のたまう 類語。 のたまうの意味とは?尊敬語?それとも嫌味な皮肉?類語や使い方を解説!

「指針」の意味と使い方・例文・「方針」「指標」「目標」との違いは?現役記者がサクッと解説!

のたまう 類語

「あの人はいけしゃあしゃあとして気に入らない」「いけしゃあしゃあとした態度を取ってしまった」など、日常会話の中で耳にすることのある「いけしゃあしゃあ」という言葉。 この言葉にはそもそもどのような意味があり、どのような場面で使うのか、あなたは詳しく知っていますか? 何となくのニュアンスで使っていると、思わぬところで間違いを指摘されてしまい、赤っ恥をかいてしまうかもしれません。 そのため、この機会に「」の意味や使い方について再確認しておきましょう! いけしゃあしゃあって聞いたことある? あなたは「いけしゃあしゃあ」という言葉を聞いたことがありますか? 「いけしゃあしゃあ」という言葉自体を知らない人では、誰かがそれを口にしているのを聞いた時に、「え?なんていったの?」と不思議に思うことでしょう。 それほど言葉の響きは不思議であり、何を意味する言葉なのか想像がつかないという人もいるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」という言葉の響きは、少々乱暴なイメージがあり、また方言のようなイメージもあるでしょう。 その言葉を知っている人からすればごく当たり前の言葉であり、知らない人からすればまったく何を意味するのか予想もつかないのが、「いけしゃあしゃあ」なのです。 子どもなら「いけしゃあしゃあ」を知らなくてもおかしくはありませんが、大人であれば当たり前に知っておきたい言葉の1つでもありますので、意味や使い方をよく知らないという人はこの機会にぜひ「いけしゃあしゃあ」について身に付けておきましょう。 最近の若者はあまり使わないかも? 「いけしゃあしゃあ」は、年配の人やある程度の年齢になった人が使うことの多い言葉です。 お年寄りの友人同士で話をしている時に、「あの人は昔からいけしゃあしゃあとして変わらないね」などと口にしているのを耳にすることがあるでしょう。 また、会社の上司が「あいつは本当にいけしゃあしゃあとした態度をしているな、どうにかならないのか。 」などと、愚痴を零しているのを聞いたことがある人もいるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」は、ある程度の年齢の人は当たり前に使っていますが、最近の若者が使っている姿はあまり目にすることがないでしょう。 10代や20代の人は普段からあまり「いけしゃあしゃあ」という言葉を使いませんので、若い人が実際に使っているのを聞いたら、違和感を覚えたり、感心したりすることがあるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」の意味は後述しますが、場合によっては若い人がいけしゃあしゃあとした態度を取ることもありますので、上の世代の人から若い人に対して「いけしゃあしゃあ」という言葉を使われることはあっても、当の若い人たちがそれを使うことはあまりありません。 いけしゃあしゃあの解説 「いけしゃあしゃあ」という言葉を使うには、まずはその言葉の意味を詳しく知らなければなりません。 言葉の本来の意味は知らずに、周りの人が使っているからと何となくのニュアンスで言葉を使うことはありますが、それはあくまでも言葉の響きから何となくその意味が想像出来る場合に限られます。 一方で、「いけしゃあしゃあ」という言葉の場合には、言葉の響きからその意味を推測することが難しいでしょう。 ひらがなで表されていることもあり、知らない人にとっては一体どんな意味で周りの人たちが使っているのかが分からないため、他の言葉のように「なんとなく」のニュアンスで使うことも困難でしょう。 「いけしゃあしゃあ」を使う時には、その言葉を口にしている人は憎々し気な表情をしていたり、不愉快そうな表情をしていたりすることが多いため、何となく「良い意味の言葉ではないのだろうな」ということは想像出来ても、おいそれと意味を知らないままに口にすることは出来ないでしょう。 もし意味をよく知らずに言葉を使ってしまえば、恥を掻くのは自分自身です。 恥を掻くことなく、適切な場面で言葉を使いこなすことが出来るように、まずは「いけしゃあしゃあ」という言葉について解説していきます。 いけしゃあしゃあの意味 「いけしゃあしゃあ」とは、恥ずかし気もなく事を行う様子を、罵りを込めて言う表現です。 例えば公共の場でゴミのポイ捨てをしている人や、平気な顔をして歩きたばこをしている人などに対して、「いけしゃあしゃあとしている」などと表現することがあります。 「いけしゃあしゃあ」は罵りの気持ちが込められている言葉ですので、この言葉を使う時には、使う人は大抵怒りや苦笑など、不愉快な感情を顔に浮かべていることが多いです。 そのため「いけしゃあしゃあ」と言われている本人も、相手の不愉快な感情を敏感に受け取りやすく、それに気まずさを感じたり、もしくは反対に苛立ちを感じたりすることがあります。 憎らしいほどに平気でいる様子 「いけしゃあしゃあ」には、「憎らしいほど平気でいる様子」という意味があります。 「憎らしいほど」という言葉が付いているため、相手に対する罵りや不愉快な感情が明確に言葉の中に表されています。 「憎らしい」といった言葉を使ったものには他にも「子憎たらしい」「可愛さ余って憎さ100倍」などがありますが、これらは純粋に憎々しいといった感情を込めて使われることもあれば、ちょっと皮肉っぽく使ったり、冗談っぽく使ったりすることもあります。 一方で、「いけしゃあしゃあ」の場合には、本心から相手を憎たらしく思っている時に使うことが多いです。 「憎らしいほどに平気でいる様子」とは、普通であればとても平気ではいられないような場面で平気な顔をしている時に使います。 例えば悪いことをして親や周りの人から怒られているのに素知らぬ顔をしている人や、会社で上司に説教されているのに、まったくそれが堪えておらず、「気にしていない」といった平気な顔をしている人に対して使います。 また、公共の場で皆の迷惑になる行為を堂々としていたり、周りの非難や白い目を一切気にしないかのような平気な様でいる人に対しても、「なんていけしゃあしゃあとしているのだろう」などと使うことがあります。 癪に触るほど平然としている様子 「癇に触る」とは、「気に入らないで腹立たしく思うさま」という意味です。 よく「あいつは癇に触る」などと使うことがありますが、要するに「見ていると腹が立つ」「言動」にイラついて仕方がない」といった意味で使われています。 「癇に触る」という言葉を使う人は、相手に少しの可愛らしさも感じておらず、純粋に敵意や悪意、苛立ちなどの感情を持っていますので、誰かに「癇に触る」と言われたら、それは本心から「あなたは腹の立つ人だ」と言われていることになるでしょう。 そして「いけしゃあしゃあ」とは、「癇に触るほど平然としている様子」という意味もありますので、「見ていると苛立たしくなるほどに平然としている様子」となります。 例えば車を運転している時に、強引に横から入ってきてお礼のハザードもたかない車や、並んでいる列に横入りしてきて平気でいる人のように、非常識な行動を平気で行う人に対して、このような感情を抱くことがあるでしょう。 私たちにはそれぞれ、頭の中に自分の常識を持っています。 それは世間一般で言われている常識もあれば、自分の性格から考え出された独自の常識もあります。 例えばある人にとっては、「電車の席は身障者や年配者に譲るものだから、例え空いていても優先席には座らない」というのが常識でも、別のある人にとっては「空いている時なら優先席に座ってもいい」というのが常識の場合もあります。 この個人が思う常識を他人に対して押し付けてしまうような人は、それに相応しくない行動をとる人に対して何かと癇に触り、「いけしゃあしゃあ」に思えてしまうかもしれません。 いけしゃあしゃあの語源 「いけしゃあしゃあ」には、語源があります。 元々「いけしゃあしゃあ」という言葉があったわけではなく、ある2つの言葉が組み合わさって「いけしゃあしゃあ」になっています。 その2つの言葉とは、「いけ」と「しゃあしゃあ」です。 「いけしゃあしゃあ」の成り立ちについて、詳しくご紹介していきます。 いけの意味 「いけ」は、その言葉だけで使うことはありません。 「いけ」は接頭語であるため、他の言葉の頭にくっ付けて使う形になっています。 「いけ」という言葉には、一緒にくっ付けて使う言葉を強調する意味合いがありますので、何かの言葉を強調したい時には、言葉の前に「いけ」を付ければ良いでしょう。 とはいえ、どんな言葉に付けても良いというわけではありません。 分かりやすく言えば、「いけ」をつけて使っていいのは「いけしゃあしゃあ」「いけ好かない」「いけしつこい」などで、それ以外の言葉には普通は付けることはしません。 卑しめるという意味を持たせる 「いけ」は「卑しめる」という意味を持たせます。 「卑しめる」はそもそも「下品な、取るに足りないものとして見下げる」「軽蔑する・蔑む」などの意味がありますので、相手に対して本心から嫌だと思う気持ちや、卑しめる意図がある場合に「いけ」を付けた言葉を使います。 つまりはそれだけ相手の事を軽蔑していたり、見下していたりするということでもありますので、心底相手を嫌だと思う気持ちがある人でなければ簡単には使う言葉ではないでしょう。 「いけ好かない」という言葉も、「好かない」だけで使われることはあまりなく、大抵は「あの人はいけ好かない」などと接頭語が付いた状態で使われます。 「いけ好かない」とは、相手のことを心底気に入らない、嫌いだという気持ちの表れですので、性格的に自分とどうしても合わない相手や、言動がいちいち自分の癇に触って仕方がないような相手に対して用いられることが多いでしょう。 しゃあしゃあの意味 「いけしゃあしゃあ」の「いけ」が接頭語で、相手を卑しめる意味を持たせるのであれば、「しゃあしゃあ」にはどのような意味があるのでしょうか? 「しゃあしゃあ」は、言葉の響きからも分かるように、昔からの標準語というわけではありません。 また、「いけ」という接頭語は関東方面の方言だとされていますので、「しゃあしゃあ」も同じく関東方面の方言であり、江戸時代頃から使われ始めたとする説があります。 「しゃあしゃあ」には「図々しい」「厚かましい」などの意味があるとされています。 しゃあしゃあは俗語 「しゃあしゃあ」は、江戸時代に庶民の間で生まれた言葉であるため、標準語ではなく俗語の種類になります。 江戸時代の庶民たちが、日常会話の中で育んできた言葉であるため、いかにも標準語とは思えない言葉の響きや、少々乱暴な感情の込められた言葉になっています。 現代では「いけしゃあしゃあ」という言葉は公式の辞書にもきちんとその意味が載っていますが、元が俗語であることや、関東方面の方言であったことからも、「いけしゃあしゃあ」という言葉自体を知らないという人がいても、おかしな話ではないのでしょう。 「いけしゃあしゃあ」のように、元は標準語として存在しない言葉でも、庶民の間で育まれるようになった俗語が後に公式の辞書に登録されることは珍しいことではありません。 図々しい 「しゃあしゃあ」には、「図々しい」という意味が込められています。 「図々しい」とは「人に迷惑をかけても平気でいるさま」といった意味がありますので、例えば皆が並んでいる列に平気で横入りをしてくるような人のことを、「図々しい人だなぁ」などと言うことがあります。 図々しい人は、他人に平気で迷惑をかける行為を行いますが、それが他人の迷惑になっていることには無自覚なことが多いです。 例え直接誰かに「図々しいですよ」と注意されたとしても、それに対して素直に謝罪をするような人はそもそも図々しい行為をしませんので、図々しい人は人に注意をされてもそれに知らんぷりをするか、余計に反発するかのどちらかでしょう。 図々しい人はそれだけ自分勝手で自己中心的な性格をしていることが多いです。 そのためもし誰かに「いけしゃあしゃあとしているね」と言われた時には、「図々しい性格をしているね」と言われていることでもあるので、悪い感情を向けられているでしょう。 厚かましい 「しゃしゃあ」には、「厚かましい」という意味もあります。 「厚かましい」とは「行動や態度に慎みがなく、ずうずうしいさま」です。 日本人は外国人に比べると行動や態度に慎みを持っている人が多いです。 それは日本人が持つ特有の恥の文化から来ていますが、最近は行動や態度にそうした慎みを持たない人が昔よりも増えています。 ひと昔前までは、日本という社会全体が慎みを大切にし、恥の文化を尊重してきました。 そのため誰かが恥知らずな行動をとろうとしたり、また慎みのない言動をしようとしたなら、周りの人たちから総出で責められたり叩かれたりして、そうした行動をしないようにと当たり前のように教育されていました。 しかし現代ではそのような教育をしなくなっているため、人によっては恥知らずな行動を平気でしたり、慎みのない態度をとったりする人が増えています。 社会に囚われることなく、自分で好きなように生きることが尊重されるようになった反面、日本人が持つ奥ゆかしさや他人への気遣いといった、良い部分も伝わらなくなってきているため、他人に迷惑をかけても平気な厚かましい人が増えているのです。 もちろん日本人全体で見れば、厚かましい態度を取る人はそこまで多くはないのでしょう。 しかし、物事は悪いものが目立ってしまう傾向にありますので、そうした厚かましい人がいると、慎み深い人よりも存在が悪目立ちしてしまい、大きな問題のように思えてしまうことがあります。 「しゃあしゃあ」は、そうした一部の厚かましい人のことを指す言葉でもあります。 どちらも悪い意味を表わす言葉ですので、2つを合わせることによって、「より図々しい人」「とても厚かましい人」といった悪い部分が強調された言い方になりました。 この「いけしゃあしゃあ」とは、本来は何の問題もない、ごく一般的な人から性根の悪い人を見た時に使う言葉ですので、性根の悪い人が誰かに対して「いけしゃあしゃあ」という言葉を使っていても、あまり説得力はないでしょう。 「いけしゃあしゃあ」は使い方によっては悪口にもなりますが、大抵はそう言われてしまうほどに他人に迷惑をかける人に対して用いられることの多い言葉ですので、それを使う当人が責められる立場になることはあまりないでしょう。 いけしゃあしゃあの使い方 「いけしゃあしゃあ」は、どのような場面でどんなふうに使うのが正しい使い方なのでしょうか? 例え「いけしゃあしゃあ」の意味を理解していても、使い方を間違えてしまうと聞いている人に違和感を与えたり「その使い方は違うんじゃない?」と指摘されたりすることになりかねません。 そのため、正しく言葉を使うためにも、どんな場面で使うべきなのかをきちんと把握しておきましょう。 以下に例文と共に使い方をご紹介していきます。 「いけしゃあしゃあ」の使い方がよく分からないという人は、ぜひ参考にしてみてください。 いけしゃあしゃあとやってのける 他人の迷惑になるような行動を、一切周りを気にすることなくやってのける人に対して、「いけしゃあしゃあとやってのける」と使うことがあります。 例えばタクシー乗り場でタクシーに乗ろうとしていた人の横から、「ちょっと急いでいるから」と言って乗ろうとしている人を押しのけて、自分がさっさと乗ってしまう人がいるとします。 「やってのける」という言葉には、一般的な「やる」という意味ではなく、「普通ならばやらないようなことをやってしまう」といった意味が込められています。 そのため、「普通ならばやらないような、他人に迷惑をかける図々しい行為をやってしまう人」という意味で「いけしゃあしゃあとやってのける」と使っていることが多いです。 いけしゃあしゃあとした顔つき 他人に迷惑をかけておきながら、それを全く気にせずに平然とした顔をしている人に対して、「いけしゃあしゃあとした顔つき」と表現することがあります。 この場合の「いけしゃあしゃあ」とは、ふてぶてしいといった意味とも似ています。 いけしゃあしゃあとした顔つきをしている人は、「他人に迷惑をかけておきながら、普通では考えられないようなふてぶてしい態度を取っているさま」でもあるため、周りの人たちからは嫌がられたり、疎ましがられたりしている可能性が高いです。 あんなに怒られたのにいけしゃあしゃあとしている 会社の上司や親、目上の人などから散々怒られておきながら、それでも平然とした態度を取っている人に対して、「あんなに怒られたのにいけしゃあしゃあとしている」と使うことがあります。 理不尽な理由でもない限りは、自分が悪いことや失敗をして目上の人から怒られた時には、誰でも反省の態度を示します。 例え本心では反省していなかったとしても、表面上は相手の留飲を下げるために、「申し訳ありません」と頭を下げたり、謝罪の言葉を口にしたり、反省しているといった表情を浮かべたりすることでしょう。 しかし、いけしゃあしゃあとしている人の場合には、「自分が悪い」という考えが頭にないため、例えどれだけ怒られても、それで反省の意志を示すことはありません。 それどころか人によっては、「何故自分が怒られなければならないのか」と不服に思い、不満げな態度を取る人もいるでしょう。 そうした反省の無さをそのまま顔や態度に出してしまっている人は、人から怒られてもいけしゃあしゃあとした態度を崩すことがありません。 しかしそんな態度ではもちろん相手を余計に怒らせてしまうだけですので、どんどん自分が不利な状況に追い込まれたり、怒られる時間が伸びてしまったりするだけでしょう。 いけしゃあしゃあの類語 「いけしゃあしゃあ」は、「憎らしいほど平然としているさま」です。 すなわち、誰に何を言われたり思われたりしても、全然平気な様子だったり、人様に迷惑をかけても平然としていたりする人に対して用いる言葉です。 この「いけしゃあしゃあ」には、いくつかの類語があります。 現在ではとくに若い人たちで「いけしゃあしゃあ」という言葉を知らない人もいますので、そうした人を前に使う時には、「いけしゃあしゃあ」の類語を用いることもあるでしょう。 では、「いけしゃあしゃあ」にはどのような類語があるのでしょうか? 以下にご紹介していきます。 ふてぶてしい 「ふてぶてしい」は「平然と図太く構えているさま」や「憎らしいほど図々しいさま」という意味です。 そのため「いけしゃあしゃあ」とよく似た類語として、日常会話の中でも使われることが多いです。 心底相手を憎らしく思っている時や気に入らない時に使われる言葉でもありますので、「あの人は本当にふてぶてしいなぁ!」と口にする時には、その言葉の語気が強くなることも珍しくはないでしょう。 一方で、例えば猫や犬など、動物が何とも言えない構えた表情で座ったり寝ていたりするポーズを見た時に、つい「ふてぶてしいなぁ」と言葉を使うこともあります。 しかしこの場合の「ふてぶてしい」は、本心からの憎らしいという意味ではなく、「憎たらしいけれども可愛らしい」といった愛着や愛情を表現しています。 「腹が立つけど可愛い」のように、子憎らしさと可愛らしさが混在している場合には、それを口にする人の顔には笑顔が浮かんでいることが多いため、どのような意味で「ふてぶてしい」という言葉が使われているのか分からない場合には、それを言っている人の表情で判断することも出来ます。 世にはばかる 「憎まれっ子世にはばかる」ということわざを聞いたことがありますか? これは、「人から恨まれるような人間の方が、かえって世間では威勢を振るうものだ」という意味のことわざです。 例えばあなたの前に、良い人と悪い人がいるとします。 良い人は大人しくて気遣いも出来て、あなたの手を一切煩わせません。 一方で、悪い人は何かと問題ばかりを起こして、あなたに迷惑をかけて危なっかしくて目が離せない状態です。 この2人を比べた場合に、選ばれるのは常に良い人でしょう。 しかし、周りの人やあなたが常に目が離せずに意識を集中させるのは悪い人です。 つまりは、問題がある人や周りに迷惑をかける人、悪い人の方が世間から何かと注目されるのです。 それが例え悪目立ちであっても、悪い人や世間から恨まれている人の方が、良い人よりも世間では幅を利かせているということです。 「世にはばかる」とは、そんなふうに世間で威勢を振るうという意味がありますので、問題行動を起こしたり、周りに迷惑をかけたりするという点では「いけしゃあしゃあ」と意味が似ているでしょう。 けろりとして よく、「昨日はあんなに体調が悪かったのに、今朝はけろりとしている」や「散々怒られた割に本人はけろりとしている」など、何でもないことのように振舞うさまを「けろりとして」と表現することがあります。 辞書としての意味は「物事にこだわらずに平然としているさま」で、「あっけらかん」と同一視されることもあります。 ただし「あっけらかん」の場合には、本来なら恥ずかしいと思われるような行為を平気で行い、平然としている態度を指すことが多いです。 一方の「けろりとして」は、何事もなかったように平然としているさまを指しますので、同一視はされていても使い方は微妙に違っています。 「けろりとして」は、「いけしゃあしゃあ」よりも憎たらしいといった印象が感じられない言葉のため、まだ可愛げがあるような場合には「けろりとしている」という言葉を用いる方が多いでしょう。 しれっとして よく何事もなかったかのように、素知らぬ態度を取っている人に対して「しれっとしている」と表現することがあります。 この「しれっとして」とは、「何事もないような顔で攻撃的なことを言うさま」や「何事もなかったかのように平然としているさま」という意味があります。 「いけしゃあしゃあ」が開き直った憎たらしい態度であるのなら、「しれっとして」は自分のこともまるで他人ごとのように無関心に振舞っているさまを指す時に使うことが多い言葉でしょう。 恥知らず 「恥知らず」は、「恥ずべきことをしておきながら平気でいること」「厚顔なこと」などの意味があります。 普通の人であれば恥ずかしいと思うべきことでも、何でもないことのように平気な顔をしている人に対して使うことが多いです。 他人に迷惑をかけておきながら、そんな自分を恥じるどころか平気な顔をしていたり、堂々とした態度で振舞っている人に対して向けられた皮肉や敵意の込められた言葉でもあります。 臆するところがない 「臆するところがない」とは、「直前まで怖気づいたり気後れしてしまったりすることがない有様」「怖がらないで堂々としているさま」などの意味があります。 「臆するところがない」という言葉は、本当に堂々として立派なさまでいる人に対して使うこともあれば、厚顔でいけしゃあしゃあとした態度でいる人に対して使うこともあります。 いけしゃあしゃあの意味を覚えておこう 「いけしゃあしゃあ」は、今の若い人たちはあまり使わない言葉です。 そのため言葉の意味や使い方を知らないという人もいるでしょう。 実際に使わないのであれば、意味を覚えておく必要もないと思うかもしれませんが、世の中にはこの言葉を使っている人たちはたくさんいます。 そしてそんな人たちからもしも自分が「いけしゃあしゃあとしている」と言われてしまったなら、自分の行動について省みなければならないこともあるでしょう。 そのため、「いけしゃあしゃあ」の意味は覚えておいた方が良いのです。

次の

「魅入られる」の意味や読み方とは?「魅入られる」の類語・類義語8つ

のたまう 類語

皆さんは「のたまう」という言葉をきいたことがあるでしょうか。 今では、「あいつ勝手なことをのたまっている」というように、どちらかというとネガティブな意味で使われることが多い言葉ですが、本来「のたまう」は天皇を敬う言葉でした。 この記事では「のたまう」の漢字や意味、類語や「のたまう」の現代語などをご紹介します。 日本の古典文学に登場する「のたまう」 「のたまう」は日本で昔使われていた「古語」で、「源氏物語」や「枕草子」などの古典文学に「天皇が宣う(のたまう)」という使い方で頻繁に登場する言葉です。 ここでは「宣う」と「曰う」の2種類の漢字の読み方と意味の違い、古語「のたまう」と類語の「仰す」の違いと使い方についてご紹介します。 2種類ある「のたまう」の漢字 「のたまう」には「宣う」と「曰う」の意味の違う2種類の漢字があり、どちらも「言う」の古語です。 ここでは「宣う」と「曰う」の読み方と意味について解説します。 それぞれが語源がまったく違う、別の意味を持つ言葉なので、間違えて使わないように注意しましょう。 「宣う」 「のたまう」を漢字で「宣う」と書くことがあります。 「宣(せん)」という漢字の意味は「のべる。 考えを広く知らせる。 行き渡らせる」です。 「宣」を使った言葉には「宣言」「宣告」などがありますが「宣す」といった場合、「天皇が自分の意向を言うこと」をさします。 「宣う」は「宣り給ふ(のりたまふ)」が変化した敬語で、「言う」の尊敬語の「おっしゃる」と、「(相手に)申し聞かせます」の2つの意味があります。 天皇への尊敬語「仰す」と「宣う」の違い 『源氏物語』や『枕草子』などの日本古典文学の本には「帝(天皇)が仰す」という表現が頻繁に出てきます。 「仰す」と「おおす」と読み「命じる・言いつける」の意味、「宣う(のたまう)」は「宣言する」という意味で、この2つの違いを知っておいて、雑談のネタとして使うと効果的です。 「曰う」 「のたまう」に「曰う(曰ふ)」という字を当てることがあります。 「曰う(曰ふ)」は現在の言葉で「曰く」、「いわく」と読み、「言う」と「理由・わけ」の2つの意味がある漢字です。 古文の授業で出てくる論語の「子曰」は、「シ イハク」と読みます。 「子」は孔子のことで「先生」の意味、「イハク」は「言うこと」で、「先生の言うことには」と訳しますが、昔は孔子を尊敬して「子曰」を「シノノタマハク」と訓むことがありました。 ドラマや小説などで出てくる「何かわけがある」という意味の「いわくつき」は「曰く付き」と書きます。 「のたまう」の類語 「のたまう」には「おっしゃる」と「申し聞かせる」の2種類の意味がありましたが、「おっしゃる」は「尊敬語」、「申し聞かせる」は「謙譲語」です。 ここでは「尊敬語」と「謙譲語」の違いと使い方を解説します。 「尊敬語」も「謙譲語」もビジネスシーンで必ず使われますが、間違いやすい言葉なので注意しましょう。 のたまう|尊敬語と謙譲語の使い方のルール 尊敬語と謙譲語は、ある人物を「立てる」表現です。 尊敬語は「相手側や第三者の行為・ものごと・状態などについて、その人物を立てる」敬語で、謙譲語は「相手側や第三者に向かう行為・ものごとなどについて、その向かう先を立てる」敬語です。 尊敬語と謙譲語には「自分側は立てず、 相手側を立てて述べる」「第三者については、その人物や場面などを総合的に判断して、立てる方がふさわしい場合は立てる」という共通したルールがありますが、ここではそれぞれの特徴と使用例をあげてわかりやすく説明します。 日常会話に使われる尊敬語 尊敬語は話し手が聞き手の動作・状態などを、そのまま高める表現で、「いらっしゃる」や「めしあがる」などが代表的ですが、さらにいくつかの種類があります。 「お買い物」や「ご案内」のように、名詞に「お」「ご」をつけた言葉 2. 「書かれる」「来られた」のような動詞に助動詞「れる」「られる」をつけた言葉 3. 「お読みになる」「お越しになる」のように、動詞の前後に「お になる」をつけた言葉 日常会話で使われる言葉ですから必ず覚えておきましょう。 間違えやすい尊敬語2例 ここでは間違いやすい尊敬語の使い方を2つ例をあげます。 この用法は「二重敬語」と呼ばれ、日常でも使ってしまうことがあるので注意してください。 「お」や「ご」と「する」「なる」はワンセットで使うと覚えればよいでしょう。 ビジネスで頻繁に使われる謙譲語 ビジネスでも頻繁に使われる謙譲語は、話し手が聞き手や話中の人に対して敬意を表すために、自分または自分の側に立つと思われるものや動作などをへりくだる表現で、「申し上げる」「いただく」「愚息」「拝見」「小宅」などがあります。 間違えやすい謙譲語2例 ビジネスの場で、よく使われる謙譲語は間違って使われることが多いので、特に間違いやすい例を2つあげて解説します。 謙譲語は尊敬語に比べて使い方が難しいので注意してください。 敬語の苦手な方にお勧めの1冊 「のたまう」は「宣る(告げ知らせる・述べる)」に、尊敬表現の「たまう」がついたものの変化した言葉です。 「言う」という意味の尊敬語や、「(偉い人の言葉を)申し聞かせる」という意味で使われていましたが、現代では、やや皮肉を込めて「大げさに言う」「オーバーな表現」などの意味で「のたまった(のたもうた)」と使われることがあります。 「のたまう」の現代語は「言う」の尊敬語の「おっしゃる」で、日常でもよく使われる言葉です。 「言う」の尊敬語「おっしゃる」 ここでは「のたまう」の現代語で、使い方を間違うことが多い「おっしゃる」の使い方をご紹介します。 「おっしゃる」「おっしゃった」「おっしゃいました」など、「言う」の尊敬語として、日常会話やビジネスの場で頻繁に使われるので、きちんと使い方をおぼえておきましょう。 使い方を間違えやすい「おっしゃる」 「おっしゃる」は「言う」の尊敬語で、意味は「言われる」「仰せられる」です。 よくある誤用の例をあげてみましょう。 非常に間違う頻度の高い言葉なので気をつけてください 「のたまう」のニュアンス 「のたまう」「のたもうた」を現代でも耳にすることがあるでしょうが、「あいつはああのたもうた」や「酒に酔ってのたもうた」など、「大言壮語する」「大げさに言う」などの否定的なニュアンスで使われていることが多いです。 ここでは、現代の「のたまう」が使われていることが多い場面と、それと似たニュアンスで使われている「ほざく」という言葉にについてみていきましょう。 皮肉めいたニュアンスの「のたまう」 「のたまう」に近いニュアンスの言葉「ほざく」 現在の「のたまう」に近いニュアンスの言葉に「ほざく」があります。 「勝手なことをほざくな」「ほざいてやがる」など、他人がものを言うのをののしる時に使う言葉なので、ビジネスの場で使うことがないようにしましょう。 「のたまう」について知っておくメリット3つ 今回は、古語「のたまう」について、意味や使い方、類語や現代語をご紹介しました。 「のたまう」という言葉について知っておくメリットを3つあげておきます。 現代では皮肉めいた意味で使われることが多い「のたまう」ですが、本来の意味を知って、ちょっとした雑談のネタに使うと、周囲に「すごい」と尊敬されます。 「のたまう」の現代語にあたる「おっしゃる」は、間違えられやすい言葉なので、正しく使えば目上の人に喜ばれます。 「のたまう」の類語の「言う」「おっしゃる」「申し上げる」などの類語をたくさん知っておくと、メールを書く時や文書作成が楽になります。 「のたまう」をはじめ、いろいろな古語を知ってビジネスに活かしましょう。

次の

「のたまう」の意味と使い方・漢字・類語・敬語・現代語|ほざく

のたまう 類語

「あの人はいけしゃあしゃあとして気に入らない」「いけしゃあしゃあとした態度を取ってしまった」など、日常会話の中で耳にすることのある「いけしゃあしゃあ」という言葉。 この言葉にはそもそもどのような意味があり、どのような場面で使うのか、あなたは詳しく知っていますか? 何となくのニュアンスで使っていると、思わぬところで間違いを指摘されてしまい、赤っ恥をかいてしまうかもしれません。 そのため、この機会に「」の意味や使い方について再確認しておきましょう! いけしゃあしゃあって聞いたことある? あなたは「いけしゃあしゃあ」という言葉を聞いたことがありますか? 「いけしゃあしゃあ」という言葉自体を知らない人では、誰かがそれを口にしているのを聞いた時に、「え?なんていったの?」と不思議に思うことでしょう。 それほど言葉の響きは不思議であり、何を意味する言葉なのか想像がつかないという人もいるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」という言葉の響きは、少々乱暴なイメージがあり、また方言のようなイメージもあるでしょう。 その言葉を知っている人からすればごく当たり前の言葉であり、知らない人からすればまったく何を意味するのか予想もつかないのが、「いけしゃあしゃあ」なのです。 子どもなら「いけしゃあしゃあ」を知らなくてもおかしくはありませんが、大人であれば当たり前に知っておきたい言葉の1つでもありますので、意味や使い方をよく知らないという人はこの機会にぜひ「いけしゃあしゃあ」について身に付けておきましょう。 最近の若者はあまり使わないかも? 「いけしゃあしゃあ」は、年配の人やある程度の年齢になった人が使うことの多い言葉です。 お年寄りの友人同士で話をしている時に、「あの人は昔からいけしゃあしゃあとして変わらないね」などと口にしているのを耳にすることがあるでしょう。 また、会社の上司が「あいつは本当にいけしゃあしゃあとした態度をしているな、どうにかならないのか。 」などと、愚痴を零しているのを聞いたことがある人もいるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」は、ある程度の年齢の人は当たり前に使っていますが、最近の若者が使っている姿はあまり目にすることがないでしょう。 10代や20代の人は普段からあまり「いけしゃあしゃあ」という言葉を使いませんので、若い人が実際に使っているのを聞いたら、違和感を覚えたり、感心したりすることがあるかもしれません。 「いけしゃあしゃあ」の意味は後述しますが、場合によっては若い人がいけしゃあしゃあとした態度を取ることもありますので、上の世代の人から若い人に対して「いけしゃあしゃあ」という言葉を使われることはあっても、当の若い人たちがそれを使うことはあまりありません。 いけしゃあしゃあの解説 「いけしゃあしゃあ」という言葉を使うには、まずはその言葉の意味を詳しく知らなければなりません。 言葉の本来の意味は知らずに、周りの人が使っているからと何となくのニュアンスで言葉を使うことはありますが、それはあくまでも言葉の響きから何となくその意味が想像出来る場合に限られます。 一方で、「いけしゃあしゃあ」という言葉の場合には、言葉の響きからその意味を推測することが難しいでしょう。 ひらがなで表されていることもあり、知らない人にとっては一体どんな意味で周りの人たちが使っているのかが分からないため、他の言葉のように「なんとなく」のニュアンスで使うことも困難でしょう。 「いけしゃあしゃあ」を使う時には、その言葉を口にしている人は憎々し気な表情をしていたり、不愉快そうな表情をしていたりすることが多いため、何となく「良い意味の言葉ではないのだろうな」ということは想像出来ても、おいそれと意味を知らないままに口にすることは出来ないでしょう。 もし意味をよく知らずに言葉を使ってしまえば、恥を掻くのは自分自身です。 恥を掻くことなく、適切な場面で言葉を使いこなすことが出来るように、まずは「いけしゃあしゃあ」という言葉について解説していきます。 いけしゃあしゃあの意味 「いけしゃあしゃあ」とは、恥ずかし気もなく事を行う様子を、罵りを込めて言う表現です。 例えば公共の場でゴミのポイ捨てをしている人や、平気な顔をして歩きたばこをしている人などに対して、「いけしゃあしゃあとしている」などと表現することがあります。 「いけしゃあしゃあ」は罵りの気持ちが込められている言葉ですので、この言葉を使う時には、使う人は大抵怒りや苦笑など、不愉快な感情を顔に浮かべていることが多いです。 そのため「いけしゃあしゃあ」と言われている本人も、相手の不愉快な感情を敏感に受け取りやすく、それに気まずさを感じたり、もしくは反対に苛立ちを感じたりすることがあります。 憎らしいほどに平気でいる様子 「いけしゃあしゃあ」には、「憎らしいほど平気でいる様子」という意味があります。 「憎らしいほど」という言葉が付いているため、相手に対する罵りや不愉快な感情が明確に言葉の中に表されています。 「憎らしい」といった言葉を使ったものには他にも「子憎たらしい」「可愛さ余って憎さ100倍」などがありますが、これらは純粋に憎々しいといった感情を込めて使われることもあれば、ちょっと皮肉っぽく使ったり、冗談っぽく使ったりすることもあります。 一方で、「いけしゃあしゃあ」の場合には、本心から相手を憎たらしく思っている時に使うことが多いです。 「憎らしいほどに平気でいる様子」とは、普通であればとても平気ではいられないような場面で平気な顔をしている時に使います。 例えば悪いことをして親や周りの人から怒られているのに素知らぬ顔をしている人や、会社で上司に説教されているのに、まったくそれが堪えておらず、「気にしていない」といった平気な顔をしている人に対して使います。 また、公共の場で皆の迷惑になる行為を堂々としていたり、周りの非難や白い目を一切気にしないかのような平気な様でいる人に対しても、「なんていけしゃあしゃあとしているのだろう」などと使うことがあります。 癪に触るほど平然としている様子 「癇に触る」とは、「気に入らないで腹立たしく思うさま」という意味です。 よく「あいつは癇に触る」などと使うことがありますが、要するに「見ていると腹が立つ」「言動」にイラついて仕方がない」といった意味で使われています。 「癇に触る」という言葉を使う人は、相手に少しの可愛らしさも感じておらず、純粋に敵意や悪意、苛立ちなどの感情を持っていますので、誰かに「癇に触る」と言われたら、それは本心から「あなたは腹の立つ人だ」と言われていることになるでしょう。 そして「いけしゃあしゃあ」とは、「癇に触るほど平然としている様子」という意味もありますので、「見ていると苛立たしくなるほどに平然としている様子」となります。 例えば車を運転している時に、強引に横から入ってきてお礼のハザードもたかない車や、並んでいる列に横入りしてきて平気でいる人のように、非常識な行動を平気で行う人に対して、このような感情を抱くことがあるでしょう。 私たちにはそれぞれ、頭の中に自分の常識を持っています。 それは世間一般で言われている常識もあれば、自分の性格から考え出された独自の常識もあります。 例えばある人にとっては、「電車の席は身障者や年配者に譲るものだから、例え空いていても優先席には座らない」というのが常識でも、別のある人にとっては「空いている時なら優先席に座ってもいい」というのが常識の場合もあります。 この個人が思う常識を他人に対して押し付けてしまうような人は、それに相応しくない行動をとる人に対して何かと癇に触り、「いけしゃあしゃあ」に思えてしまうかもしれません。 いけしゃあしゃあの語源 「いけしゃあしゃあ」には、語源があります。 元々「いけしゃあしゃあ」という言葉があったわけではなく、ある2つの言葉が組み合わさって「いけしゃあしゃあ」になっています。 その2つの言葉とは、「いけ」と「しゃあしゃあ」です。 「いけしゃあしゃあ」の成り立ちについて、詳しくご紹介していきます。 いけの意味 「いけ」は、その言葉だけで使うことはありません。 「いけ」は接頭語であるため、他の言葉の頭にくっ付けて使う形になっています。 「いけ」という言葉には、一緒にくっ付けて使う言葉を強調する意味合いがありますので、何かの言葉を強調したい時には、言葉の前に「いけ」を付ければ良いでしょう。 とはいえ、どんな言葉に付けても良いというわけではありません。 分かりやすく言えば、「いけ」をつけて使っていいのは「いけしゃあしゃあ」「いけ好かない」「いけしつこい」などで、それ以外の言葉には普通は付けることはしません。 卑しめるという意味を持たせる 「いけ」は「卑しめる」という意味を持たせます。 「卑しめる」はそもそも「下品な、取るに足りないものとして見下げる」「軽蔑する・蔑む」などの意味がありますので、相手に対して本心から嫌だと思う気持ちや、卑しめる意図がある場合に「いけ」を付けた言葉を使います。 つまりはそれだけ相手の事を軽蔑していたり、見下していたりするということでもありますので、心底相手を嫌だと思う気持ちがある人でなければ簡単には使う言葉ではないでしょう。 「いけ好かない」という言葉も、「好かない」だけで使われることはあまりなく、大抵は「あの人はいけ好かない」などと接頭語が付いた状態で使われます。 「いけ好かない」とは、相手のことを心底気に入らない、嫌いだという気持ちの表れですので、性格的に自分とどうしても合わない相手や、言動がいちいち自分の癇に触って仕方がないような相手に対して用いられることが多いでしょう。 しゃあしゃあの意味 「いけしゃあしゃあ」の「いけ」が接頭語で、相手を卑しめる意味を持たせるのであれば、「しゃあしゃあ」にはどのような意味があるのでしょうか? 「しゃあしゃあ」は、言葉の響きからも分かるように、昔からの標準語というわけではありません。 また、「いけ」という接頭語は関東方面の方言だとされていますので、「しゃあしゃあ」も同じく関東方面の方言であり、江戸時代頃から使われ始めたとする説があります。 「しゃあしゃあ」には「図々しい」「厚かましい」などの意味があるとされています。 しゃあしゃあは俗語 「しゃあしゃあ」は、江戸時代に庶民の間で生まれた言葉であるため、標準語ではなく俗語の種類になります。 江戸時代の庶民たちが、日常会話の中で育んできた言葉であるため、いかにも標準語とは思えない言葉の響きや、少々乱暴な感情の込められた言葉になっています。 現代では「いけしゃあしゃあ」という言葉は公式の辞書にもきちんとその意味が載っていますが、元が俗語であることや、関東方面の方言であったことからも、「いけしゃあしゃあ」という言葉自体を知らないという人がいても、おかしな話ではないのでしょう。 「いけしゃあしゃあ」のように、元は標準語として存在しない言葉でも、庶民の間で育まれるようになった俗語が後に公式の辞書に登録されることは珍しいことではありません。 図々しい 「しゃあしゃあ」には、「図々しい」という意味が込められています。 「図々しい」とは「人に迷惑をかけても平気でいるさま」といった意味がありますので、例えば皆が並んでいる列に平気で横入りをしてくるような人のことを、「図々しい人だなぁ」などと言うことがあります。 図々しい人は、他人に平気で迷惑をかける行為を行いますが、それが他人の迷惑になっていることには無自覚なことが多いです。 例え直接誰かに「図々しいですよ」と注意されたとしても、それに対して素直に謝罪をするような人はそもそも図々しい行為をしませんので、図々しい人は人に注意をされてもそれに知らんぷりをするか、余計に反発するかのどちらかでしょう。 図々しい人はそれだけ自分勝手で自己中心的な性格をしていることが多いです。 そのためもし誰かに「いけしゃあしゃあとしているね」と言われた時には、「図々しい性格をしているね」と言われていることでもあるので、悪い感情を向けられているでしょう。 厚かましい 「しゃしゃあ」には、「厚かましい」という意味もあります。 「厚かましい」とは「行動や態度に慎みがなく、ずうずうしいさま」です。 日本人は外国人に比べると行動や態度に慎みを持っている人が多いです。 それは日本人が持つ特有の恥の文化から来ていますが、最近は行動や態度にそうした慎みを持たない人が昔よりも増えています。 ひと昔前までは、日本という社会全体が慎みを大切にし、恥の文化を尊重してきました。 そのため誰かが恥知らずな行動をとろうとしたり、また慎みのない言動をしようとしたなら、周りの人たちから総出で責められたり叩かれたりして、そうした行動をしないようにと当たり前のように教育されていました。 しかし現代ではそのような教育をしなくなっているため、人によっては恥知らずな行動を平気でしたり、慎みのない態度をとったりする人が増えています。 社会に囚われることなく、自分で好きなように生きることが尊重されるようになった反面、日本人が持つ奥ゆかしさや他人への気遣いといった、良い部分も伝わらなくなってきているため、他人に迷惑をかけても平気な厚かましい人が増えているのです。 もちろん日本人全体で見れば、厚かましい態度を取る人はそこまで多くはないのでしょう。 しかし、物事は悪いものが目立ってしまう傾向にありますので、そうした厚かましい人がいると、慎み深い人よりも存在が悪目立ちしてしまい、大きな問題のように思えてしまうことがあります。 「しゃあしゃあ」は、そうした一部の厚かましい人のことを指す言葉でもあります。 どちらも悪い意味を表わす言葉ですので、2つを合わせることによって、「より図々しい人」「とても厚かましい人」といった悪い部分が強調された言い方になりました。 この「いけしゃあしゃあ」とは、本来は何の問題もない、ごく一般的な人から性根の悪い人を見た時に使う言葉ですので、性根の悪い人が誰かに対して「いけしゃあしゃあ」という言葉を使っていても、あまり説得力はないでしょう。 「いけしゃあしゃあ」は使い方によっては悪口にもなりますが、大抵はそう言われてしまうほどに他人に迷惑をかける人に対して用いられることの多い言葉ですので、それを使う当人が責められる立場になることはあまりないでしょう。 いけしゃあしゃあの使い方 「いけしゃあしゃあ」は、どのような場面でどんなふうに使うのが正しい使い方なのでしょうか? 例え「いけしゃあしゃあ」の意味を理解していても、使い方を間違えてしまうと聞いている人に違和感を与えたり「その使い方は違うんじゃない?」と指摘されたりすることになりかねません。 そのため、正しく言葉を使うためにも、どんな場面で使うべきなのかをきちんと把握しておきましょう。 以下に例文と共に使い方をご紹介していきます。 「いけしゃあしゃあ」の使い方がよく分からないという人は、ぜひ参考にしてみてください。 いけしゃあしゃあとやってのける 他人の迷惑になるような行動を、一切周りを気にすることなくやってのける人に対して、「いけしゃあしゃあとやってのける」と使うことがあります。 例えばタクシー乗り場でタクシーに乗ろうとしていた人の横から、「ちょっと急いでいるから」と言って乗ろうとしている人を押しのけて、自分がさっさと乗ってしまう人がいるとします。 「やってのける」という言葉には、一般的な「やる」という意味ではなく、「普通ならばやらないようなことをやってしまう」といった意味が込められています。 そのため、「普通ならばやらないような、他人に迷惑をかける図々しい行為をやってしまう人」という意味で「いけしゃあしゃあとやってのける」と使っていることが多いです。 いけしゃあしゃあとした顔つき 他人に迷惑をかけておきながら、それを全く気にせずに平然とした顔をしている人に対して、「いけしゃあしゃあとした顔つき」と表現することがあります。 この場合の「いけしゃあしゃあ」とは、ふてぶてしいといった意味とも似ています。 いけしゃあしゃあとした顔つきをしている人は、「他人に迷惑をかけておきながら、普通では考えられないようなふてぶてしい態度を取っているさま」でもあるため、周りの人たちからは嫌がられたり、疎ましがられたりしている可能性が高いです。 あんなに怒られたのにいけしゃあしゃあとしている 会社の上司や親、目上の人などから散々怒られておきながら、それでも平然とした態度を取っている人に対して、「あんなに怒られたのにいけしゃあしゃあとしている」と使うことがあります。 理不尽な理由でもない限りは、自分が悪いことや失敗をして目上の人から怒られた時には、誰でも反省の態度を示します。 例え本心では反省していなかったとしても、表面上は相手の留飲を下げるために、「申し訳ありません」と頭を下げたり、謝罪の言葉を口にしたり、反省しているといった表情を浮かべたりすることでしょう。 しかし、いけしゃあしゃあとしている人の場合には、「自分が悪い」という考えが頭にないため、例えどれだけ怒られても、それで反省の意志を示すことはありません。 それどころか人によっては、「何故自分が怒られなければならないのか」と不服に思い、不満げな態度を取る人もいるでしょう。 そうした反省の無さをそのまま顔や態度に出してしまっている人は、人から怒られてもいけしゃあしゃあとした態度を崩すことがありません。 しかしそんな態度ではもちろん相手を余計に怒らせてしまうだけですので、どんどん自分が不利な状況に追い込まれたり、怒られる時間が伸びてしまったりするだけでしょう。 いけしゃあしゃあの類語 「いけしゃあしゃあ」は、「憎らしいほど平然としているさま」です。 すなわち、誰に何を言われたり思われたりしても、全然平気な様子だったり、人様に迷惑をかけても平然としていたりする人に対して用いる言葉です。 この「いけしゃあしゃあ」には、いくつかの類語があります。 現在ではとくに若い人たちで「いけしゃあしゃあ」という言葉を知らない人もいますので、そうした人を前に使う時には、「いけしゃあしゃあ」の類語を用いることもあるでしょう。 では、「いけしゃあしゃあ」にはどのような類語があるのでしょうか? 以下にご紹介していきます。 ふてぶてしい 「ふてぶてしい」は「平然と図太く構えているさま」や「憎らしいほど図々しいさま」という意味です。 そのため「いけしゃあしゃあ」とよく似た類語として、日常会話の中でも使われることが多いです。 心底相手を憎らしく思っている時や気に入らない時に使われる言葉でもありますので、「あの人は本当にふてぶてしいなぁ!」と口にする時には、その言葉の語気が強くなることも珍しくはないでしょう。 一方で、例えば猫や犬など、動物が何とも言えない構えた表情で座ったり寝ていたりするポーズを見た時に、つい「ふてぶてしいなぁ」と言葉を使うこともあります。 しかしこの場合の「ふてぶてしい」は、本心からの憎らしいという意味ではなく、「憎たらしいけれども可愛らしい」といった愛着や愛情を表現しています。 「腹が立つけど可愛い」のように、子憎らしさと可愛らしさが混在している場合には、それを口にする人の顔には笑顔が浮かんでいることが多いため、どのような意味で「ふてぶてしい」という言葉が使われているのか分からない場合には、それを言っている人の表情で判断することも出来ます。 世にはばかる 「憎まれっ子世にはばかる」ということわざを聞いたことがありますか? これは、「人から恨まれるような人間の方が、かえって世間では威勢を振るうものだ」という意味のことわざです。 例えばあなたの前に、良い人と悪い人がいるとします。 良い人は大人しくて気遣いも出来て、あなたの手を一切煩わせません。 一方で、悪い人は何かと問題ばかりを起こして、あなたに迷惑をかけて危なっかしくて目が離せない状態です。 この2人を比べた場合に、選ばれるのは常に良い人でしょう。 しかし、周りの人やあなたが常に目が離せずに意識を集中させるのは悪い人です。 つまりは、問題がある人や周りに迷惑をかける人、悪い人の方が世間から何かと注目されるのです。 それが例え悪目立ちであっても、悪い人や世間から恨まれている人の方が、良い人よりも世間では幅を利かせているということです。 「世にはばかる」とは、そんなふうに世間で威勢を振るうという意味がありますので、問題行動を起こしたり、周りに迷惑をかけたりするという点では「いけしゃあしゃあ」と意味が似ているでしょう。 けろりとして よく、「昨日はあんなに体調が悪かったのに、今朝はけろりとしている」や「散々怒られた割に本人はけろりとしている」など、何でもないことのように振舞うさまを「けろりとして」と表現することがあります。 辞書としての意味は「物事にこだわらずに平然としているさま」で、「あっけらかん」と同一視されることもあります。 ただし「あっけらかん」の場合には、本来なら恥ずかしいと思われるような行為を平気で行い、平然としている態度を指すことが多いです。 一方の「けろりとして」は、何事もなかったように平然としているさまを指しますので、同一視はされていても使い方は微妙に違っています。 「けろりとして」は、「いけしゃあしゃあ」よりも憎たらしいといった印象が感じられない言葉のため、まだ可愛げがあるような場合には「けろりとしている」という言葉を用いる方が多いでしょう。 しれっとして よく何事もなかったかのように、素知らぬ態度を取っている人に対して「しれっとしている」と表現することがあります。 この「しれっとして」とは、「何事もないような顔で攻撃的なことを言うさま」や「何事もなかったかのように平然としているさま」という意味があります。 「いけしゃあしゃあ」が開き直った憎たらしい態度であるのなら、「しれっとして」は自分のこともまるで他人ごとのように無関心に振舞っているさまを指す時に使うことが多い言葉でしょう。 恥知らず 「恥知らず」は、「恥ずべきことをしておきながら平気でいること」「厚顔なこと」などの意味があります。 普通の人であれば恥ずかしいと思うべきことでも、何でもないことのように平気な顔をしている人に対して使うことが多いです。 他人に迷惑をかけておきながら、そんな自分を恥じるどころか平気な顔をしていたり、堂々とした態度で振舞っている人に対して向けられた皮肉や敵意の込められた言葉でもあります。 臆するところがない 「臆するところがない」とは、「直前まで怖気づいたり気後れしてしまったりすることがない有様」「怖がらないで堂々としているさま」などの意味があります。 「臆するところがない」という言葉は、本当に堂々として立派なさまでいる人に対して使うこともあれば、厚顔でいけしゃあしゃあとした態度でいる人に対して使うこともあります。 いけしゃあしゃあの意味を覚えておこう 「いけしゃあしゃあ」は、今の若い人たちはあまり使わない言葉です。 そのため言葉の意味や使い方を知らないという人もいるでしょう。 実際に使わないのであれば、意味を覚えておく必要もないと思うかもしれませんが、世の中にはこの言葉を使っている人たちはたくさんいます。 そしてそんな人たちからもしも自分が「いけしゃあしゃあとしている」と言われてしまったなら、自分の行動について省みなければならないこともあるでしょう。 そのため、「いけしゃあしゃあ」の意味は覚えておいた方が良いのです。

次の