アルル の 寝室。 ゴッホの代表作7選!全盛アルル時代を中心に有名作品を紹介

フィンセント・ファン・ゴッホ

アルル の 寝室

絵画販売ドットコムのブログをご覧いただきありがとうございます。 今回は、フィンセント・ファン・ゴッホの『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』について書かせていただきます。 感情を作品に表した『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』 今回ご紹介する『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』は、1880年代後半のオランダを代表するポスト印象派の画家であるフィンセント・ファン・ゴッホが1888年に描いた作品です。 『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』はゴッホを代表する作品で、計3枚あります。 2枚目は、1889年に73. 3cmのキャンバスに描かれ、現在はアメリカ合衆国にある、シカゴ美術館で所蔵されています。 3枚目も、2枚目と同じ年の1889年に57. そんな3枚の『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』は、同じ部屋を描いているにも関わらず、使用している絵の具の色が違うのです。 この時代のゴッホは、写実的ではなく、感情的に絵を描いていました。 そのため3枚描いた『アルルの寝室(フィンセントの寝室)』は全て違った色使いになっているのです。 それぞれの作品を見れば、当時のゴッホの感情を読み取ることができるということですね。 クレアネットの絵画販売ドットコムでは、肉筆で描かれた《アルルの寝室(フィンセントの寝室)》の複製画を販売しています。 部屋に飾ってみたい方はご覧いただけます。

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ゴッホ 『アルルのゴッホの寝室』

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この『アルルのゴッホの寝室』(1888)を描いた時、ゴッホは37年の短い生涯の中で最も幸せな時だったに違いない。 例えば、私たちが旅行に行く時、実際に行くよりも、あれもしたい、これもしたいと楽しくプランを練っている時が1番幸せだと感じることがある。 ゴッホも同様だったのではないだろうか・・・。 もうすぐゴーギャンがやって来る! 彼は1888年の2月に南の太陽を求めて、寒いパリからアルルにやってきた。 ここで同じ家に住み、互いに励まし合い、刺激を与えながら制作する画家の共同体を作りたかったのだ。 そうすれば生活費や画材道具を互いに節約できる。 さらに画家の収入は不安定なので、売れた絵のお金を皆で分ければ、誰かが極度の貧乏に陥らずにすむと考えたのである。 そこで、通称・黄色い家と言われる家の2階の4部屋を借りる。 借りるといってもお金を出してくれたのは生涯ゴッホを支え続けていた弟で、画商のテオであった。 しかし、仲間の画家は誰もゴッホの共同体の誘いを受け入れてくれない。 テオも兄の気持ちがわかっていたから、ゴーギャンに一層アルルに行くようにすすめる。 テオは、一流の画商であり、他の画商と違って、前衛的な画家の作品も積極的に取り扱う、画家にとってはありがたい存在であった。 その時、ゴーギャンは大変な生活苦にあったため、生活費を浮かすため、そしてテオを通して絵を売りたいという欲望もあったようだ。 1番喜んだのは、もちろんゴッホであった。 ゴーギャンこそ共同体のリーダーになるべく画家だと思い、彼のために特別のを購入する。 そして、ゴーギャンが来ることを待ちわび、その幸せに満ちた時に描いた作品が、彼の部屋を描いた『アルルのゴッホの寝室』だ。 絵を観るなり、構図が少し・・・と感じてしまうが、ゴッホは構図よりも色彩に目を向けたようだ。 彼は「 色彩だけですべてをきめようと考えている。 非常に簡単に描いて、安らかな眠りを表そうと思う。 壁は薄い紫色。 床は赤い四角形の組合せである。 木で作った大きなベットは新鮮なバターの黄色、敷布と枕は明るい黄緑色、上にかけるふとんは真赤、窓は緑で、洗面台はオレンジ色、たらいは青い色、戸はライラック色、これですべてである・・・」と。 ゴーギャンがくれば、もう独りではない。 一緒に絵を描き、語り・・・そして、この部屋で安らかに眠れるだろうという気持ちが、色に表れている。 しかし、人生はそんな思うようにはいかない。 安らかな眠りは長く続かなかったのである。 性格的にも、芸術的にも、ゴッホとゴーギャンのタイプは全く異なっていた。 最初、ゴッホは歩み寄っていたが、ストレスはたまる一方で、最後には「耳切り事件」の悲しい結末を向かえてしまう。 そして、この作品を描いた11ヶ月後の1889年9月、ゴッホはサンレミの精神病院で、『アルルのゴッホの寝室』の模写を2枚描く。 精神病院では、勝手に外へ出て描くわけにもいかない。 だから模写が多くなる。 その中で選んだ一つがこの作品。 まず、シカゴ美術館が所蔵する『アルルのゴッホの寝室』を描く。 オリジナルよりも線が厳しく、床の緑や壁の青が強調されている。 また、壁に掛けられた肖像画が変わっていることに気づく。 その後にもう一枚描いた複製は現在、オルセー美術館が所蔵している。 母と妹に贈るため、縮小して描かれた。 こちらの方はシカゴ美術館所蔵の作品よりも、線が柔らかくなり、色も落ちついている。 実はオルセー美術館所蔵のこの絵は、日本と大きな関わりがあった。 ゴッホファンの私としては、悔しくてしょうがない。 なぜならば、の横にあったはずなのだ。 オルセー美術館が所蔵する前は、日本人の実業家・松方幸次郎(1865-1950)のコレクションであった。 当時、川崎重工業の前身である崎造船所の社長であった彼は、1916年から1923年にかけて、パリを中心に、1000点におよぶ美術品を購入し、美術館を設立したいと考えていた。 しかしその夢は、1927年の世界恐慌のため、川崎造船所が破綻し、日本にあった松方のコレクションは日本の銀行の担保となり実現できなくなってしまう。 一方、ロンドンに保管していた作品は火災により焼失。 その後、1951年のサンフランシスコ講和会議で、(フランスのお気に入りの)20点を除く370点返還されることになる。 そのリストにゴッホの『アルルのゴッホの寝室』は、残念ながら含まれていなかったのである。 (そりゃー私だって、フランス人だったら、何が何でも返したくない。 この絵に、安らかな長い眠りを与えてくれる場所は、上野ではなく、パリのオルセーだったのである。 1月27日から東京都美術館で開催されるで、この『アルルのゴッホの寝室』が展示される。 本当は上野にあったはずなのにぃー。 フランス政府・・・。 でも、フランスだってその経緯を知って、日本に一時期貸してくれるのだから、素直に喜んで、この『アルルのゴッホの寝室』をじっくり鑑賞してみよう!何を感じるか、今から楽しみだ。

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ゴッホの生涯考察(アルルで才能を開花)

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ファンゴッホの寝室(第3バージョン)、1889年、57. 同名の作品が3点あることが認められている。 「 ゴッホの寝室」、「 アルルの寝室」「 ファンゴッホの部屋」、「 アルルの部屋」と表記されることもある。 ・でゴッホが暮らした家の2階の部屋を描いたもの。 家は現存しないが、ゴッホの作品にとして残されている。 絵の左側の扉はゴーギャンの部屋につながっていたとされる。 3点のうち最初のものは、がアルルに来る直前のに描かれたもの。 次のバージョンは、ほぼ同サイズで9月に最初のものを複製して描かれている。 最後のバージョンは1889年9月にゴッホの母のためにサイズを縮小して複製して描かれたものである。 後にが購入しコレクション(いわゆる)に加えられていたが、第二次世界大戦当時はフランスに残され、による戦後賠償の一環としてにフランスの国有となり、現在はにある。 1921年頃、松方がパリに滞在し絵を購入していた際にはのが同行していた。 この作品が、の『アルジェリア風のパリの女たち』と共にで売りに出されていたため、矢代は「希代の傑作」であるとして松方に購入を勧めたが、松方は一度はこれを断り、矢代は落胆したという。 しかし、その後、矢代が知らない間に松方はこの作品を購入していたことになる。 脚注 [ ] [].

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