外に7ヶ所設けられていて、「一体生活」や「『財布ひとつ』の生活」と彼らが説明する生活が営まれており、同時に農業や畜産、林業などが行われています。 「一体生活」や「『財布ひとつ』の生活」と言われても一般の人には良く分かりませんが、おそらくは「原始共産制」的な生活のことだと思われます。 では仮に、自分も「ヤマギシズム社会実顕地」に参加して生活したい、と思ったらどうすればいいのでしょうか? 「ヤマギシズム社会実顕地」に参加して生活するには、それなりの時間が必要で、すぐにメンバーになれるという訳ではないようです。 具体的な参加方法は、以下のような感じです。 ・まず、2週間のセミナー(研鑽学校)を受講します。 (ここで参加の諾否が決まるもようです。 ) ・そして、参画が許されたら、その後半年間を「予備寮」という施設で過ごさねばなりません。 (予備寮の入寮者の中には、半年の間に不適格と判断されて実顕地を去る人もいるらしいです。 ) 半年間の「予備寮」を経て、ヤマギシズム社会実顕地への参加が許された暁には、一体どんな生活が待っているのでしょうか?興味があります。 ヤマギシズム社会実顕地の中では貨幣が流通・存在しません。 じつは、ヤマギシズム社会実顕地の内部で生活する前に、私有財産すべてをヤマギシ会に無条件で委任する必要があります。 具体的には、「ヤマギシズム生活調正機関本庁」という部署に宛てて、 「物件、有形、無形財、及び権益の一切を、権利書、証書、添付の上、ヤマギシズム生活調整機関に無条件委任致します」 との誓約書への署名捺印を求められるんです。 さらに、ヤマギシズム社会実顕地から去る場合には、委任した財産について 「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」 と書かれた書面への署名捺印を求められるようです。 これに関しては、いろんな情報が漏れ流れていて、 ・財産を多く持ち込んだ人は、特別待遇を受けたり ・財産を放棄させる一方で、相続人の地位は放棄しないよう通達を出していたり ・内部での労働に賃金は支払われないが(帳簿上は支払われていることになっていて)実顕地を去った場合には帳簿上の収入に基づき税金が請求される。 などの現実があるようです。 そして、実際に実顕地の中で暮らした経験者の話によれば、以下のような日常のようです。 ・男性女性を含め人間関係は希薄で「ヤマギシに友人はありません」という標語が存在する。 ・労働は厳しい面もある一方で経済的な不安とは無縁。 ・組織の意思決定の過程や、意思決定の参加者も明かされない。 ・男性女性を含めすべての役目は半年ごとに再決定される建前だが、なかには留任するケースもあり権力が特定人に固定されることもある。 ・男性と女性の結婚を統括する結婚調整機関が存在する。 ・勤勉な男性には「結婚する資格」が付与されるが、いつまでも結婚できない者もいる。 ・集団の中で、どの男性とどの女性が夫婦なのかわかりにくい。 ・食事は1日2食で食堂がオープンしている間にいつでも食事できる。 料理をもち帰って自分の部屋で食べてもOK。 ・診療所もあり(ヤマギシ会参画者の)医師が常駐するが、病気になれば近隣の病院に通院する。 (医療費はヤマギシ会負担) ・住居は、男性と女性の夫婦二人で6畳1部屋か2部屋で家賃は不要。 ドアにカギは無い。 ヤマギシ会の中では、高齢者のことを「老蘇」(おいそ)と呼びます。 これは、「老いてますます蘇る」という意味を込めてそう呼んでいるそうです。 現在、ヤマギシズム社会実顕地の中に、老人ホームのような施設が存在するかどうかは不明ですが、実顕地内の取材経験者によれば、 「ヤマギシ会は日本が迎えている高齢化社会時代における理想的なモデルケースと言える。 」 「日本に存在する自主的な一定の社会集団のなかで、高齢者をこれだけ抱え込んでいる集団は他にはない。 」 と述べています。 確かに、設備や条件が整った老人ホームは入居費が高く、入りたくても入れない高齢者が多い日本の現状を考えると、高齢者にとっては安心して暮らせる環境があるのかも知れないですね。 現在ヤマギシ会の中では、結婚はどのように行われるのでしょうか。 社会実顕地には結婚を調整する機関があって、結婚は担当者からの「提案」に基づく結婚です。 (自主的な結婚は難しい?というか無理なようです。 ) また提案を拒否すると、変なレッテルが貼られることもあるようです。 担当者によれば、 ・20代前半の女性と30~40代の男性というパターンが多い。 ・若い女の子の方が優秀な子どもを産む。 ・男は何歳でもいい。 などの考えのもの調整されているようです。 また、担当者は出産にも関与し、出産の許可がおりるとコンドームが支給されなくなります。 中には「今回は産まないことにしましょう」と担当者が中絶を促すこともあり、高齢女性のケースには中絶になることが多いとのことです。

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ヤマギシについて。

ヤマギシ 会

ふと、ヤマギシ会はどうなっているのだろうかと気になった。 ヤマギシ会は、日本で最大のコミューン、共同体であり、理想社会の実現をその組織の目的としてきた。 創立は1953年のことで、ちょうど今年で60年になる。 私は、大学時代にヤマギシ会に関心をもち、宗教学のゼミでの調査をきっかけに、近づき、その運動に共鳴して、メンバーになったことがあった。 今から40年近く前のことである。 ヤマギシ会の共同体で生活していた期間は7カ月と短かったものの、その後も、ヤマギシ会を出てきた人間たちが中心になった、共同体つくりの運動に参加し、そのあいだはヤマギシ会ともかかわりをもった。 当時のヤマギシ会には、学生運動に参加した経験をもつ若い人間が多かった。 ヤマギシ会は、1959年に「ヤマギシ会事件」を起こし、世間の注目を集めたが、それによって危険な団体とも見なされ、一時、運動は停滞した。 ところが、学生運動崩れが多数参加することで、60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ユニークな運動体として注目を集めたのだった。 ただ、当時は、急激にメンバーが増え、しかも出入りが激しかったことから、組織は安定せず、方向性も定まっていなかった。 生活も貧しく、私が住んでいたところも、工事用のプレハブを安く買ってきたようなもので、冬の寒さをしのげるようなものではなかった。 私が抜けた後、ヤマギシ会は、農業産業の方向へ大きく舵を切った。 若いメンバーは、朝から晩まで熱心に働くようになる。 そして、都会の主婦層から、ヤマギシ会の農場で生産される卵や鶏肉が自然で安全な食品ということで需要が生まれ、共同体の規模は拡大していった。 とくに、日本がバブル経済に突入した80年代半ばから、農業産業としてヤマギシ会は大きく発展し、その勢いはバブルが弾けても衰えなかった。 もっとも拡大した1998年の時点では、全国に39箇所の「実顕地」と呼ばれる共同体をもち、メンバーの数は4400人にも達した。 毎年5月には、生産した食品をただで来場者に食べさせる「春まつり(名称は年によって散財まつり、タダのまつりなどに変わった)」を行い、そこには10万人もの人が訪れた。 日本でも、農業の協同化の必要性が説かれ、それによって経済効率を高めていくことが不可欠だと言われてきたが、なかなかそれが実現しなかった。 ヤマギシ会は、「無所有一体」という理念を掲げ、私的所有を否定して、メンバーに給与を与えない仕組みを作り上げることで、その課題に一つの答えを与えた。 拡大の続いていた時代には、社会的に多くの注目を集め、マスメディアでもさかんに取り上げられた。 ところが、急激な拡大はひずみも生む。 ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。 それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。 国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響した。 それによって、ヤマギシ会は大打撃を受け、生産している食品が売れなくなるという事態に直面した。 こうしたヤマギシ会の盛衰について、私は『無欲のすすめ』(角川oneテーマ21)という本に書いたこともある。 大きく発展していたり、事件性があれば取り上げられるが、バッシング後のヤマギシ会については、ほとんど報道がなされなくなり、社会的な注目を集めることもなくなった。 私のところにも情報が入らなくなっていた。 それで、ふと、ヤマギシ会のことが気になったのである。 その後、たまたまヤマギシ会のメンバーと会う機会があり、現状について尋ねてみたところ、この3月にヤマギシ会の現状を含めて紹介した本が出ることを教えられた。 著者は社会主義者で、その観点から、ヤマギシ会の歴史と現状、そしてその意義について論じている。 この本を見ると、ヤマギシ会の規模は最盛期の半分程度になったものの、依然として農業産業として健在であることが分かった。 『週刊東洋経済』が昨年「農業で稼ぐ」(7月28日号)という特集を組んだとき、農事組合法人のランキングを載せていたが、ヤマギシ会の豊里実顕地(ヤマギシズム生活豊里実顕地農事組合法人)は第2位にランクされていた。 しかも、もう一つの拠点である春日山実顕地(ヤマギシズム春日農事組合法人)もランクインしており、両者を合わせれば、ヤマギシ会は日本一の農事組合法人である。 ヤマギシ会の現状について評価を下すには、その実態を見定める必要はあるだろう。 しかし、ヤマギシ会が農業ということを核にすえていることは、組織としての最大の強みである。 最近では、実顕地で行われる「朝市」なるものに一般の人たちが集まるようにもなってきているらしい。 ネットショップも開いており、ヤマギシ会と社会とは食品を通してつながっている。 ヤマギシ会に入ったメンバーは、私のように脱退しなければ、生涯実顕地のなかで生活する。 80歳になると、「老蘇」というグループのなかで悠々自適の生活を送るようになる。 そこには、老後の不安はない。 さまざまな点で、私たちは今一度、ヤマギシ会のあり方に注目する必要があるのかもしれない。 島田 裕巳 宗教学者、文筆家.

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