宝塚 舞台。 花組一之瀬航季さん・新公舞台に立てず・・

花組一之瀬航季さん・新公舞台に立てず・・

宝塚 舞台

この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 もお読みください。 1958年4月公演(3月26日 - 4月29日)「」(作・演出)第12場トランプの国の場で事故は起きた。 恋人同士のハートの6(男)とハートの7(娘)はトランプの国のキング、クイーンの怒りに触れ、殺人光線を浴びせられ、で舞台下へ沈んでいく。 ハートの7(娘)役を演じていた日夏有里(後の)が風邪で休演したため、3月31日昼の部から香月が代役を務めていた。 相手役のハートの6を演じるのは、偶然だが湘南白百合学園同級生の松島三那子だった。 松島のこの事件の回想によれば、31日昼の部、夜の部、4月1日昼の部は問題なく終わった。 夜の部午後6時25分頃に事件は起きた。 キングの「ボタンじゃ! ハートの6(男)が客席から向かって左に、ハートの7(娘)が右である。 二人がセリに乗ったと同時に、セリは降下し始める。 松島(男役)の衣装は体にびったりついたタイツ姿、香月は円形スカートであった。 松島はトランプの国の場が終わった後、早変わりですぐ次の役に扮しなければならなかった。 そのため、姿が客席から見えなくなるとすぐに体をふりほどき、相手役に「オーキニ」と言った後背を向け、セリが下がりきるのを待たずに飛び降りて早変わり室に向けて駆けて行った。 松島はこの日、飛び降りて三歩ぐらい走った時、背後で「ヤメテー」という叫びがしたのと同時にバリバリという音、何かが飛び散る音がしたのを聞いた。 驚いて振り返ると、蝋細工の人形のように無表情な香月の顔と、衣装ドレスの赤い生地がセリのシャフトにからみついて回っているのがみえた。 この間一秒程度であった。 松島の衣装の背中には、血しぶきがかかっていた。 香月の衣装ドレスにはすそを広げるための幅2センチ、厚さ1ミリのが腰まわり、ひざ、すその三カ所にそれぞれ直径約60センチ、70センチ、1メートルの輪になって取り付けられていた。 衣装ドレスの裾がセリのに巻き込まれたため、セリ台のワクの鉄製ベルトと舞台を支える鉄製アングルの支柱の間に足を挟まれたまま引きずり込まれ、腰まわりのスチールベルトが香月の胴を締めつけ、身体が真っ二つに切断され即死してしまったのである。 しかし香月の切断部は衣装ドレスで覆われていたため、松島は香月が死亡したことを認識できなかった。 動転した松島は、「トメテートメテー」と怒鳴りながら、早替わり場にかけつけた。 次の場もあるので、とりあえず衣装をつけたが、その時香月が死亡したことを聞き、松島はその後の記憶を失った。 後に松島が周囲にいた者に聞いたところでは、その時の彼女は泣きながら香月の名を大声で呼んだり「私が代わりに死ねばよかった」と叫んだりしながら暴れるなど、半狂乱だったという(一部に「松島は鮮血に染まりながらゆっくりと香月の胴体が切断されてゆく様を、ただ黙って見ていることしかできなかった」とする記述があるが、松島の回想によれば事実ではない。 松島の回想は警察が作成した彼女のが全文引用されており、信憑性は高い)。 医師のによれば、香月は腰の部分で切断され、右足がおしつぶされ、左足はヒザ下が骨折しており、上半身は異常がなかった。 を管轄しているは香月弘美の死を死と認定した上で、以下の点を宝塚歌劇団に警告し、設備の改善まで安全な大ゼリを除く六台のセリを使用禁止にした。 セリ台の周りに剥き出しになっているスクリューシャフトや舞台を支えている鉄製アングルなどに出演者が巻き込まれたり、挟まれたりしないように、セリの機械装置とセリ台を隔絶するジャバラ式の安全装置を付ける。 舞台衣装の面でも事故の直接原因となったスチールベルトは禁止し、のようにひっかかっても切れるような材質のものに変える。 セリ台の上下するスピードを落とす。 実地検証にあたったの署長は「絶対に不可抗力の事故とは考えぬ。 どこかにがあったと思う。 」と語り、同署刑事課長は、• 事故の起こった一号セリの開始動作を操作していた公演係長は仕事の上でどの程度の責任と義務を負わされているかという点で、の有無が決まるわけだから、今の段階では何とも言えない。 香月さんはあの狭い舞台で裾回り約三メートルもの衣装ドレスを着用しており、しかも直径十センチもの太いスクリューシャフトが剥き出しのままかなりのスピードで回転しているので、誰が見ても危険だ。 ああいう舞台では事故の起きないのが不思議なくらいで、舞台機構上の大きな手落ちと見られる。 と新聞記者に述べ、などのを宝塚歌劇団・大劇場関係者に追及する姿勢を示した。 しかし、その後宝塚歌劇団・大劇場関係者が香月の死の刑事責任を追及されたか否かについて、報道されなかった。 その後 [ ] この日の公演は事故の時点で中止となったが、翌日から公演は再開された。 「春のおどり、花の中の子供たち」自体は好評で、翌月も月組で続演された。 事故当日の上演に宝塚音楽学校本科生ながら舞台実習として参加していたは、約40年後に著書『虹色の記憶』で「(セリがいつものように沈んだ)次の瞬間、舞台が激しく揺れ「ギャーッ」というものすごい悲鳴が、まさに断末魔の悲鳴が我々の耳に突き刺さったのだ」と回想している。 4月3日下宿先での、11日三階講堂での宝塚歌劇団葬の後、香月弘美のに付されたは実家へ搬送された。 4月15日に東京都墨田区にある実家経営の工場敷地で葬儀が営まれて、団員関係者ら約380人が参列したという。 戒名は香月院弘誓美恵大姉。 5月20日には、校庭に慰霊碑が建立された。 香月弘美の墓所は東京・。 今日、公式の宝塚歌劇団史上ではこの事件は抹消されているが、岸香織によれば、旧宝塚大劇場実在時には、毎年4月1日に旧宝塚大劇場奈落一号セリの下に献花が行われて、公演中の宝塚歌劇団生徒達が追福を営んでいた。 しかしその行事も、旧大劇場取り壊しと共に挙行中止になった。 旧宝塚大劇場解体を控えた(平成4年)に音楽が挙行されたが、これは758人の故人となったタカラジェンヌ、歌劇団関係者を追悼するもので、香月弘美を主とするものではない。 香月弘美慰霊碑 宝塚音楽学校旧校舎敷地内の慰霊碑には、毎年4月1日に本科生が献花を行っていた。 音校移転後も有志によって献花が行われている慰霊碑は、現在は武庫川沿いにある宝塚音楽学校駐車場内に安置されている。 表に草書体で刻字されたは、「めになみだ こよいは月のなきものを 香ふさくらが うすあかりせり 白蓮」というの香月弘美の死を悼む哀悼歌である。 裏側は楷書体で「昭和三十三年四月一日 大劇場の舞台の上に逝く 香月弘美 享年二十一歳 施工 本藤昌宏」という銘文が刻字されている。 宝塚大橋(宝塚南口駅に向かって右側)、阪急電車(阪急今津線、宝塚南口に向かって左側)からも慰霊碑の所在を確認することができる。 脚注 [ ] [].

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宝塚の舞台裏③公演のかつら

宝塚 舞台

宝塚歌劇団花組の一之瀬航季さん。 本当なら昨日、新人公演で初主演の舞台で立つ予定でした。 トップ娘役を2人輩出し、男役は同じ花組に聖乃あすか、月組の風間柚乃、星組の極美慎ら期待のスターがそろう100期生の1人。 仲間の背を追う一之瀬航季は、新人公演最終の7年目で初主演をゲットした。 「いつかは自分も(主演を)の気持ちはずっとあった」。 自身も涙し、先輩も後輩も泣いてくれた。 日刊スポーツ そんなチャンスを掴んだ一之瀬航季さんでしたが、残念ながら新型コロナウィルスのせいで、昨日舞台は中止されてしまいました。 31日に予定されていた花組・一之瀬航季さんの新人公演が中止となりました。 12日付の宝塚特集「朗らかに」で初主演をゲットし涙を流して喜んだ瞬間を語ってくれていただけにベルも残念です。 せめて何かできることは…。 一之瀬さんに皆さんの応援の声を寄せてくれると嬉しいです。 — ベルちゃん ニッカン宝塚 nstakarazuka ・・・・ということで、応援のメッセージを寄せたいと思います。 今回舞台で男らしい少尉を演じるはなこさんを楽しみにしていました。 でも一番悔しかったのははなこちゃん、あなただと思います。 きっと昨日の直前まで、いや、東京公演に向けてお稽古は続いているんだと思います。 舞台に立てる日があるから頑張れる!でもその舞台にたつこと、そのものが失くなってしまうなんてことを誰が想像したでしょうか? 悔しい思いをされていることと思いますが、今の思いを次の舞台の糧として頑張ってほしいと思います。 ますます包容力の溢れる深みのある魅力的な男役さんになられることを信じています!どうか、頑張ってください。 応援しています。 まだチャンスはあります! そう!まだチャンスはあります。 まずは、東京公演でのチャンス。 5月21日に東京大劇場で新人公演が行われます。 そして、まだ、今年2020年の花組は大劇場公演は一つ残っています。 10月から始まる「 『アウグストゥス-尊厳ある者-』」です。 ここでの新人公演が100期生として立つ最期の新人公演。 この新人公演での配役はまだ決まっていませんので、ぜひ、ここでもチャンスを掴んでほしい!と切にお願いしたいところです! あまり先のことを書いてもプレッシャーになりますね。 元気なお声が聞けることを楽しみにしています。 そして、ヒロイン役に抜擢された104期生の美羽愛さんも!!!!!頑張れ! 昨日のタカラヅカニュースでは、花組全員が舞台上で衣装姿で登場されていましたが、その最期の「はじめのいっぽ」で美羽愛さんが登場されていましたよ!.

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宝塚歌劇のミュージカル舞台に立った男性は居ますか?

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宝塚の舞台を見ていると、さっきまで前のシーンに出ていたのに、もう着替えて次のシーンに出てる!とビックリすることもありますよね。 これを早替わりといいます。 早替わりは、衣装部ではなく、舞台袖にある早替室で着がえます。 自分だけ早く舞台に出る時以外は、お衣装部さんが1人1人についているわけではないので、早替室は戦争状態です。 その早替室も、袖から遠い近いがあるので、一番近いところはトップさん。 あとは、上級生から好きなところを選んでいきます。 数も限られているので、私は、同期と組んで使っていました。 早替わりは、本当に秒単位での勝負なので、準備の方法は、皆それぞれ工夫しています。 自分専用の衣装かごに、出番の遠いものから入れていき、一番手前に、はじめに着替える衣装がくるように積んでいきます。 かごへの入れ方も1衣装をつかむ2足をいれる3チャックを上げてもらうの3stepで終わるようにできています。 舞台が始まれば、袖から早替室に着くまでに、娘役なら手袋をとりかつらを外します。 早替室に入ってからは、先程も書いたように、お衣装部さんは1人1人につくわけではないので、チャックを下ろしてくれる順番が遅い場合は、衣装からではなく、かつらから付け始めるなど、1秒も無駄にしないことで、無謀だと思われるような早替りもできてしまうのです。 タカラジェンヌに出来ないことはないと言われていますが、出来ないという選択肢がないだけです。 まだ下級生の頃、ショーの振り付けで、踊っている人の間を一輪車で通るという場面がありました。 私は、一輪車にのったことがなく、ましてや、踊っている人の間を抜けるなど無理だ。 と思いましたが「できません」という選択肢はありませんので、本番までの2、3週間、朝早い誰もいないお稽古場で、毎日練習したことを覚えています。 話を戻しますが、早替室には、洗濯バサミが8個くらいついた小さな物干しハンガーは必需品です。 すぐに取れるように、手袋やかつらを吊るしています。 こういう方法は、上級生が下級生に教えてくれますし、下級生は上級生を見て学んでいきます。 舞台上のテクニックだけでなく、舞台袖でのマナーも上級生から教わります。 例えば、ドレスの持ち方。 ドレスの裾が長くて引きずるタイプの場合はもちろんですが、引きずらなくても、誰かが引っかかってしまったり、衣装が汚れないように、後ろから前に持つよう教えてもらいます。 タカラジェンヌは、着方、扱い方を含め、ドレスのプロだと思うので、退団してからウエディング業界にいく人が多いのには納得です。

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