よしもと 新 喜劇 キャスト。 よしもとライブ 新喜劇出演者詳細追加 !!

超!よしもと新喜劇

よしもと 新 喜劇 キャスト

夫婦水いらずの旅行でホテルにやって来た内場とあき恵。 そこに内場の元不倫相手、まきが現われる。 動揺した内場はあき恵に隠そうと必死になるが、まきのフィアンセやあき恵の妹がやって来て、話がややこしいことに!?果たして内場は隠し通すことができるのか? 【出演者】 化粧品会社専務/内場勝則*化粧品会社社長/浅香あき恵*あき恵の妹/前田真希*真希のフィアンセ/烏川耕一*ホテル従業員/安尾信之助/森田まりこ*銀行員/中田はじめ*内場の元不倫相手/宇都宮まき*まきのフィアンセ/吉田裕*裕の母/山本奈臣実*客/森田展義/酒井藍/服部ひで子*警官/いちじまだいき*島田運送社長/島田一の介*裕の父/Mr. オクレ*ホテル社長/末成由美*ホテル従業員/石田靖 「よしもと新喜劇」に出演中の座員の皆さんを順番にご紹介します。 ベテランから若手まで90人以上の座員を抱える吉本新喜劇。 かつて「吉本ヴァラエティ」と言われた頃の話や、初舞台の話、今まだ舞台の端にしか立てない若手の夢まで、さまざまな話から新喜劇の現在・過去・未来が見えてくればと思います。 「誰がバカボンな~のだ」「エリザベスです」などのギャグで知られる山田花子さん。 なんとデビューは中学生の時。 今も使っているギャグの大半は20数年前の新喜劇入団当時のものとか。 「山田花子にしか出来ないギャグ」で爆笑を取る花子さんですが、素顔はとってもシャイ。 小さな声で、言葉を選びながら、少しずつお話しいただきました。 第100回 山田花子 舞台でボケた時が、一番楽しいです。 (好きなテレビ番組とかは?) 小さい時は「8時だョ!全員集合」(TBS)とか。 中学ぐらいで…。

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この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2014年9月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2014年9月)• を満たしていないおそれがあります。 ( 2014年9月) 『 超! よしもと新喜劇』(ちょうよしもとしんきげき)は、からまでで放送されていたである。 と MBS の共同製作。 放送時間は毎週 20:00 - 20:54 ()。 ジャンル 演出 湊裕美子(舞台演出) 永峰明(総合演出) 出演者 を参照 製作総指揮 橋本卓 プロデューサー 土橋正雄 尾中美紀子 制作 放送 放送国・地域 超! よしもと新喜劇 放送期間 - 放送時間 木曜 20:00 - 20:54 放送分 54分 超コメディ60! 放送期間 1998年 - 1998年 放送時間 木曜 20:00 - 20:54 放送分 54分 本項では、1998年から同年まで同系列局で放送されていた後継番組『 超コメディ60! 』(スーパーコメディ60)についても記述する。 概要 超! よしもと新喜劇 それまでとはあまり縁の無かった()やその他の地域をターゲットにしており 、公開収録も東京都ので行っていた。 スタジオに設営されたセットは、の『』のような大仕掛けで客席をも巻き込むドタバタ劇という折衷型であった。 番組開始時のキャッチコピーは「 死ぬ気で、東京。 」で、これは本家『』のキャッチコピーである「 死ぬ気で、元気。 」をもじったものである。 初回視聴率は関東で9. 当時TBS系列の木曜20時台は、関東地方での視聴率が他の地域に比べて格段に低かったため、毎日放送が試行錯誤しながら番組制作を続けていた枠であった。 しかし、「なにわ流のドタバタ吉本コメディ」が簡単に東京をはじめ特に新喜劇の放送実績が少ない東日本で受け入れられるはずもなく、吉本興業以外の所属で新喜劇経験の無いタレントやゲストを交えた番組進行、そして、従来からの放送地域以外の視聴者にも分かりやすいように調整されたギャグが結果的に中途半端な演出となり、関東地方での視聴率は低く推移。 このほか、編集や大仕掛けセットを多用して度の過ぎた演出などが新喜劇ファンを中心に視聴者から不評だったこともあり、本番組の視聴率は関西地方でも低迷した。 同時に、本家公演であるでの新喜劇にも少なからぬ影響を与えた。 座長である、の二枚看板が東京へ単身赴任となり、知名度のあるベテランメンバーの一部も本番組収録で大阪を不在とすることが増えたため、なんばグランド花月での公演が深刻なメンバー不足に陥った。 この期間中、なんばグランド花月では公演内容のスケールダウンを余儀なくされ、それに比例して、毎日放送が関西地方で放送する本家番組の視聴率も、後継番組「超コメディ60! 」終了し、メンバーが大阪に復帰するまで低迷する事態となった。 超コメディ60! 1998年4月16日からは視聴率低下に歯止めをかけるため、タイトルを『 超コメディ60! 』に改称し、や新喜劇OBのらを新喜劇に出演させるなどのテコ入れを図った。 この他、番組の前半30分に新喜劇を放送し、後半にやらをゲストに迎えてのクイズコーナーやゲームコーナーを行うなど、全国ネット向けの番組再編を図った。 本番組では、、らの若手新喜劇座員が、全国放送で活躍するきっかけを作ったものの、番組内容自体は前番組の付け焼き刃的なリニューアルだった為、視聴率の向上には結び付かなかった。 同年7月からは番組の前提を覆し、ゲームコーナー等を取り止めた上でゲストも迎えず、毎週60分間吉本興業所属のオリジナルメンバーのみが出演する「貧乏一家シリーズ」を放送するようになり、「よしもと新喜劇」の純粋な東京制作版に切り替えた。 この「貧乏一家シリーズ」の一環で、内場と辻本が「ビックバンブラザーズ」名義でCDを発売するなどの展開も見られたが、番組改編期に当たる同年9月17日放送分をもって終了した。 エピソード 後年、内場がこの両番組について、「光彩の時 聞き書き」インタビューにおいて、「ぼくら劇場ありきですから。 劇場でやってそれをテレビ中継する。 それがテレビの為に舞台を作るという逆の体制になった。 ずっと戸惑いながらやってました。 ゲストを入れたりするのも『何でそんな事するんかな?』って思いましたよ。 芝居が薄まるというか濁るというか。 ゲストの為にやるのはバラエティーだって。 当時大阪に帰って来るたび『何してんや、何で普段の新喜劇せえへんの?』って言われて辛かった」(以上、引用)と懐述しており、またも「あの番組は海外でをかぶりながらを踊るようなものだった。 あれでコテコテの大阪の笑いが東京で否定された、と判断されたのは残念」とのちに述べている。 今やから言えますけど(笑)」と述べている(より引用)。 しかしその石田もテレビ出演が多かったため、事実上1年間ほぼ毎週なんばグランド花月で座長を務めたは、「1年から2年くらいの間、(座長として舞台に出てたのは)ずっと俺なんですよ。 だから打ち合わせもいつの打ち合わせかわからない。 舞台が終わったら打ち合わせに連れて行かれる。 出るメンバーも限られているんで次の週とかぶらないようにやってたんですよ。 (中略)番組が終わって内場さんと辻本が戻ってきた時には『良かった~』と思いましたね。 」と後年インタビューで語っている。 後に本家『よしもと新喜劇』は、2013年7月23日からの・、2019年4月1日からはの独立局・で遅れネットでのレギュラー放送を開始した、但し、毎日放送のキー局である・無料BS放送の・有料CS放送の、独立局の・・・では現在もレギュラー放送は実現していないが、2018年からは毎年1月1日に『』をTBSテレビ制作で放送している。 キャスト レギュラー出演者• - 主にを担当。 - 初期には持ちキャラであるヤクザのリーダー役がメイン。 後に、辻本の持ちネタでもある、茂造じいさんを演じていた。 - 主人公を演じることが多かった、新喜劇OB。 - 初期には犬を連れて出てくることが多かった。 この番組においても、ハイテンションな役柄を発揮していた。 - 初期には辻本演じるヤクザの子分役を演じることが多く、辻本がヤクザ役を封印してからも辻本の下に付く役をよく演じていた。 () 以下は大阪から週替わりで出演していたメンバー。 - 初期にはワイヤーで釣られた挙句に壁にぶつけられることが多かった。 ゲスト出演者• - つんく本人(ヒガシノリの友人)役で出演。 - アパートの住人役で出演。 - 合宿所の娘役で出演。 - 宇宙人役で出演。 - フラワースター星の女王役で出演。 () - 借金取り役で出演。 (ダウンタウン) - 茂造の同級生役で出演。 - インマーダ国の王子役で出演。 (130R) - 映画監督役で出演。 () - ホテルの客役で出演。 - ラーメン屋の出前持ち役で出演。 - 内場の婚約者役で出演。 - 商店街会長役で出演。 出演時、珠代の代わりに壁ぶつけをやらされた。 - 猟師役で出演。 - 東野の結婚相手役で出演。 - 東野の父親役で出演。 - 医者役で出演。 - 大工役と柔術家の弟子役で出演。 - ヤクザの親分役で出演。 - 東野の恋人役で出演。 - 内場の愛人役で出演。 ほか スタッフ 超! よしもと新喜劇時代• 作:大工富明、、吉井三奈子• ブレーン:、• 音楽:• テーマ曲演奏:THRILL• TP:森野憲俊• SW:藤本敏行• CAM:花島和弘• VE:斉藤雄一• AUD:森田篤• LD:佐々木哲男• 音響効果:、大久保吉久• VTR編集:永吉敬文• MA:遠山正• CG:FAB (ファブコミュニケーションズ)• 美術プロデューサー:• アートディレクター:上中普雄(MBS)• セットデザイン:内田公幸(MBS)、水上啓光• 美術進行:山根安雄• タイトル:中原賢二()• 大道具:松本達也、三上晋• 装飾:加川功• 持道具:安岡京子• 視覚効果:中山信男• 電飾:宇塚敏明• 衣裳:、山口亜希• スタイリスト:TEES• メイク:渡邊智子• かつら:川田明子• アクリル装飾:熊谷好恵• アートフレーム:永濱大作• 特殊装置:鈴木輝総• フライング:秋山メカステージ• 特殊衣裳:ステッピンスタジオ• ハナコスタイリング:MICARIN• TK:藤巻りえ• フロアディレクター:宮島将志• ディレクター:(MBS)、• 舞台演出:湊裕美子• 総合演出:永峰明• プロデューサー:・(MBS)、土橋正雄(吉本興業)、尾中美紀子• チーフプロデューサー:(MBS)、橋本卓(吉本興業)• 技術協力:、• 美術協力:• 制作著作:吉本興業、毎日放送 超! コメディ60時代• 作:大工富明、萩原芳樹、吉井三奈子、本多正識、木村祐一• 構成:伊藤正宏、、田子浩司、榊暁彦• ブレーン:永峰明• 音楽:羽毛田丈史• テーマ曲演奏:THRILL• TP:森野憲俊• SW:藤本敏行• CAM:遠山康之• VE:斉藤雄一• AUD:森田篤• LD:佐々木哲男• 音響効果:志田博英、大久保吉久• VTR編集:永吉敬文、定野正司• MA:石川英男、石黒裕二• ペイント:後藤和夫• CG:FAB• 美術プロデューサー:松沢由之• アートディレクター:上中普雄(MBS)• セットデザイン:内田公幸(MBS)• 美術進行:山根安雄• タイトル:中原賢二(MBS企画)• 大道具:松本達也、三上晋• 装飾:加川功• 持道具:小林加代子• 視覚効果:中山信男• 電飾:宇塚敏明• 衣裳:保沢紀、山口亜希• スタイリスト:TEES• メイク:井手奈津子、水落万里子• かつら:岡崎紀子• アクリル装飾:熊谷好恵• アートフレーム:永濱大作• 特殊装置:鈴木輝総• TK:藤巻りえ• フロアディレクター:宮島将志• ディレクター:井口岳洋・岸本孝博(MBS)、菅剛史• 舞台演出:湊裕美子• プロデューサー:浜田尊弘・岡田公伸(MBS)、土橋正雄(吉本興業)、尾中美紀子• チーフプロデューサー:三村景一(MBS)、橋本卓(吉本興業)• 技術協力:ニユーテレス、IMAGICA• 美術協力:フジアール• 制作著作:吉本興業、毎日放送.

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よしもと新喜劇 2020年06月13日【傑作選!池乃めだかプレゼンツ★「ちっさいオッサンの宝くじ」】

よしもと 新 喜劇 キャスト

大学を卒業してから、笑福亭福笑師匠の門を叩いて弟子入りしたんですが、落語を全く知らずに入ったんです。 普通は大学の落研とかでいろんな人の落語を聞いてて、師匠に師事するんですけど、僕はたまたま友人の紹介で行った落語会で一番面白かったから、と。 本当はNSCに行きたかったんですけど、お金がなかったんで。 弟子入りすれば、食べさせてもらいながら、芸も教えてもらえるというものすごく考えの浅い、浅ましい根性で門を叩いたんです。 そういう僕を師匠は、「僕も同じ様にもともと落語に興味なくて、今やってる。 何がきっかけかわからない」と言うて受け入れてくれはったんです。 が、普通は稽古がだいたい1週間に1回くらいなんですが、師匠は大変熱心な方で、時間もあったんで、毎日のように稽古がありまして。 1年半なんとか続けることが出来たんですが、落語が覚えられなくなってしまいまして…。 (覚えられない?) もともと暗記教科がものすごく苦手。 新喜劇の台本のセリフでもちょっとギリギリなところがあるくらいの人間なんで、物覚えが凄く悪くて。 結果的に年季が明ける前にクビというか…。 僕の兄弟子は「たま」というんですけど、京都大学の落研で、何故落語界にいるのかというほどの秀才なんですが、異例の2年で年季が明けたんですね。 だから僕も2年くらいかなと思っていたら、1年半経った時に、「お前は3年かかる」と言われて、「この倍か~」と思った時に、心折れてたんですよ。 無理やろなと。 単純にいいますと、師匠が心から愛されている落語を覚えられなかったというのが事実で…。 (何席くらいお持ちですか?) 僕は実は12席持っているんですけど。 出来るのは今、1席あるかないかですね。 お金がなかったんですが、ちょうど、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)のエンタテインメントの募集があって、オーディションは落ちたんですが、USJで働くことになったんです。 授業に通いつつ、USJでパフォーマーとして働いてました。 (どんなことを?) 最初はMBSのテレビプロダクションツアーでモンスターの着ぐるみを着てたんですけど、ツアーがなくなってからは、キューラインパフォーマーというアトラクションに並んでいるお客さんのためのパフォーマンスをやってました。 人が並んでない時は、路上で消防士のコントをやったり…。 (NSCの方は?) 新喜劇コースにはオーディションを通るための講座がありまして、新喜劇コースにいたら大丈夫ということだったんですが、卒業しても一向にオーディションが始まらなくて。 1年ぐらい経ってからようやく始まったんですが、その時の年齢制限が26歳だったのに、僕は27歳になってしまってたんです。 でもNSCの新喜劇コースに行ってたら、通るって言われていたので、正直に年齢を書いたんです。 そしたら、なんの返事もなく…。 いろんな方の計らいで、オーディションを受けさせて貰えることになりましたが、結果的に年齢制限の段階で外されてて、落ちてしまいました。 (新喜劇コースだったのに?) 自分には新喜劇と縁がないんだな、と。 その頃、USJで出会った外国人のキャストと漫才コンビを組んでまして。 当時のbaseよしもとのプレステージを受けたり、M-1に出たりとかしてたんです。 僕はこのまま漫才でやろうと思ってたんですが、突如、相方が失恋をしたという理由で、故郷のオーストラリアに帰ってしまって、僕1人になってしまったんです。 時を同じくして新喜劇のオーディション落ち、USJからもリストラされ、9年間付き合って結婚しようと思っていた彼女にもフラれて…。 いろんなことが重なって、何もなくなったんです。 ただ、結婚するつもりで、お金だけは貯めてたんですよ。 この貯金を使って、全然違うことをしようと思って、カナダにワーキングホリデーに行ったんです。 お笑い以外のことで何か見つけられたらいいなと思って…。 (ずい分、思い切った行動ですね) 結局、向こうで「セカンド・シティ」という即興コメディ劇団に入りました。 当時、映画の「キル・ビル」が流行って、日本の文化が話題になってまして、日本のMCが欲しいと捜していたところに、僕がひっかかって。 ほんとに小さい、ZAZAポケッツくらいの舞台のMCを1年間やってました。 結果的にビザが切れるとかいうタイミングで帰って来たんですが、ちょうど以前の漫才の相方も日本に戻って、またUSJで働くことになって、もう1回漫才やろうと誘われたんです。 その一方で、友達から「金の卵1個目のオーディションやってるよ。 きっと通るから受けたら?」と言われたんですが、もともとオーディションで落ちてるし、こんな人間が通るはずがない、と思って無視してたんです。 漫才のコンクールとも時期が重なってましたし。 そのコンクールに「パンチライン」というコンビで行ったんですけど、入り時間になっても相方が現われない。 電話してもなかなか連絡がつかなくて。 「もうすぐ着く」と言って来た時には、ベロベロに酔ってたんです。 (酔っていた?) はい。 酔ってるから、「日本のお笑いこんなもんやろ?」とか言い出して、「こいつとはもうやってられへん! もうええわ!」と思った時に、ふと金の卵のことを思い出して…こんなことなら金の卵のオーディション、受けときゃよかったと。 ちょうどそれが同じ日やったんですよ。 コンクールは当時のワッハ上方でやってたんですが、降りていったら、金の卵のポスターが目に入って。 ふと見たら、〆切が1週間延びてたんです。 「これはもう出会いやな」と思って、それで応募して、現在に至るわけです。 一切の経歴を書かずに、大卒、カナダに行っていたということしか書かなかったんですよ。 それがよかったのかも知れないですね。 オーディションを受けた頃には、新喜劇への愛情なんてほとんどなくしてたんですけど。 いろんな方たちとお仕事させていただいて、子どもの頃から見ていて真似していた桑原師匠、チャーリーさん、めだか師匠とかが、今まだ現役で舞台で活躍されていて、お笑いの教科書やった人と一緒にお仕事させてもらえるなんていうことがあるとは思ってなかったんで、幸せだなあ、と。 新喜劇に入ったことで、噺家の弟子をクビとなって、すべてなくなったと思った1年半の人間関係が、また徐々に戻ってきてる感じですし。 僕はもともと「笑福亭ひらめ」という名前をもらっていたんですが、「落語するんやったら、福笑亭ひらめでも何でも名乗ってやってもいいよ」というお言葉までいただいて。 今のところ機会がないですが、少しずつでも恩返しできればなと思っています。 (落語は年取ってからでも出来ますね) 当時、3回だけ高座にあがってるんですが、2回目の時に僕のあとが文枝師匠で、舞台の後で「よかったよ」と言うてくださったんです。 その時、僕は半分くらい師匠にクビになっていたので、師匠から「お前、三枝(文枝)兄さんにほめてもらえたからって、調子に乗るなよ」と思いっきり言われたんですけど。 文枝師匠がそれを覚えてくださっていて、生きてて良かったなあと思いましたね。 毎日毎日しんどかったですね。 芸人として生きてやろうとか、売れたろうという気持ちだけでやってましたけど、これで合っているんやろか、違うんちゃうかということがいろいろあって、生きてて楽しかったとか面白かったということが、一つもなかったですね。 その頃、日記を書いてたんですが、弟子に入ってからクビになるまで、後半の日記を読んでたら、「こいつよく死なんかったな」と自分で思うくらい、地獄だったんですよ。 (住み込みだったんですか?) 通いでしたが、阪神電車に乗るのが嫌でしたね。 あまりにも元気がなかったんでしょうね、公園でホームレスの方から「兄ちゃん、えらい元気ないやないか。 服がアカンわ。 俺の服やろか?」と汚れた服を持って来られたこともあったぐらいで。 今は新喜劇座員として、ちょっとでも師匠の目に止まれるような存在になれればいいなと思いますね。 10人くらいドーンと来ると、まあ、歓迎されてないところでは歓迎されてなかったですね。 楽屋のこととかも、目で盗めみたいなところもありましたし。 けっこう怒られましたしね。 今、金の卵がまだ続いていることを考えると、僕らがいるから続いていると思うし、僕らの責任は重いんですけど。 恵まれているといえば、恵まれた環境だったとは思いますね。 ラッキィ池田さんの授業があったりだとか、けっこう、力を入れていただいたので。 そう考えたら、優遇はされてましたね。 誰かに新喜劇入ってます、という時に、必ず「ギャグなんやねん?」と聞かれるんですよ。 でも、ギャグどうのこうのより、お芝居の中で必要とされるかどうかが、一番大きいんだろうなと思いますね。 ギャグがあって、それが出来ないのを気遣われるより、あいつがいたらお芝居として流れるなあ、と言われたい。 例えば1個しかせりふがなかったとしても、そこで存在価値があればいいんじゃないかなという気がするんです。 結果的にトータルで見てお芝居が一番大事なところやと思うんです。 売れるにはギャグが必要やけど、残るには芝居が必要やと思うんで。 どっち選ぶねんと思ったら…当然、どっちも欲しいですけど。 この10年、あの時ブレイクしたなと感じることがひとつもないんです。 でもここに居れている。 全員で作っていくお芝居なので、そこの1個の歯車できっちり回っていれば、どんな役でもいいなあと思うんですけど。 僕はそこを大事にしたいと思いますね。 金の卵1個目の奴とかもけっこうボケやったんですけど、漫才でボケとかやって来た人に比べたら、やってきた内容が違うので、ボケでフィーチャーされている人は少なくて。 吉田(裕)さんとかとオープニングさせてもらってたんですけど、そこに須知さん(すっちー)とかもっとボケの強い人が入ってきはると、どうしてもツッコミ側になってしまうので、いつのまにかツッコミの方になってしまってて。 回しの気持ちで入ってきたつもりはないんですよ。 じゃあ、内場さんって、回しなのかボケなのかというと、両方ですね。 となると、どっちでもええやんって。 どっちも出来ることが舞台人として必要だとすれば、どっちとあまり深く考えなくていいのかな、と。 両方常にできる状態でいればいいのかなと思うんですけど。 芝居のバランスになってきますね。 忘れてしまう舞台が多いんですけど、あの時のことは1週間、全部覚えてますね。 なぜ覚えているかというと、あの頃は稽古が早い時間にありまして、稽古終わりにお食事連れて行ってもらったんです。 その時に食あたりになりまして。 1週間、お腹グルグルグルグル鳴っていたんですよ。 忘れられません。 あと、入って1年ちょっとくらいで、吉田さんと梅田花月で「芝居もん」というのをやってまして、そこに須知さんが入ってこられて、3人でやらしてもらうってなった時は、ちょっと嬉しかったですね。 「売れるん違うか?」と思いましたけど、置いていかれましたね(笑)。 もともとあった京都花月がなくなって一時劇場がなかった時期があるんです。 僕おばあちゃん子で、以前、京橋花月でイベントやる時とか「京都やったらなあ(行けるけど)」と言うてたんです。 亡くなったぐらいの時に、祇園花月が出来たんで、僕にとっては感慨深くて。 おばあちゃんが引っ張ってきてくれたのかな、と。 この劇場は自分が出来ることがあったら大切にしたいし、大事にしたいなと言う気持ちがあります。 社員の方からも京都の人にイベントやって欲しいなという声をいただきまして、若手の新喜劇みたいなものやりましょうかと、今、京都新喜劇というのを、春・夏やらせてもらってます。 今、NGKでも新喜劇が勢いがあるので、京都の人間として、新喜劇で祇園花月を盛り上げたいなと思います。 10年目、なおのこと強く思いますね。 ここに劇場がなかったらあかんと思わせる何かをやらないと、と思いますね。 そこからの広がりで、アメリカのNBCテレビからオファーをいただきまして、先日、「Better late than never」という旅番組の京都のロケに参加させていただきました(2016年2月放送予定)。 相撲会場の案内役で日本語と英語でしゃべるコメディアンを捜していたんです。 やってたら、なんか形になるねんなと。 あとユーストリームで個人的に配信している番組もあります。 けっこう海外の方も見ていただいていて、自分にしか出来ないことをひとつづつやっていければいいなと思いますね。 趣味が実益を兼ねれば、それはそれで幸せなんと違いますかね。 お笑いは面白い人いっぱいいるんで、この中で面白さで勝負しても勝てるかなあと。 自分にしかできないことは絶対あるから、そこで負けなければええかなという気持ちですね。 日本の喜劇って、外国では受け入れられてないので、極端な話、ないものと思われている。 それをもうちょっと何とかしたい。 そのためにきっちりした英語で新喜劇を出来ればなあと。 アメリカ人の鼻をへし折るような新喜劇で、このコメディ見ろよ、と言いたい。 新喜劇をもっと広げるために、僕が出来ることとして、台本を英語に直したりもしてみたいですね。 2015年8月24日談 プロフィール 1975年10月2日 京都府生まれ。 2000年4月入門笑福亭福笑 2002年NSC大阪25期生 新喜劇コース。

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