ランボー 詩人。 恐るべき殺傷能力!ランボーがシリーズ通して何人の敵を倒してきたか数えてみた

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シリーズ最新作『ランボー ラスト・ブラッド』は6月26日公開 [c]2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC. アクション映画の金字塔「ランボー」シリーズの最新作『ランボー ラスト・ブラッド』が6月26日 金 、いよいよ公開する。 今回は肉体のみならず、頭脳戦も繰り広げられる。 さて、そんな不屈の男・ランボーだが、シリーズ通していったい何人の敵を倒して 抹殺して きたのか。 激闘の歴史を振り返ってみたい。 倒したかも?や、シーンとして映ってない場合はカウントせず そもそもランボーってどんな人? ランボーの本名はジョン・ランボー。 1947年7月6日アリゾナ生まれ。 先祖は先住民とドイツ系となっている。 64年6月にアメリカ軍に入隊し、特殊部隊、いわゆるグリーン・ベレーで訓練を重ねる。 得意なのは小型武器。 衛生兵でもありヘリも操縦可。 ランボーと聞くと詩人のアルチュール・ランボーを思い出すが、綴りも違い、また詩人ランボーはフランス人なので、あまり関係なさそう。 【写真を見る】40年にわたるランボーの勇姿はこちら [c]2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC. 第1作『ランボー』ではまさかの1人だけ! 記念すべき第1作で、ベトナム帰還兵としてワシントン州の片田舎に戦友を訪ねてきたランボー。 怪しい男を街に入れたくない保安官たちと思いがけず対立してしまう。 執拗に追いかけてくる田舎町の保安官たちから逃げながら、「山では俺が法律だ」と得意の山間部でのゲリラ戦で応戦する。 迫りくる保安官たち、警察犬、州警察、州兵部隊らと奮闘するが、保安官たち6名を重症に追いやるも、実際に倒したのは保安官のガルトただ1人。 それも、攻撃してきたヘリに石を投げつけての墜落死。 ほぼ正当防衛だ。 その後の活躍からすると意外な結果となった。 が、そこはランボー、当然それだけに終わらず、結局捕虜収容所の兵士たち、海賊、ロシア兵らと大乱戦となる。 捕虜収容所の見張りにはナイフ投げ、海賊にはショットガン、海上警備隊にはロケット・ランチャー、ロシア兵にはAK47と多彩な武器で応戦する。 注目は矢じりに爆弾が付いた弓矢。 ランボーの代名詞とも言える武器の初登場だ。 弓矢といえば、音もなく倒せる、でおなじみだったのにもかかわらず、爆弾が付くことでその長所をまったく無視。 爆音と共に敵を木っ端微塵に粉砕する鮮烈なデビューとなった。 そして目視で確認できた倒した敵の数は一気に増えて52人。 押しも押されぬ80年代を代表するヒーローアイコンとなった。 ちなみに今作のセリフで「俺は消耗品だ。 パーティに招かれたのにすっぽかしても別に構わない感じ」とあり、後のスタローンのヒット作「エクスペンダブルズ 消耗品たち 」誕生の由来となったと思われる。 爆弾弓矢の登場には当時誰もが度肝を抜かれた [c] 1982, 1985, 1988 STUDIOCANAL.

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目次 詩人ランボーとの出会い : サントリーのCMより 私が初めてランボーの名前を知ったのは、ウイスキーのCMがきっかけです。 小学校の高学年でした。 土曜の夜、Gメン'75とかやってた時間帯によく目にした記憶があります。 私の姉の話では、ここに登場する火を噴く男や道化、タンバリンを叩く少女などは、ランボーの詩を象徴するものだそうで、背景の砂漠は、ランボーが最後に辿り着いた自由の境地、アフリカをイメージしたものです。 ラスト、ランボーの投げたナイフが彼の詩集にぐさりと突き刺さる演出が秀逸ですね。 このCMは世界的なコンテストでも高く評価され、後に「アントニオ・ガウディ編」「グスタフ・マーラー編」も作られました。 昔はこんなに芸術性の高いCMが作られていたんですよね。 ちなみに、ガウディやマーラーを知ったのも、このCMシリーズがきっかけでした。 ランボーへの思い入れたっぷりの、センスの良いCMだと思います。 アルトゥール・ランボーの名作 永遠 永遠 もう一度 探し出したぞ 何を? 永遠を。 それは、太陽と番った 海だ。 待ち受けている魂よ、 一緒につぶやこうよ、 空しい夜と烈火の昼の 切ない思いを。 人間的な願望(ねがい)から 人並みのあこがれから、 魂よ、つまりお前は脱却し、 そして自由に飛ぶという……。 絶対に希望はないぞ、 希いの筋もゆるされぬ。 学問と我慢が やっと許してもらえるだけで…… 刑罰だけが確実で。 熱き血潮の柔肌よ、 そなたの情熱によってのみ 義務も苦もなく 激昂(たかぶ)るよ。 もう一度 探し出したぞ 何を? 永遠を。 それは、太陽と番った 海だ。 僕の永遠の魂よ、 希望は守りつづけよ 空しい夜と烈火の昼が たとい辛くとも 人間的な願望から 人並みのあこがれから、 魂よ、つまりお前は脱却し、 そして自由に飛ぶという……。 絶対に希望はないぞ、 希いの筋も許されぬ。 学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……。 刑罰だけが確実で。 明日はもうない、 熱き血潮のやわ肌よ、 そなたの熱は それは義務。 それは、太陽と番った 海だ。 この詩に惚れない人はないだろう。 私も、上記のCMに感化されて、すぐに詩集を買いに走ったクチなのだが、小学生でもこの詩にはノックアウトされた。 若い魂の葛藤や反抗を表しながら、どこか官能的な情景の向こうには、太陽=ランボー、海=ヴェルレーヌの男色関係を示唆するものがある。 原文では、「番った」が、avec というフランス語にあたるのだけれど、なるほど、avecにはこういう意味があるのかと改めて考えさせられた。 共生とも一体とも取れる、強い、官能的な響きが、このavecにはある。 私も、この詩を原文で味わいたいがために、「フランス語を勉強しよう」と思ったほど。 レオナルド・ディカプリオの映画『太陽と月に背いて』では、ラストシーンに効果的に使われていた。 「もう一度、探し出したぞ」とつぶやくランボーに、「何を?」とヴェルレーヌが答える。 「永遠を。 それは、太陽と番った、海だ」 現実には泥沼の三角関係を演じて、決して幸せな愛情生活は得られなかった二人だが、詩の中では、永遠に一つとなって、自由な魂の幸せを謳っているのだろう。 人間的な願望から 人並みのあこがれから、 魂よ、つまりお前は脱却し、 そして自由に飛ぶという……。 この一節、大好きです。 最後の塔の歌 最後の塔の歌 あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、 気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした。 心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか! 僕は自分に告げました、 忘れよう そして逢わずにいるとしよう 無上の歓喜の予約なぞ あらずもがなよ、なくもがな。 ひたすらに行いすます世捨てびと その精進を忘れまい。 聖母マリアのお姿以外 あこがれ知らぬつつましい かくも哀れな魂の やもめぐらしの憂さつらさ 童貞女マリアに 願をかけようか? 僕は我慢に我慢した。 おかげで一生忘れない。 怖れもそして苦しみも 天高く舞い去った。 ところが悪い渇望が 僕の血管を暗くした。 ほったらかしの 牧の草 生えて育って花が咲く よいもわるいも同じ草 すごいうなりを立てながら きたない蝿めが寄りたかる。 あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、 気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした 心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか! これも中学生の時に惚れました。 『あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、 気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした 心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!』 この一節がまさに当時の自分の心境だったから。 映画『太陽と月に背いて』でも、「ランボーの詩は、若い人から圧倒的な支持を得ているのです」といったセリフがあるが、技術においても、精神においても、若い魂そのままに革命的だったのだろうと思う。 わが放浪 わが放浪 僕は出掛けた 底抜けポケットに両の拳を突っ込んで。 僕の外套も裾は煙のようだった。 僕は歩いた、天が下所せましと、 詩神どの、 僕はそなたに忠実だ、 ああ、なんと素敵な愛情を 僕は夢見たことだった! はきかえのないズボンにも 大きな穴があいていた。 夢想家の一寸法師、 僕は道々詩を書いた。 大熊星が僕の宿、 み空の僕の星たちは やさしく衣ずれの音させた。 路傍の石に腰掛けて、 星の言葉に聴き入った。 新涼九月の宵だった、 養命酒ほどさわやかに 額に結ぶ露の玉、 奇怪な影にとりまかれ、 僕は作詩にふけってた、 ボロ靴のゴム紐を竪琴の弦に 見立てて弾きながら、 片足はしっかりと胸に抱えて! 私もこんな風に旅立ってみたいなあといつも思っていた。 どこか遠くに出掛けると、『大熊星が僕の宿』が脳裏に浮かんだもの。 彼の詩はなるべく早い時期に読んだ方がいいと思う。 年をとって落ち着いてしまうと、「そんなこともあったかなあ」と過去形になってしまうから。 「そうだよ、ランボー、私もだよ」って、リアルに語り合える頃が一番いい。 今でも大熊星は私の心の宿だけど。 ランボー & フランスの詩集(本の紹介) 言うまでもない名著。 典雅で格調高い訳文に酔いしれる。 できれば原文も読みこなしてみたいけれど、堀口氏の翻訳でも十分にランボーの世界を堪能できるのではないだろうか。 後にも先にも、これに勝る訳文は出てこないだろう。 それぐらい価値のある一冊。 映画『太陽と月に背いて』を動画で紹介 映画『太陽と月に背いて(原題:Total Eclipse』は、ランボーとヴェルレーヌ、そしてヴェルレーヌの妻との複雑な三角関係をベースに、稀代の天才詩人二人が惹かれ合い、互いにインスパイアしながらも、破滅にひた走って行く過程が描かれています。 Total Eclipseは皆既月食の意味。 レオナルド・ディカプリオが最高に美しかった頃の秀作です。 これは創作活動も人生も共にすると誓ったランボーとヴェルレーヌが熱い口づけを交わす名場面。 すべての観客が「ウウッ」と息を呑むのがひしひしと感じられました。 レオ様、超美しいです。 これはまさにお宝映像ですね。 これもファン垂涎の名場面集。 「海が見たい」と甘えるランボーの願いを叶えてあげるヴェルレーヌ。 上記の『永遠』の詩を思い浮かべながら見て下さい。 うずうずっとしますでしょ。 こんな可愛い男の子に甘えられたら、ヴェルレーヌでなくても、何でもしてあげてくなるよなーっ。 本作のトレイラー。 しかしながら、その後10年、これといった作品に恵まれず、レオ様いわく、「タイタニックには出るべきではなかった」と。 その気持ちも分かるような気がします。 (タイタニック以後、何を見てもジャックにしか見えない) 映画のDVDと激アツ・Amazonレビュー 19世紀。 時の大詩人ポール・ヴェルレーヌ(デヴィッド・シューリス)のもとに、才気あふれる16歳の天才詩人アルチュール・ランボー(レオナルド・ディカプリオ)が訪れる。 若く美しく才能あるランボーにヴェルレーヌは惹かれるが、嫉妬と愛憎入り混じる激しすぎる愛ゆえ、ふたりは別離を繰り返していく。 心理的SM関係のランボーとヴェルレーヌの、激しすぎる関係を軸に、2人の出会いからランボーが孤独な死を迎えるまでを格調高く描いていく。 よくある同性愛モノのようにメロウに流れることなく、厳しい目で2人を見つめ、芸術家の心のうちをえぐり出していく。 ディカプリオがプライドと才能がにじみ出る残酷な若き天才を、乗り移ったかのように演じている。 適役とはまさにこのこと。 酒におぼれ妻を殴り、妻とランボーの間を行ったりきたりするヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスもすばらしい。 ちなみに、原題の『Total eclipse』が意味するところは、太陽=ランボーが、月=ヴェルレーヌを完全に支配することを象徴しているのだそうだ。 --- レオ様が最高に美しかった頃の宝石のような映画。 映画としての評価はどうでもよろしい。 レオ様が美しければ、それで全てが許されるのだ。 公開当時は、男同士のキスシーンが話題を呼んで、映画館でも、観客すべてが「ウウッ」と息を呑む気配をひしひしと感じたもの。 レオ様は「二度としたくない」とコメントしていたようですが・・。 こんな息子が欲しくて、金髪に憧れてたこともあったな。 この頃の彼に会うことが、どれほど夢だったことか。。。 ランボーを演じるレオ様は、まるでアイドル映画の学生みたいで、全然、天才詩人らしくない。 でも、可愛いから許す。 この映画は、ヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスと、夫を寝取られる妻役のロマーヌ・ヴォーランジェで持っている。 二人のネチネチ感が、レオ様の清々しさと対照的で面白いの。 ともあれ、レオ様のアイドル映画として見れば溜め息間違いなし。 どんどん値段はつり上がる一方。 これを心斎橋のミニシアターで見た時の感動は今も忘れませんのに、ああ……。 【Amazonレビューより】 ディカプリオの一番美しかった瞬間を捕らえた奇跡の作品。 衣装やセット、音楽、映像の質感と言った部分も文句なしに素晴らしいと思う。 ディカプリオもこの作品を最後に、ランボウのように引退していたらインディー界のスターとして伝説になっていたこと間違いなし。 金に目がくらんでへんてこな作品にばかり出演している現状が嘆かわしい。 マンガ同様レオ君もこのまま時が止まればいいのにと思いました。 『ギルバートブレイク』『ビーチ』でも感じたが、見事な演技力だ。 それにしても「ぼくを捨てないで」のセリフは、見るものの感情に訴えかける(笑)。 竹宮恵子さんの『風と木の詩』のジルベールを連想させます。 世の中には被保護欲というのがあって、「おれがいなければ」「守ってあげなくては」という気持ちを増幅させるタイプの人間というのは入るのですねぇ。 そういった自分の才能や繊細におしつぶされるナイーブな役どころは、まじでディカプリオにははまりですね。 普通の男の半裸なんて汚いだけなのですが、この若さあふれる頃の美しさを映像に残せたのは、価値あることですねぇ。

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アルチュール・ランボー Arthur Rimbaud 1854-1891 は、普仏戦争とパリコミューン前後のフランスに彗星のように現れ、光り輝くような作品を残して、あわただしく文学史の表舞台から去っていった。 その文学的活動は数年にとどまり、しかも20歳を前にして筆を擱いたにかかわらず、作品群は独特の香りに満ち、後の詩人たちに巨大な影響を及ぼした。 フランス文学史上、孤高の光を放った稀有の詩人である。 アルチュール・ランボーは、1854年8月北フランスの小都市シャルルヴィルに生まれた。 父親は軍人であったが家庭を省みず、退役した後も家族のもとに帰ることがなかったので、アルチュール・ランボーは兄や妹とともに、厳格な母親に育てられた。 この母親を、少年のアルチュールは絶えず煙たく思い、母親の忠告を「亡者の繰言」といって軽蔑していたようだ。 アルチュール・ランボーは少年時代から天才振りを発揮した。 1870年の正月には、「孤児たちのお年玉」という詩が、雑誌ルヴュ・プル・トゥスに掲載されている。 時にランボーはまだ15歳であった。 その同じ月、ジョルジュ・イザンバールがランボーの通う中学校の修辞学の教員として赴任してくると、ランボーはイザンバールの指導を受けつつ、彼の蔵書の中からヴィクトル・ユーゴーの作品などを借り出して耽読した。 4月には、「ルイ11世にあてたシャルル・ドルレアン大公の手紙」を製作しているが、これはフランソア・ヴィヨンの研究から生まれた早熟の作品であった。 1870年7月普仏戦争が勃発すると、フランスの北東部は戦争の最前線となり、シャルルヴィル周辺も戦火に巻き込まれるようになった。 こんな雰囲気の中、地方都市での生活に飽き飽きしていたランボーは、最初の放浪の旅を試みる。 8月の末、無線乗車で汽車に乗りパリにたどり着いたランボーは、無線乗車のほかにスパイの嫌疑までかけられ、マザスの監獄にぶちこまれてしまった。 9月早々、ルイ・ボナパルトはプロシャに降伏するが、これに対してパリに革命が起こり、共和制が宣言される。 ようやくイザンバールの尽力で開放されたランボーは、イザンバールにしたがって共和国国防軍に志願したが、若いことを理由に入隊できなかった代わり、特別訓練を受けることができた。 9月末に一旦母親のもとに連れ戻されたランボーは、10月に再び出奔。 徒歩でベルギーに向かった。 この前後、ランボーは初期の詩22編を清書して、友人のポール・デムニーに託している。 10月末には再び母親のもとに連れ戻されたが、戻ってきたシャルルヴィルは戦火に包まれており、中学校も機能を停止する有様だった。 翌1871年の1月にはドイツ軍に占領されるまでに至った。 1871年2月、ランボーは3回目の出奔をする。 この時は2週間ほどパリの市中を放浪して歩いた。 1871年3月18日、プロシャへの弱腰に反発した愛国的な民衆によって、パリにコミューンが樹立され、フランスは一種の内乱状態に陥った。 このパリ・コミューンについては、あのカール・マルクスが熱意を以て語っている。 後に世界の共産主義者や社会主義者たちの運動の原点ともなったものである。 パリ・コミューンはティエールの政府によって徹底的に弾圧され、5月28日に壊滅、コミューン派7万人が処刑された。 この間、ランボーもパリに舞い戻り、コミューン派と行動をともにしたようである。 ランボーのアナーキズムは、コミューン派とのかかわりの中で強まったものとも思われる。 だが、ランボーは、コミューン派には苦い思いもしたようだ。 彼の難解な作品「盗まれた心」は、男色による強姦を描いたものとされているが、おそらくそれは、ランボー自身の体験したいやな思い出に基づいている可能性がある。 パリ・コミューンの崩壊前夜、ランボーは自分の詩作に一つの道筋を見たと思い、それをイザンバールやデムニー宛の手紙の中で披露した。 「見者の手紙」といわれるものである。 見者とは、主観にとらわれず客観的に世界を描くことのできる者を意味した。 その中でランボーは、ボードレールこそ真の詩人、ポール・ヴェルレーヌは見者だと書いた。 1871年8月、ランボーはポール・ヴェルレーヌにはじめての書簡を送った。 ランボーの才能に感嘆したヴェルレーヌは旅費を送ってランボーをパリに招く。 ランボーは、書き上げたばかりの「酔いどれ船」を持参してヴェルレーヌに合いにいった。 以後、この二人による奇妙な生活が始まる。 その様子は、アメリカ映画 Total Eclipse に描かれている通りである。 ランボーの傍若無人振りはヴェルレーヌ夫人マチルドをはじめ、ヴェルレーヌの周辺から猛烈な反発を受け、彼らは世間から孤立した。 1872年、ランボーとヴェルレーヌはロンドンで共同生活を始めるが、やがて破局が訪れた。 1873年の7月、ランボーがほのめかした別離の言葉に激昂したヴェルレーヌがランボーを拳銃で撃った事件がきっかけで、二人は分かれることになる。 その際ランボーの取り下げ願いにかかわらず、ヴェルレーヌは2年間の懲役判決を受けた。 この事件のあと、ランボーはシャルルヴィルに戻り、そこで「地獄の一季節」を書き上げた。 ヴェルレーヌとの共同生活を総括した作品といわれるものだ。 ランボーは「地獄の一季節」の最後の一節で、文学との決別を宣言していたが、彼の文学活動はここで終わりとはならず、最後の作品として「イリュミナション」を書くこととなる。 1874年、ランボーは友人のジェルマン・ヌーヴォーとともにロンドンに舞い戻り、そこで「イリュミナション」を書き上げた。 ランボーは1875年に、出獄してきたヴェルレーヌと会ったが、もはや二人の未来は交差することがなかった。 ランボーは完全に文学から手を引き、実業の世界に入りつつあったのである。 ランボーは1876年にオランダの兵士としてジャヴァに行ったのを皮切りに、キプロスでの生活を経て、1884年以後はエチオピアで貿易商として生活する。 だが、ランボーは右ひざに癌腫を患い、それがもとで1891年マルセーユの病院で右足の切断手術を受けた。 術後ランボーはアフリカへ戻ることを強く願ったが、船の中で症状が悪化、急ぎマルセーユの病院に戻ったものの、いくばくもせずして死んだ。 37歳であった。 || 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2007 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである.

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