小さい こと は 気 に する な。 器が小さい人の特徴9つ

人としての限界の大小は、細かいことを気にするかどうかで決まる。

小さい こと は 気 に する な

そのタイトルからして、興味をそそられるものだったが、その当時はただそれだけで、手にとってみようとは思わなかった。 どんな内容かはもちろんわかるはずもなかったが、タイトルだけでも何となく「うん、そうだよね」と頷いてしまうではないか。 その車内吊り広告を見た時点ではすでにこの本は大ベストセラーとなっており、その文庫版の広告だったと思う。 それからかなりたったある日、書店で実物の文庫本を見かけた時、何の迷いもなく手にとり、即購入したのであった。 それは確かに自分自身が精神的にそうした本を必要としている時だったのである。 つまり、「小さなこと」とは到底割り切れないような深みにはまってしまっている自分自身がいて、苦しんでいたのである。 それゆえ、このメインタイトル、そしてサブタイトルである「しょせん、すべては小さなこと」というコピーに引きつけられてしまったのである。 著者はリチャード・カールソン、小沢瑞穂訳、サンマーク出版刊の文庫本である。 そして読み始めるや、もう夢中で読んだ。 読む、といってもご覧になった方はご存じの通り、この本は非常に読みやすい。 全部で100の項目に分かれているのだが、その1項目がそれこそ2〜3ページという、いわゆるショートショート的な感じだ。 しかもその項目のタイトルを見て、何となく興味を引かれたページから読んでも、全体としてつながりがある訳ではないから、まったく支障がないのである。 劇的なのは、とにかくストレスの根元はあくまでも自分自身の思い込みや考えすぎから生まれるということだ。 激しく落ち込んだりするのも、大きな落胆を感じて悩んでしまうのも、すべて大げさに捉えてしまっている結果だと言う。 ちょっとしたことでも過剰反応してしまい、その結果大事件が発生したかのごとく、大騒ぎし、混乱してしまうのだと言う。 どの項目もすべて味わいがあり、甲乙つけ難いのだが、その中でも特に私が何度も読み返した項目のひとつが60番目の「人生をメロドラマにしない」という項目だ。 著者であるリチャード・カールソンは、ドラマというものはすべて誇張されて、大げさに演出されているものであり、実際の人生は自分が思っているほど悪くないということを忘れがちである、と説いている。 そして小さなことを拡大して捉えているのは自分自身だということも記している。 「なぜ、自分がこんなひどい目にあわなくてはならないのか?」と思い悩み、深く考え、分析し、そして人にそのことを訴えて、さらに悩みを増幅させる。 その結果、人生を非常事態、つまりメロドラマにしてしまうのだ、と述べている。 そしてこの項目の結論として、そうした「人生は非常事態ではない」と思えば、メロドラマが一転して「メロードラマ」に転換すると記している。 誰にでも思い当たるのではないだろうか?幸いにもそんな思いをしたことは一度たりともない、と言う人はよほどのラッキーか、もしくはすでにリチャード・カールソンの言うところの戦略をマスターしている方だろう。 そんな方にはこの大ベストセラーも無用だろう。 が、ちょっとでもそうしたストレスを感じたことがある人、今まさに人生を非常事態と捉え、深い悩みに落ち込んでいる人には「福音」とも言える戦略の数々が記されている。 18項目の「たまにはぼんやりしてもいい」では、何もせずにぼーとすることの大切さを述べている。 31項目の「暗い気分に流されない」では、気分というものがいかに短い周期でコロコロと変わるものかを説いている。 51項目の「批判は受けとめれば消えていく」では、自己弁護することのとてつもなく無意味なエネルギーの消費を述べている。 78項目の「気を抜くことも大切だ」では、すべてを完璧にやろうと思う必要などないことを記している。 82項目の「100年後は、すべて新しい人々」では、今がどうであろうと100年後にはそれがどんな意味があるのかを問いかけている。 90項目の「この一幕もまた過ぎていく」では、徒然草のごとく世の中の無常を説いている。 100項目の「今日が人生最後の日だと思って暮らそう」では、1日1日の重要性、明日ではなく今日が大切であることを指摘し、そして最後に「どうか、自分を大切にしてほしい」という端的なメッセージでこの本は終わっている。 とにかく、どこから読んでもかまわない。 項目名で、その時の気分にマッチしたところだけを読んでもかまわないだろう。 私も前述の通り、この文庫本はもう何度も読み返しており、今でも必ずカバンに入れて持ち歩いている。 通勤電車の中で3〜4項目だけ読むこともある。 会社で仕事の合間の昼休みに近くの公園に持っていき、読むこともある。 その時の気分で、どうにも朝から落ち込み気味のときは、会社に行く前のほんのちょっとの時間にお気に入りの項目だけを再読することもある。 1項目読むのに、ものの2〜3分もあれば読めてしまう。 それで何度、朝からの沈んだ気持ちが救われたことか。 著者のリチャード・カールソンも文中で述べているように、私もまた大きな苦悩が自分自身を包みかけた時、「メロドラマが開幕したぞ」と思い、大きく深呼吸して、「メロドラマにしない!メロードラマにしよう」と思い直すように心がけている。 そしてそれでもメロドラマが開幕してしまったとしても、それを大げさに分析せずに、「まぁ人間だから仕方ないさ。 そう思うこともあるし、それを認めよう」と思うように努力している。 確かに全米でも大ベストセラーとなり、世界30カ国で翻訳されている本だけのことはあると間違いなく思える。 つくづく思うのは、この本をより多くの人が読み、そしてリチャード・カールソンの提唱する戦略を実践しようと努めれば、世の中はもっともっと平和で、穏やかな世界になるだろう、ということだ。 が、残念なことにそうでない人もまた多い。 自分の正当性ばかりを主張する人、自分勝手な人、権力にばかりものを言わせる人、思いやりのない人…。 そんな場合でもリチャード・カールソン流に言えば、「人は人」と受け流せばいいのだろうし、そういう人に対しても寛容さが必要だということになるのだろうが、現実問題としてはなかなか困難であることも事実だろう。 そこまで達観した境地はそう簡単になれるものではない。 そんな人が周囲にたくさんいて、そんな中で自分1人がリチャード・カールソンの戦略を実践したとしたら、結局は「負け犬」になってしまうのではないかとも思える。 しかし、何が大切かを考えた時、そうしたことは自然と答えが出てくるのではないだろうか。 会社での肩書きや身分はいったい何の意味があるのか?それがその人自身の価値だろうか?違う。 肩書きや身分などは単にその会社世界という極めて狭い中でのみ通用するものだ。 仕事に上下はあるか?ない。 あると思えるなら、それは何かを比較しているからだ。 どんな状況であろうと、それを現実として素直に受けとめ、その時その時を真剣に生きることが、何よりも大切であることを、この本は必ず教えてくれる。 ちなみに続編としてサブタイトル「まず、家族からはじめよう」、「仕事はこんなに楽しめる」も出版されている。 この続編も同様に項目別に細分化されているので、読みたいと思う項目だけ読んでもいい。 …まずはその第1巻ともいうべき、サブタイトル「しょせん、すべては小さなこと」から読んでみてほしいと思う。 きっと、素晴らしい効果をあなたにもたらすと思う。 今、私があまりにも突然の理解不可能な憂き目に遭いながらも、そしてその大きな苦悩にもかろうじて耐えて、何とか日々を過ごしていられるのも、ある意味では決して大げさではなく、この本との出会いによって救われた部分も多々ある。 きっと、今深い苦しみのどん底にいる人の前にも一筋の光明を照らしてくれると思う。 是非ご一読願いたい。 自分自身をもっともっと大切にするために…。 TOMODACHI MUSEUM Copyright C SADAO MARUYAMA All Rights Reserved.

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細事にこだわって失敗することわざ

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OCDの症状は、「強迫症状」と呼ばれ、次の2つがあります。 強迫観念:不適切な考えが繰り返し頭に思い浮かび、ふり払おうとしても頭にこびりついてしまって、なかなか消し去ることができず、強い苦痛や不安をもたらします。 強迫行為:強迫観念の衝動に従って、苦痛や不安を打ち消すために行われます。 何度洗っても汚れが残っているような気がして、延々と洗い続けてしまう、鍵がちゃんとかかっているのか何度も何度も確認してしまうような繰り返しがみられます。 ほかにも他人からは目に見える行為ではありませんが、頭のなかで祈ったり、数をかぞえたり、何かを唱えるといった行為もあります。 強迫行為は強迫観念に反応して行われ、行っているうちに自分自身で考えたルールができてしまい、今度はそのルールにとらわれるようになります。 これらの行為をしないと、何か悪いことが起こるような衝動に駆りたてられてしまうのです。 つまり、本人もおかしなことだとある程度自覚しているのに、繰り返し生じる強迫観念から逃れられず、それに反応した強迫行為もやめることができなくなっていく 悪循環に陥るのです。 そうなると心身ともに疲れてしまいます。 また、どんなに繰り返し強迫行為を行っても、不安や不快感を消し去ることができないところに、この病気のつらさがあるのです。 洗浄や確認、加害不安などOCDのとらわれは、症状名ではなく、その症状の現れ方でサブタイプと呼ぶことがあり、一人の患者さんにいくつか同時にみられることがあります。 このようなとらわれは病気の経過中で変化することもあります。 たとえば、子どものころは、洗浄の症状が強かった人が大人になるにつれて、洗浄の症状は減ってきたものの、確認の症状がこれまでよりも強く現れるようになる、などです。 私たちは、それぞれ多かれ少なかれこだわりをもっています。 なかには、「私はほかの人に比べて神経質すぎるのではないか」「心配症すぎるかも」と自分のこだわりの強さに疑問を感じている人がいるかもしれません。 しかし、OCDはそのような 性格が単に過剰になったものではありません。 OCDかもしれない、とお感じになられたら、ぜひ一度、専門医に相談されることをおすすめします。 よくみられる強迫観念と強迫行為 汚染/洗浄 汚染に対する不安(強迫観念)によって、過剰な洗浄行為(強迫行為)をしたくなります。 たとえば、トイレの後、自分が汚れたような気がして、いくら手洗いをしても、「清潔になった」という実感がもてず、延々と手を洗い続けることがあります。 また、外出先から戻るとまずシャワーを浴びて、すべて着替えないと気が済まない場合もあります。 これは、外からの汚れを持ち込まないためにする行為で、家族に同様の行為を強制することもあります。 外出の準備に何時間もかかったり、帰宅後、洗浄する行為が非常に大変なので、外へ出かけることがつらくなり、引きこもりになってしまう場合もあります。 加害/自分への危害 ちょっとした不注意から、自分に危害が及ぶことを心配する人もいれば、他人に悪いことが起きてしまう(加害不安)という強迫観念をもつ人もいます。 たとえば、自分への危害が心配な人では、刃物がそばにあることで強迫観念が生じ、その刃物に触れていないのにけがをするのではと不安が高じます。 一方、加害を不安に思う人では、同じ場面にあっても人を傷つけてしまうのではと不安になります。 加害不安では、車の運転中にちょっとした違和感を覚えただけで、人や動物をひいたのではないかという不安に襲われたり、ホームですれ違っただけでその人を線路へ突き落としたりするのではないかという考えにとらわれてしまう人もいます。 暴力的な衝動があって困るのではなく、そのようなことがもしも起きてしまったら、という不安から過剰に警戒してしまうのです。 回避 強迫観念をもたらすものや場面を避けるようになります。 たとえば、不潔に感じるものに触らないようにしたり、不潔と思われる場所に近づかないようにしたりします。 また、包丁やナイフなどの刃物に強迫観念が起こる人では、その不安から逃れるために刃物を避けるようになります。 正確さ・順序・対称性 への要求 ものの配置が必ず左右対称でないといけない、まっすぐに並んでいなくてはいけないととらわれてしまうもので、たいして意味のないものにまで、厳密にそのルールを当てはめようとします。 そして、ルール通りにいかないと落ち着かず不安になります。 また、ズボンのすその位置がちゃんとしているか、机と椅子の高さや本と自分の目の距離が適正かなどが、気になって仕方がないという人もいます。 強迫性緩慢 緩慢(かんまん)とは、ゆっくりで遅いという意味です。 頭のなかで強迫的な考えに延々ととらわれてしまい、一つひとつの動作が他人からは非常にゆっくりして見えます。 たとえば、服を着るときや脱ぐとき、または洗面や入浴のときなど、そのやり方が適切かどうか、不安を解消するために延々と考え続けてしまいます。 強迫的ため込み 強迫観念により、ものを過剰に集めて、それを整理したり捨てたりすることが困難になるものです。 たとえば、捨てたら二度と手に入らないのではないか、いつか使うときに大変な後悔をするのではないかという思いから、古新聞や不要になったダイレクトメール、洋服や日用品など捨てられずに、家のなかが不要なものでいっぱいになってしまいます。 また、この機会を逃したら次は手に入らないかもしれない、貴重な情報が載っていたらどうしようなどの不安な動機によって、本来不要なものまで、買ったり集めたりすることもあります。 その他 回数や個数を、さまざまな場面で数えるという強迫行為を行う人もいます。 また、4や9など、特定の数字を不吉だと感じ、どのような場面でもその数字を回避しようとします。 数字に限らず、以前事故があった場所などに対し、過剰に縁起を意識するあまり、その道を通ることができなくなるなど日常生活に支障をきたすこともあります。 あるイメージや単語、数字、音楽などが繰り返し頭のなかに浮かんできて、消すことができないということもあります。 このようなケースは、他人の目に見える強迫行為がないことが多くなかなか周囲の人には伝わりません。 OCDの患者さんは、自分の強迫症状を人に知られないように隠していることが多く、治療の機会を逃してしまうことも少なくありません。 しかし、症状が誰の目にも明らかになると、家族や友人、同僚など人間関係に悪影響が出ることがあります。 家族の場合は巻き込まれて、掃除を強要されるなど強迫行為を手助けしなくてはならなくなることもあります。 症状が強くなると強迫行為にかかわる時間が増え、通常の作業や行動ができなくなるので、学業や仕事にも深刻な影響が出ます。 仕事や学校生活を続けるのが困難になることもあり、さらには引きこもりのような状態になる場合もあります。 こうした生活全般への影響から、OCDの患者さんのなかにはうつ症状がみられる人もいます。 OCDによる社会機能の妨害 (アメリカ合衆国における700人の患者を対象とした調査による) 頻度(%) 活動 92.

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小さいことを気にする原因と小さいことを気にしなくなる方法

小さい こと は 気 に する な

男子も女子も体についての悩みはいろいろだけど、 アソコが小さいことを悩んでいる男子 は多いはず。 表からは見えないものだけど、きっと女子には事実を言いにくいし伝えづらい。 そこでペニス小さめ男子のが告白した、「女子に知ってほしいこと」をコスモポリタン アメリカ版から。 センシティブなトピックだけど、お互いの体を尊重することは 2人の関係がうまくいくカギになるはず。 【INDEX】• 1 .サイズと機能は関係ない ペニスは小さくても、ほとんどの場合はキチンと機能する。 僕の場合、勃起、射精、排尿関係、何も問題ない。 でも同じ悩みを抱える人たちにもっとも起こりうる問題は、小さいことを気にしすぎて「ちゃんとセックスできるかな?」と不安に感じてしまうこと。 イクときはイクし、機能的にはまったく正常だって知ってほしい。 2 .セックス前に女性に伝えるのが難しい ペニス小さめ男子は誰でも「どのタイミングで彼女に話すべき?」という悩みを抱えているはず。 女子側の立場に立てば「彼のためにずいぶん時間を使ったのに、(セックス)直前で『アソコ小さめ男子です』なんて言われても、裏切られた気分」と思うかもしれない。 でも男子側にもなかなか言えない理由があるんだよ。 まず告白しても、ひどい反応をされることが多い。 「私とセックス目的でデートしてるの?」と誤解されたり、「私がセックスしたがっていると思っているの?」と言われることも。 また、わざわざ告白することで「私が(こういったことに理解がない)心の狭い人間と思っているの?」と侮辱されたような気分になる女子もいる。 いずれにしても小さいことを告白することで、セックスする前に彼女を失ってしまうリスクを抱えているんだ。 うまく言う方法があったら教えてほしい。 3 .嘘をつかないでほしい セックスの後、「あなたのアソコ、全然小さくなかったよ」「むしろ大きいって思ったよ」なんて言ってくれる優しい女性もいる。 でも本人は自分のペニスが小さいって知っているから、「小さくないよ」と言われるとうんざりするし、傷つくことも。 彼女にはそんな意図がないことは 100も承知なのに、「"小さいこと=みじめなこと"だと思っているから、慰めてくれているのでは?」と感じてしまうんだ。 4 .小さいペニスにまつわるジョークや言動は、小さめ男子を傷つける いかなる場合でも、体の一部をからかう言動はすべきでないはず。 「彼って臆病ね。 アソコが小さいんじゃないの」みたいなセリフを映画やテレビでよく聞くけど、たとえそれが冗談であっても「ペニスが小さい=人間としての価値が低い」と思えるような発言はつつしんでほしい。 小さめ男子を傷つけるのはもちろんのこと、これってれっきとしたハラスメント。 5 .簡単にペニスを大きくする方法なんてない ペニスを大きくするための薬や器具が販売されているのは知っているけど、簡単に大きくする方法は残念ながら皆無。 大きくするための外科手術(長径/長茎手術)は痛いのはもちろんのこと危険を伴い、費用も決して安くない。 かつごく稀ではあるものの手術が不成功に終わると、セックスの快感を失ってしまう可能性もあるらしい。 6 .ガールズトークのネタにしないでほしい もっとも傷つくことの 1つは、小さめ男子とセックスした後に、ガールズトークの話題としていじられること。 いじられた本人が話題になっていることを知ってしまった場合、自尊心を失うばかりか、生涯に渡り 2度とセックスに自信を持てなくなってしまうほど打ちのめされてしまうことも。 女性だって、性器に問題があることをボーイズトークでからかわれたら、きっと耐えられないはず。 「いじられても平気!」なんて小さめ男子は存在しないことを知ってほしい。 7 .セックスの楽しさはサイズに比例しない 小さめ男子の場合、セックス相手の反応を気にしすぎたり、またはサイズを気にするあまりにセックス経験をなかなか積めない…といった問題がよく起こる。 僕の場合はその両方だった。 でも小さくてもセックスライフを十分にエンジョイしてる人もたくさんいるのも事実。 「大きい=気持ちいいセックス」では決してないし、もしお互いに愛し合っている 2人なら、彼はきっと彼女を満足させる方法を見つけるはず。 Translation:.

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