リョーユーパン cm。 リョーユーパンのCMについて

「リョーユーパン2」まるしのブログ | いつかはロータス!

リョーユーパン cm

リョーユーパンCM2019のハーフの女性はケリーアンと判明! このリョーユーパンのCMに出演している ハーフの女性モデルは 「ケリーアン」さんということがわかりました! めちゃくちゃ美人で綺麗な方ですよね! CMの流れを簡単におさらいしていきましょう! ケリーアン:私この頃とっても幸せなんです! ケリーアン:リョーユーパン大好きです! ジャンヌ・サマリー肖像画 作ノワール いや〜このCMを初めて見た時は 本当にこの女性はお人形さんかと思っていました。 実在する人なのかな?とずっと疑っていました。 ケリーアンさんの破壊力半端ないですね! 次にケリーアンさんのプロフィールについて 紹介していきたいと思います! ケリーアンのプロフィール• 名前:ケリー・アン• 生年月日:1993年7月16日• 出身地:神奈川県• 身長:165cm• 血液型:A型• 趣味:ギター、チェロ、作詞、作曲、コスプレ ケリーアンさんですが、 実は日本とアメリカのハーフなんです! ケリーアンさんは日本語と英語だけでなく、 中国語まで話せるというから驚きですよね。 しかも独学で学んだそうでかなりの努力家で、 顔立ちも良くてスタイルも良く、 頭も良いなんてずるいですよね。 ケリーアンさんはまさにモデルさん!! と言った理想的な顔立ちをされていますが、 過去にはキッズモデルとして活動していたようで、 ケリーアンさんのご両親がデザイナーをしている ということからモデル活動を始めています。 「CUTiZE」「ViVi」「sweer」などの ファッションなどで活躍していました。 テレビ番組には 「PON!」のお天気お姉さんの オーディションに合格し、天気予報を担当していました。 その他にも、 「天才!志村動物園」の 「日本犬の里」というコーナーに出演し、 2018年には東京FM「クロノスWIZ」「クロノス」の アシスタントパーソナルも担当されています。 最後に 今回はリョーユーパンのCMに出演している ハーフ女性は誰なのか?調べたところ 「ケリーアン」さんということが判明しました! ハリウッドスターのような雰囲気がありますよね。 こんなに綺麗な女性なのにもっと人気が出ても いいと思うのですが・・・ ケリーアンさんの今後の活躍に期待しましょう!!.

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グループ概要

リョーユーパン cm

リョーユーパン会長兼CEO(最高経営責任者)の北村俊策(65)は経営会議で、新たな食パン開発を指示した。 「買いやすい価格帯で、独自色を打ち出せる食パンを作ってほしい」 いつも通りの端的な物言いだったが、強い危機感と期待がこもっていた。 指示を受けた製品開発部長の安部武彦(61)は心中でうなった。 「他社と差別化でき、しかも安く売れるものか。 難しいぞ…」 食パンは、製パン企業の柱だ。 国内の年間パン生産量120万トンのうち、食パンは60万トンを占める。 「食パンを制すれば、業界を制す」とまで言われる。 山崎製パン(東京都千代田区)や敷島製パン(名古屋市東区)など大手を含め、競争は激しい。 プライベートブランド(PB)商品の台頭もあった。 PBはコンビニやスーパーなど小売店が企画し、メーカーが製造を担う。 大量に発注・販売する替わりに、価格は安い。 PB普及によって、通常1袋100~200円の食パンが、店によっては60円台で売られ始めた。 メーカーブランドの商品は、少しずつ姿を消した。 リョーユーパンの定番食パン「しっとりソフト」や「超美撰(ちょうめいせん)」にも、逆風が吹いた。 リョーユーパンは菓子パンに強みを持つ。 1日に生産する100万食のうち、食パン比率は2割と、決して高くはない。 それでも食パンは会社の顔だ。 「食パンが売れないメーカーは、存在感が薄くなる」。 安部も新しい食パンが必要だと、思っていた。 「価格を抑えるには、量を減らさないといけないだろうな」 安部のつぶやきに、部下は異を唱えた。 「小型にして安くしても、お客さんにとっては『安くて当然』という話になりますよ」 「それはまずいな…」 安部は方向性を見いだそうと必死だった。 食パンはシンプルな商品だけに、工夫の余地は少ない。 消費者が好んで買う商品も、ある程度固定化されている。 味や形を大きく変えることは、顧客離れを招くかもしれない。 メーカーにとって大冒険だ。 それでも安部には一つの思いがあった。 「食パンだって、従来の形にこだわる必要はない」 前例はあった。 平成24年、リョーユーパンは縦横7センチの小型食パンを発売した。 はちみつや餡(あん)などを練り込み、食パンと菓子パンの間のような商品だった。 安部の予想を超えて売れた。 理由は「食べやすさ」だった。 袋を開ければ、すぐ口に入れられる。 縦横11センチ程度の普通の食パンに比べた小ささは、一人暮らしの「個食」にマッチした。 安部の耳には「従来の食パン1枚は多いから、半分にして食べる」といった高齢者の声も入っていた。 高齢社会を迎え、独居老人はますます増える。 それに見合う商品が必要だ。 でも、どんな商品なら売れるだろうか…。 さまざまなアイデアが浮かんでは消えた。 「いつまでかかってるんだ」。 会長の北村は、ハッパをかけた。 1カ月以上悩んだ末、安部は決心した。 「食パンを小さくして、その分、付加価値を付ける。 これしかない」 付加価値のヒントは、製粉会社からもたらされた。 パンの原材料は、ほとんどの場合、米国やカナダなど外国産の小麦が使われる。 安く、しかも量を確保できるからだ。 加えて国産小麦はグルテンと呼ばれるタンパク質の含有量が少なく、膨らみにくい。 「国産小麦はパンに向かない」。 これが業界の常識だった。 それでも、国内それも九州産の小麦粉で、食パンに使えるものが増えた。 小麦の品種開発に加え、安定した小麦粉を生み出す製粉技術の向上があった。 国産小麦を謳(うた)うパンが、店頭に並ぶようになった。 九州は小麦の一大産地でもある。 都道府県別の生産量をみると1位は北海道だが、福岡県が2位、佐賀県が3位と続く。 九州に根ざす会社にとって、九州産小麦を使うことは、付加価値の創出になる。 「九州産の小麦を使った、小ぶりな食パン」 方針は決まり、安部らは試作を始めた。 夏の足音が聞こえようとしていた。 「他社は食パンを強化している。 売り場でうちの商品の影が薄くなっていくのはさみしい。 やられっぱなしじゃだめだ。 売り上げ拡大には、差別化しかない」 恵良は営業経験が長い。 小売店の商品棚に割って入ることの難しさは、身に染みている。 店側の興味を引いて販売スペースを獲得するには、他社と違う特徴が求められた。 そして恵良の胸中には、会長の北村や安部とは違う、切実な思いがあった。 リョーユーパンは昭和25年、佐賀県唐津市に「唐津糧友製パン」として誕生した。 糧友とは「食糧の友達」を意味した。 唐津糧友は品質や販促力で強みを発揮し、シェア獲得競争を戦い抜いた。 同業他社との業務提携や、吸収合併も繰り返し、規模を拡大した。 やがて九州最大手に成長した。 恵良は昭和57年に吸収された「山内食糧」(大分市)の社員だった。 その時のことは、はっきり覚えている。 「負けたんだな」 営業担当として、自信を持って自社製品を売っていた。 それだけに歯がゆい思いがこみ上げた。 待遇が悪くなったわけではない。 それでも山内食糧の看板は消え、多くの仲間が社を去った。 「勝った会社は、良いものを持っている。 それを吸収して、いつか見返してやる。 とにかくおいしいものを売ろう。 二度と悔しい思いはしない。 もう負け犬にはなりたくない」 恵良は糧友グループの一員として、踏ん張る道を選んだ。 会社を守ることの重みを、人一倍分かっている。 そんなことも理由だろう。 北村は平成24年、1歳年上にも関わらず、恵良を後継社長に選んだ。 リョーユーパンは「九州の雄」に育ったが、全国には、はるかに大きな規模の会社がある。 「常在戦場」であり、競争に打ち勝った企業だけが生き残る。 恵良が会社を守るには、どうしても独自色のある商品が必要だった。 新食パンは100円程度の価格を目指した。 安部らは九州産と海外産の小麦粉の配合を調整し、原価を繰り返し計算した。 焼き上げから1日目、2日目、3日目、そして消費期限後と、何度も何度も試食した。 味や口溶けを確認した。 「これなら大丈夫だろう」。 開発チームは6月下旬、北村や恵良、営業担当者らを集めた開発会議に、新食パンを出した。 会社として、商品化の最終判断を下す場だ。 5点満点で、評価者11人の平均が3・5点以上になれば発売が決まる。 開発チームのメンバーは、新たな食パンのコンセプトを説明した。 消費者の低価格志向に合い、高齢者でも食べやすいよう大きさを従来の7割のサイズにした。 原料の小麦粉の30%が九州産だと紹介した。 説明後、試食の時間になった。 安部らは固唾をのんで、反応を見守った。 「やわらかいな。 食べやすいんじゃないか」。 恵良は相好を崩した。 やわらかさは、小型化による副産物だった。 生地が小さくなり、工場での焼き時間が5分以上短くなったからだった。 とはいえ、他社より小さな商品は、パンメーカーにとって、受け入れにくい発想だった。 食パンは同じ形・大きさという、消費者の先入観にも逆らう。 「この食パンは冒険だ」。 恵良も一瞬そう考えたが、小ささを付加価値とする斬新な案に、賭けてみたかった。 平均点は「4」。 商品化が決まった。 九州産の小麦やバターミルクを使っていること、そして、ほかでもなくリョーユーパンという企業が、九州で育ったことを訴えたかった。 「目立つようにしないと、売れないぞ」。 恵良は営業部門に号令をかけた。 他社の食パンと並べば、小さな見た目が欠点となりかねない。 担当者は、平台に商品を置いてもらえるよう、小売店に掛け合った。 生産は、佐賀工場(佐賀県神埼市)が担った。 パン作りはチームプレーだ。 小麦粉と酵母、水で中種を作り発酵させる。 型に入れ、焼き、包装する。 工程に、多くの従業員が携わる。 従来とサイズが異なることから、機械の微調整を繰り返した。 従業員は、効率的な生産を目指して工夫を凝らした。 27年10月。 「九州育ち」は100~110円で店頭に並んだ。 安部はスーパーに行くと、足が自然とパンコーナーに向いた。 客が「九州育ち」をかごに入れた瞬間、心からほっとした。 「開発が終わるときは、メーカーとしての命が終わるときだ。 それにしてもパン作りは本当に面白い」。 そう噛みしめた。 社内が一丸となり、九州育ちはスタートダッシュに成功した。 だが、パンの生存競争は厳しい。 メーカーは、年間に何百種類もの新商品を出す。 消費者に選ばれなくなったパンは、1年もたたずに店頭から消える。 棚に残り続けるのは、新商品の数%でしかない。 「九州育ち」は生存競争を勝ち残った。 1年後も、安定して棚に置かれる主力商品となった。 安部らの狙い通り、小ささが武器となった。 100円程度という安さ、そして1枚あたりのカロリーを従来商品の2割程度に抑えたことも、人気を呼んだ。 「九州育ち」のヒットに、恵良は地場企業としての自信を深めた。 「百数十円でおいしいものを作るのは大変だが、他社にないものを開発して、売り込むしかない。 資本金1億8500万円。 平成28年3月期の売上高(連結)は455億円。 グループ全体の従業員数は3860人。 本社は福岡県大野城市旭ヶ丘1の7の1。 このニュースの写真•

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リョーユーパンCM女優(女性)は誰?ケリーアンの綺麗なバラを頂いたわねが可愛い

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リョーユーパン会長兼CEO(最高経営責任者)の北村俊策(65)は経営会議で、新たな食パン開発を指示した。 「買いやすい価格帯で、独自色を打ち出せる食パンを作ってほしい」 いつも通りの端的な物言いだったが、強い危機感と期待がこもっていた。 指示を受けた製品開発部長の安部武彦(61)は心中でうなった。 「他社と差別化でき、しかも安く売れるものか。 難しいぞ…」 食パンは、製パン企業の柱だ。 国内の年間パン生産量120万トンのうち、食パンは60万トンを占める。 「食パンを制すれば、業界を制す」とまで言われる。 山崎製パン(東京都千代田区)や敷島製パン(名古屋市東区)など大手を含め、競争は激しい。 プライベートブランド(PB)商品の台頭もあった。 PBはコンビニやスーパーなど小売店が企画し、メーカーが製造を担う。 大量に発注・販売する替わりに、価格は安い。 PB普及によって、通常1袋100~200円の食パンが、店によっては60円台で売られ始めた。 メーカーブランドの商品は、少しずつ姿を消した。 リョーユーパンの定番食パン「しっとりソフト」や「超美撰(ちょうめいせん)」にも、逆風が吹いた。 リョーユーパンは菓子パンに強みを持つ。 1日に生産する100万食のうち、食パン比率は2割と、決して高くはない。 それでも食パンは会社の顔だ。 「食パンが売れないメーカーは、存在感が薄くなる」。 安部も新しい食パンが必要だと、思っていた。 「価格を抑えるには、量を減らさないといけないだろうな」 安部のつぶやきに、部下は異を唱えた。 「小型にして安くしても、お客さんにとっては『安くて当然』という話になりますよ」 「それはまずいな…」 安部は方向性を見いだそうと必死だった。 食パンはシンプルな商品だけに、工夫の余地は少ない。 消費者が好んで買う商品も、ある程度固定化されている。 味や形を大きく変えることは、顧客離れを招くかもしれない。 メーカーにとって大冒険だ。 それでも安部には一つの思いがあった。 「食パンだって、従来の形にこだわる必要はない」 前例はあった。 平成24年、リョーユーパンは縦横7センチの小型食パンを発売した。 はちみつや餡(あん)などを練り込み、食パンと菓子パンの間のような商品だった。 安部の予想を超えて売れた。 理由は「食べやすさ」だった。 袋を開ければ、すぐ口に入れられる。 縦横11センチ程度の普通の食パンに比べた小ささは、一人暮らしの「個食」にマッチした。 安部の耳には「従来の食パン1枚は多いから、半分にして食べる」といった高齢者の声も入っていた。 高齢社会を迎え、独居老人はますます増える。 それに見合う商品が必要だ。 でも、どんな商品なら売れるだろうか…。 さまざまなアイデアが浮かんでは消えた。 「いつまでかかってるんだ」。 会長の北村は、ハッパをかけた。 1カ月以上悩んだ末、安部は決心した。 「食パンを小さくして、その分、付加価値を付ける。 これしかない」 付加価値のヒントは、製粉会社からもたらされた。 パンの原材料は、ほとんどの場合、米国やカナダなど外国産の小麦が使われる。 安く、しかも量を確保できるからだ。 加えて国産小麦はグルテンと呼ばれるタンパク質の含有量が少なく、膨らみにくい。 「国産小麦はパンに向かない」。 これが業界の常識だった。 それでも、国内それも九州産の小麦粉で、食パンに使えるものが増えた。 小麦の品種開発に加え、安定した小麦粉を生み出す製粉技術の向上があった。 国産小麦を謳(うた)うパンが、店頭に並ぶようになった。 九州は小麦の一大産地でもある。 都道府県別の生産量をみると1位は北海道だが、福岡県が2位、佐賀県が3位と続く。 九州に根ざす会社にとって、九州産小麦を使うことは、付加価値の創出になる。 「九州産の小麦を使った、小ぶりな食パン」 方針は決まり、安部らは試作を始めた。 夏の足音が聞こえようとしていた。 「他社は食パンを強化している。 売り場でうちの商品の影が薄くなっていくのはさみしい。 やられっぱなしじゃだめだ。 売り上げ拡大には、差別化しかない」 恵良は営業経験が長い。 小売店の商品棚に割って入ることの難しさは、身に染みている。 店側の興味を引いて販売スペースを獲得するには、他社と違う特徴が求められた。 そして恵良の胸中には、会長の北村や安部とは違う、切実な思いがあった。 リョーユーパンは昭和25年、佐賀県唐津市に「唐津糧友製パン」として誕生した。 糧友とは「食糧の友達」を意味した。 唐津糧友は品質や販促力で強みを発揮し、シェア獲得競争を戦い抜いた。 同業他社との業務提携や、吸収合併も繰り返し、規模を拡大した。 やがて九州最大手に成長した。 恵良は昭和57年に吸収された「山内食糧」(大分市)の社員だった。 その時のことは、はっきり覚えている。 「負けたんだな」 営業担当として、自信を持って自社製品を売っていた。 それだけに歯がゆい思いがこみ上げた。 待遇が悪くなったわけではない。 それでも山内食糧の看板は消え、多くの仲間が社を去った。 「勝った会社は、良いものを持っている。 それを吸収して、いつか見返してやる。 とにかくおいしいものを売ろう。 二度と悔しい思いはしない。 もう負け犬にはなりたくない」 恵良は糧友グループの一員として、踏ん張る道を選んだ。 会社を守ることの重みを、人一倍分かっている。 そんなことも理由だろう。 北村は平成24年、1歳年上にも関わらず、恵良を後継社長に選んだ。 リョーユーパンは「九州の雄」に育ったが、全国には、はるかに大きな規模の会社がある。 「常在戦場」であり、競争に打ち勝った企業だけが生き残る。 恵良が会社を守るには、どうしても独自色のある商品が必要だった。 新食パンは100円程度の価格を目指した。 安部らは九州産と海外産の小麦粉の配合を調整し、原価を繰り返し計算した。 焼き上げから1日目、2日目、3日目、そして消費期限後と、何度も何度も試食した。 味や口溶けを確認した。 「これなら大丈夫だろう」。 開発チームは6月下旬、北村や恵良、営業担当者らを集めた開発会議に、新食パンを出した。 会社として、商品化の最終判断を下す場だ。 5点満点で、評価者11人の平均が3・5点以上になれば発売が決まる。 開発チームのメンバーは、新たな食パンのコンセプトを説明した。 消費者の低価格志向に合い、高齢者でも食べやすいよう大きさを従来の7割のサイズにした。 原料の小麦粉の30%が九州産だと紹介した。 説明後、試食の時間になった。 安部らは固唾をのんで、反応を見守った。 「やわらかいな。 食べやすいんじゃないか」。 恵良は相好を崩した。 やわらかさは、小型化による副産物だった。 生地が小さくなり、工場での焼き時間が5分以上短くなったからだった。 とはいえ、他社より小さな商品は、パンメーカーにとって、受け入れにくい発想だった。 食パンは同じ形・大きさという、消費者の先入観にも逆らう。 「この食パンは冒険だ」。 恵良も一瞬そう考えたが、小ささを付加価値とする斬新な案に、賭けてみたかった。 平均点は「4」。 商品化が決まった。 九州産の小麦やバターミルクを使っていること、そして、ほかでもなくリョーユーパンという企業が、九州で育ったことを訴えたかった。 「目立つようにしないと、売れないぞ」。 恵良は営業部門に号令をかけた。 他社の食パンと並べば、小さな見た目が欠点となりかねない。 担当者は、平台に商品を置いてもらえるよう、小売店に掛け合った。 生産は、佐賀工場(佐賀県神埼市)が担った。 パン作りはチームプレーだ。 小麦粉と酵母、水で中種を作り発酵させる。 型に入れ、焼き、包装する。 工程に、多くの従業員が携わる。 従来とサイズが異なることから、機械の微調整を繰り返した。 従業員は、効率的な生産を目指して工夫を凝らした。 27年10月。 「九州育ち」は100~110円で店頭に並んだ。 安部はスーパーに行くと、足が自然とパンコーナーに向いた。 客が「九州育ち」をかごに入れた瞬間、心からほっとした。 「開発が終わるときは、メーカーとしての命が終わるときだ。 それにしてもパン作りは本当に面白い」。 そう噛みしめた。 社内が一丸となり、九州育ちはスタートダッシュに成功した。 だが、パンの生存競争は厳しい。 メーカーは、年間に何百種類もの新商品を出す。 消費者に選ばれなくなったパンは、1年もたたずに店頭から消える。 棚に残り続けるのは、新商品の数%でしかない。 「九州育ち」は生存競争を勝ち残った。 1年後も、安定して棚に置かれる主力商品となった。 安部らの狙い通り、小ささが武器となった。 100円程度という安さ、そして1枚あたりのカロリーを従来商品の2割程度に抑えたことも、人気を呼んだ。 「九州育ち」のヒットに、恵良は地場企業としての自信を深めた。 「百数十円でおいしいものを作るのは大変だが、他社にないものを開発して、売り込むしかない。 資本金1億8500万円。 平成28年3月期の売上高(連結)は455億円。 グループ全体の従業員数は3860人。 本社は福岡県大野城市旭ヶ丘1の7の1。 このニュースの写真•

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