さりげ ない 優し さ。 【好きって言うのに、言葉はいらない】さりげない優しさ/佐木郁作品集

宇治拾遺物語の、秦兼久の悪口で最後に「さりけり、さりけり。ものないひそ。」...

さりげ ない 優し さ

スポンサーリンク 本当の優しさは見返りを求めない 優しいと感じて何が嬉しいのかというと、 自分のことについて考えてくれているから嬉しいんです。 完全にギブ(give)に徹している。 テイク(take)である見返りを求める優しさは、 嘘の優しさですよね。 薄っぺらい優しさは、わかる人にはすぐにバレます。 冒頭でも述べた通り、本当の優しさは見返りを求めないもの。 何も期待していないんです。 相手にとってメリットがあるのなら、それだけでいい。 自分のことは二の次で良いと考えることができる。 これこそが本当の優しさです。 自分の子供を持つ人なら、それはよくわかるはずです。 子供に注ぐ愛情は、見返りを求めているわけではないですよね。 嘘の優しさは満たされない人が使う優しさ 見返りのない優しさに比べて、嘘の優しさを見せる人は、満たされていない人。 なぜ優しくするのかというと、 欲求を満たすためなんです。 お金目当てで、お金持ちにすり寄る女性。 好きでもないのに、性欲を満たすためだけに、女性に近づく男。 こういう人たちは、 優しさを武器にしています。 優しい行為って、見破るのが難しいときもありますよね。 だからこそ、騙されてしまう人も多い。 優しさを利用するなんて、悪質ですよ。 非道な輩は、平気で嘘をつきますからね・・・。 本当に優しい人の特徴 精神的に余裕がある 見た目からして優しい人は、余裕があるように見える人です。 優しいかどうかを判断する上で、優しい雰囲気があるかどうかは重要なポイント。 第一印象で、恐い印象を与えると、相手に警戒されてしまうからです。 だれかに優しくしたいなら、常に落ち着いて平常心でいる必要があります。 困ったときに相談してもらえるように、精神的な余裕を持っているのです。 満たされた人 精神的だけでなく、金銭面、人間関係、自分の能力など、全てにおいて満たされた人。 こういう人は、自分は満足しているので、誰かに何かしてあげたくなるんです。 特に、運良く成功した人は、幸福を分け与えたいと考える人もいます。 お金儲けのための投資とは違って、そこに狙いはありません。 ただ、周りの人が幸せになる姿を見たいだけです。 人が幸せそうにしている姿は、見ている方も嬉しいですからね。 人生の終わりが近い人 年齢的に高齢に近づくに連れて、人は優しくなります。 人生の終わりを実感することで、くだらないプライドとか、欲求がなくなっていくからです。 そうなって初めて、人に優しくしたくなる。 許せなかったものが許せるようになる。 後悔の念が混じっている人もいるでしょう。 「もっと人に優しくしておくべきだった・・・」 そんな気持ちになっている人の優しさは、本物と言えます。 嘘の優しさかどうかを見破る方法 嘘の優しさは、 本当の要求を隠しているということ。 もし誰かの優しさに疑問を持ったのであれば、その人が何を狙っているのか考えてみましょう。 バレバレの優しさは大抵これで見抜けます。 彼女がいるときだけ、他人に優しくなる男は、優しい振る舞いをしている自分を見せることで、自分の評価をあげようとしているわけです。 こういった裏のある行動は、いつか必ずボロがでます。 絶対にバレるときがきます。 本当に優しい心を持ちたいのであれば、常に誰に対しても誠実にありたいものです。 自己中心的な考えの人の優しさには、注意しておきましょう。 同性の場合でも、仲良くしたいという気持ちの表れ。 だからこそ、 期待を裏切られた時のショックも大きい。 見返りを求めない優しさを持つことは、そう簡単ではないです。 好きな人に好かれたいから優しくするというのは、裏がある優しさです。 うまく受け止めてもらえないと、予想外の暴走をしてしまう人もいるんじゃないでしょうか? 恋愛の駆け引きでいうと、優しさを出すのは少し危険です。 なぜなら、 相手に対して、下手に出ることになるからです。 受け止めてもらえなくてもいい優しさなら、結果は気にしないはず。 戦略的な優しさを武器にしている人は、気をつけておきましょう。 まとめ 他人に優しくするのは簡単ではないですよね。 だからこそ本当に優しい人に憧れる。 でも、嘘の優しさをうまく使っている人もいるわけです。 周りにいる優しいイイ人は、本当は心の中が汚い人かもしれません・・・。 優しさの裏に何か狙いがないかどうか、普段の生活で探れるようになると、人を見る目が変わるかもしれませんね。 そんな人の心理模様について考えるのも、面白いかもしれません。

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モテる優しさとモテない優しさの違い

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『宇治拾遺物語』一〇「秦兼久通俊卿の許に向かひて悪口の事 」 実は、どちらの解釈も筋が通っているのです。 この話には裏の事情がありました。 まず、秦兼久の歌(宇治拾遺物語の兼久は誤りで、実はその父の兼方の歌)は、決して藤原通俊のいうような、凡作ではなく、その証拠に、のちに『金葉集』に採用されました。 なかなかの秀歌だったのです。 いっぽう、通俊はまだ若く、歌人としての実績も今ひとつだったので、『後拾遺集』の撰者に選ばれたときには、多くの人が首をかしげました。 通俊は白河院の寵臣だったので、実力もないのに、院のひいきで選ばれたのだとうわさされました。 そのせいか、『後拾遺集』はのちのちまで不評で、通俊の撰にもいろいろと疑問が呈されました。 これには通俊個人への反感も含まれていました。 そういった当時の雰囲気の中で、通俊への反感から生まれた話であることを念頭に置いてください。 通俊が、自分のまちがいを恥じて、口止めをした、というのは、 彼は、間違いを犯したうえ、それを口止めするような姑息な男として描かれている、という解釈です。 お友達の解釈も、深読みですが、ありそうなことです。 通俊は、秦兼久(兼方)の身分が低いので、まともに彼の歌を扱う気がなくて、適当な文句をつけて追い払った。 だから、その文句がまちがっていることを指摘されて、「そんなのわかってる、黙っておれ」と言った、というのは、 彼は、歌そのものの出来よりも、相手の身分や経歴で判断する、芸術がわからないうえに、性格の悪い男として描かれている、という解釈です。 どちらも、話の主旨として、まちがってはいないので、このへんになると、解釈する人の好みの問題といえましょう。

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言いたくないのですが・・・・・

さりげ ない 優し さ

『宇治拾遺物語』一〇「秦兼久通俊卿の許に向かひて悪口の事 」 実は、どちらの解釈も筋が通っているのです。 この話には裏の事情がありました。 まず、秦兼久の歌(宇治拾遺物語の兼久は誤りで、実はその父の兼方の歌)は、決して藤原通俊のいうような、凡作ではなく、その証拠に、のちに『金葉集』に採用されました。 なかなかの秀歌だったのです。 いっぽう、通俊はまだ若く、歌人としての実績も今ひとつだったので、『後拾遺集』の撰者に選ばれたときには、多くの人が首をかしげました。 通俊は白河院の寵臣だったので、実力もないのに、院のひいきで選ばれたのだとうわさされました。 そのせいか、『後拾遺集』はのちのちまで不評で、通俊の撰にもいろいろと疑問が呈されました。 これには通俊個人への反感も含まれていました。 そういった当時の雰囲気の中で、通俊への反感から生まれた話であることを念頭に置いてください。 通俊が、自分のまちがいを恥じて、口止めをした、というのは、 彼は、間違いを犯したうえ、それを口止めするような姑息な男として描かれている、という解釈です。 お友達の解釈も、深読みですが、ありそうなことです。 通俊は、秦兼久(兼方)の身分が低いので、まともに彼の歌を扱う気がなくて、適当な文句をつけて追い払った。 だから、その文句がまちがっていることを指摘されて、「そんなのわかってる、黙っておれ」と言った、というのは、 彼は、歌そのものの出来よりも、相手の身分や経歴で判断する、芸術がわからないうえに、性格の悪い男として描かれている、という解釈です。 どちらも、話の主旨として、まちがってはいないので、このへんになると、解釈する人の好みの問題といえましょう。

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