りゅう せい お 兄さん。 在校生/学費について|留学生のみなさんへ|東京デザイナー学院|デザインの総合専門学校

おぞましいりゅう【みんなの声・レビュー】

りゅう せい お 兄さん

覚えている、どんなに挫けそうになってもこの歌が励ましてくれたことを。 小町『バラバラに砕けるほど舞い上がれ 引き裂かれた記憶の果敢なきツバサ』 八幡「 小町…!! あぁぁぁ!!!黒竜・纏神咒!!」グワッ 「なにっ!?」 「き、気をつけろ!くるぞ!」 小町『あの日語りあったこと』 八町「ふっ!!」火走り 「「ぐわっ!!」」ズドンッ! 小町『いつも笑い合えたこと』 八幡「おらぁ!」黒炎弾 「「がっは!!」」ドォーン!! 「お、おい!あいつ、さらに強くなったぞ!」 小町『よみがえる日まで立ち上がるだけ』 八幡「「 力を貸してくれ…母さん! あぁぁぁぁ!!」 黒炎の体を白い光が包む。 「「ぎゃぁぁぁぁ!!…」」ザザザザザ! 小町『閉ざされた空へ』 八幡「…」スゥ 竜化を解除 「」全滅 バタッ 俺は意識を失った。 [newpage] ー小町sideー 小町『閉ざされた空へ』 …歌い終わった。 今の歌で施設内の人の傷は癒えたはずだ。 施設の中の生徒達や小町達の周りの生徒は何が起きたか分からずに何が起きたか分からないって顔をしていた。 だけど小町の個性の事を知っている人達は驚いてはいなかった。 小町「相澤先生!生徒達は全員回復させました!早く兄を探しに行きましょう!」 相澤「わかった!!マンダレイさん!済まないがここは頼んだぞ!」 マンダレイ「了解!絶対に比企谷くんを助けてあげて!」 そして私達はお兄ちゃんがいるであろう東の山奥に向かった。 とても静かだ。 この辺一帯では誰も戦っていないだろうか? いや、辺りをよく確認すると所々にヴィランが倒れている。 小町「お兄ちゃん…」ハアハア 相澤「大丈夫だ、あいつがこいつら雑魚にやられると思うか?」 そして私達は森を抜け広場に出た。 そこには 小町「なに…これ…」 相澤「…これを比企谷ひとり…でか…?」 辺りを見回すとヴィランが大勢倒れている。 右を見てもヴィラン、左を見てもヴィラン。 辺り一面ヴィランだった。 これをお兄ちゃん1人でやったの…? 小町「それよりお兄ちゃん!お兄ちゃんどこにいるの!?」 相澤「比企谷ー!いたら返事をしろぉ!」 小町「お兄ちゃ、お兄ちゃん!!!!」 相澤「いたか!?」 そこにはお兄ちゃんが倒れていた。 急いで心臓のところに耳を当てる トクン…トクン…トクン 良かった…生きている。 気を失っているだけのようだ。 だけど個性のせいかいつも暖かかった兄の手は冷たかった。 相澤「恐らくはあの有毒ガスのせいだろう。 他の生徒も体温が急に下がっていた者もいたからおそらく…それに比企谷は森に充満している有毒ガスを1人で処理したんだ…なっててもおかしくない…」 小町「お兄ちゃん…」ギュッ また会えた。 生きている。 それだけ分かればいい。 後は急いでお兄ちゃんを施設に連れていくだけだ。 私は相澤先生にお兄ちゃんを担いでもらいお兄ちゃんの手を握りながら急いで施設に戻った。 無数の白い炎の矢が広範囲に降り注ぐ.

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おぞましいりゅう【みんなの声・レビュー】

りゅう せい お 兄さん

4代にわたって 三公 ( さんこう )を輩出した名門・ 汝南 ( じょなん ) 袁氏 ( えんし )の出身で、 袁紹 ( えんしょう )の 従弟 ( いとこ )。 董卓 ( とうたく )が権力を握ると、 南陽郡 ( なんようぐん )で挙兵して反 董卓 ( とうたく )連合に参加するが、やがて 袁紹 ( えんしょう )と対立する。 その後 揚州 ( ようしゅう )に勢力を拡大した 袁術 ( えんじゅつ )は、天子を 僭称 ( せんしょう )して国号を「 仲 ( ちゅう )」と 定 ( さだ )めるも、諸侯の反発を受け、 孫策 ( そんさく )が離反。 曹操 ( そうそう )に敗北した 袁術 ( えんじゅつ )は 袁紹 ( えんしょう )の元に身を寄せようとするが、その途中に発病して亡くなった。 董卓 ( とうたく )配下の 都尉 ( とい )。 董卓 ( とうたく )が朝廷で権力を握ると反 董卓 ( とうたく )連合が決起。 胡軫 ( こしん )に従って 陽人聚 ( ようじんしゅう )に侵出した 孫堅 ( そんけん )を迎撃に出るが、 胡軫 ( こしん )を嫌った 呂布 ( りょふ )が偽情報を流したため 胡軫 こしん軍は敗北。 混乱の中で 華雄 ( かゆう )は斬られ、 獄門 ( ごくもん )(さらし首)にかけられた。 『三国志演義』では、 鮑忠 ( ほうちゅう )、 祖茂 ( そも )、 兪渉 ( ゆしょう )、 潘鳳 ( はんほう )を次々に討ち取る活躍を見せるが、その後 関羽 ( かんう )に瞬殺され、 関羽 ( かんう )の強さを強調する役目を 担 ( にな )う。 解県 ( かいけん )で暴利を貪る塩商人を殺して 幽州 ( ゆうしゅう )に逃げてきたところで 劉備 ( りゅうび )・ 張飛 ( ちょうひ )と出会い、 劉備 ( りゅうび )に仕えて挙兵した。 曹操 ( そうそう )に捕らえられた際は、厚遇されても 劉備 ( りゅうび )への忠誠を忘れず、 曹操 ( そうそう )の敵であった 袁紹 ( えんしょう )配下の猛将、 顔良 ( がんりょう )を討って恩を返してから 曹操 ( そうそう )のもとを去った。 劉備 ( りゅうび )が蜀の地を得ると 荊州 ( けいしゅう )を任されるが、傲慢で敵をあなどる性格が災いし、魏を攻めている最中、呉に背後を突かれて敗死した。 朝廷の実権を握った 董卓 ( とうたく )により 冀州牧 ( きしゅうぼく )に任命されるが、その後反 董卓 ( とうたく )連合に参加する。 董卓 ( とうたく )が即位させた 献帝 ( けんてい )を認めず、 袁紹 ( えんしょう )と共に 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )・ 劉虞 ( りゅうぐ )を天子に 擁立 ( ようりつ )しようとしたが、 劉虞 ( りゅうぐ )本人の反対により失敗した。 公孫瓚 ( こうそんさん )が 冀州 ( きしゅう )にに侵攻すると、保身のために 袁紹 ( えんしょう )に 冀州 ( きしゅう )を 譲 ( ゆず )るが、すべての権力を 剥奪 ( はくだつ )されてしまう。 その後、 陳留太守 ( ちんりゅうたいしゅ )・ 張邈 ( ちょうばく )の元に身を寄せるが、 袁紹 ( えんしょう )に命を狙われていると思い込み、自害してしまった。 諱 ( いみな )は 劉協 ( りゅうきょう )。 霊帝 ( れいてい )の次子で 少帝 ( しょうてい )の 異母弟 ( いぼてい )にあたる。 母の 王美人 ( おうびじん )は、 劉協 ( りゅうきょう )を生むと 何皇后 ( かこうごう )の嫉妬により毒殺された。 霊帝 ( れいてい )の死後、朝廷で権力を握った 董卓 ( とうたく )に 擁立 ( ようりつ )されて天子に即位する。 その後、 董卓 ( とうたく )は 長安 ( ちょうあん )への 遷都 ( せんと )を強行し、 長安 ( ちょうあん )を脱出した 献帝 ( けんてい )は、 曹操 ( そうそう )に保護されて都を 豫州 ( よしゅう )・ 潁川郡 ( えいせんぐん )・ 許県 ( きょけん )に移した。 220年、 曹操 ( そうそう )の跡を継いだ 曹丕 ( そうひ )に帝位を 禅譲 ( ぜんじょう )し、400年に渡る漢王朝はその幕を閉じた。 皇甫規 ( こうほき )・ 威明 ( いめい ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 朝那県 ( ちょうなけん )の人。 祖父は 度遼将軍 ( とりょうしょうぐん )、父は 扶風都尉 ( ふふうとい )を務めた名門の出身で、自身も異民族との戦いで数々の功績をあげた。 宦官 ( かんがん )と対立し、 党錮 ( とうこ )の禁の際には 自 ( みずか )ら 党人 ( とうじん )であると名乗り出たが、 罷免 ( ひめん )されることはなくそのまま 用 ( もち )いられる。 皇甫規 ( こうほき )が亡くなると、若く美しい 皇甫規 ( こうほき )の妻を 妾 ( めかけ )にしようと 董卓 ( とうたく )が 迫 ( せま )ったが、 毅然 ( きぜん )として断ったため殴り殺された。 胡広 ( ここう )・ 伯始 ( はくし ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南郡 ( なんぐん )・ 華容国 ( かようこく )の人。 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )の専横を止めず、 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 丁粛 ( ていしゅく )と婚姻関係を結ぶなど、 外戚 ( がいせき )や 宦官 ( かんがん )と共存する 老獪 ( ろうかい )な生き方を貫き、 安帝 ( あんてい )、 順帝 ( じゅんてい )、 沖帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )、 霊帝 ( れいてい )の6代に仕えて重職を担った。 また、 漢 ( かん )の制度をまとめた 『 漢制度 ( かんせいど )』を遺し、 蔡邕 ( さいよう )に大きな影響を与えた。 さ 父の 周異 ( しゅうい )は 洛陽令 ( らくようれい )、父の 従兄弟 ( いとこ )・ 周景 ( しゅうけい )とその子・ 周忠 ( しゅうちゅう )は共に 太尉 ( たいい )を 務 ( つと )めた名門の出身。 孫堅 ( そんけん )が反 董卓 ( とうたく )連合に参加した際、 舒県 ( じょけん )に移住してきた 孫策 ( そんさく )と親交を結んだ。 孫策 ( そんさく )・ 孫権 ( そんけん )の2代に仕え、 曹操 ( そうそう )の南下に際しては 魯粛 ( ろしゅく )と共に徹底交戦を主張して「赤壁の戦い」を勝利に導く。 孫権 ( そんけん )に 益州 ( えきしゅう )を得て 曹操 ( そうそう )と対抗することを進言し、出陣の準備に向かう途上、 病 ( やまい )により36歳の若さで 亡 ( な )くなった。 朱穆 ( しゅぼく )・ 公叔 ( こうしゅく ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 宛県 ( えんけん )の人。 朱暉 ( しゅき )の孫。 大将軍 ( だいしょうぐん )・ 梁冀 ( りょうき )の 故吏 ( こり )で、たびたび 梁冀 ( りょうき )の横暴を 諫 ( いさ )めた。 冀州刺史 ( きしゅうしし )に就任すると 宦官 ( かんがん )の不正を厳しく取り締まったが、その 苛烈 ( かれつ )さが 桓帝 ( かんてい )の怒りに触れて 罷免 ( ひめん )される。 その後 尚書令 ( しょうしょれい )に任命されたが、 宦官 ( かんがん )に対する厳しさは変わらなかった。 死後、 蔡邕 ( さいよう )によって「 文忠 ( ぶんちゅう )先生」と 諡 ( おくりな )される。 幼い頃に父を 亡 ( な )くすと 従父 ( おじ )の 諸葛玄 ( しょかつげん )と共に 劉表 ( りゅうひょう )を頼って 荊州 ( けいしゅう )に移住し、 崔州平 ( さいしゅうへい )や 徐庶 ( じょしょ )らと親交を持って農耕生活を送っていた。 「 三顧 ( さんこ )の礼」をもって 劉備 ( りゅうび )の 軍師 ( ぐんし )に 迎 ( むか )えられると、 蜀漢 ( しょくかん )の建国に多大な貢献をする。 劉備 ( りゅうび )が 崩御 ( ほうぎょ )すると 丞相 ( じょうしょう )として 劉禅 ( りゅうぜん )をよく補佐し、 国是 ( こくぜ )である北伐を行うが、5度目の出陣中に 病 ( やまい )に倒れて陣中で 没 ( ぼっ )した。 曹嵩 ( そうすう )・ 巨高 ( きょこう ) 豫州 ( よしゅう )・ 沛国 ( はいこく )・ 譙県 ( しょうけん )の人。 曹操 ( そうそう )の父。 宦官 ( かんがん )・ 曹騰 ( そうとう )の養子となって 司隷校尉 ( しれいこうい )、 大鴻臚 ( だいこうろ )、 大司農 ( だいしのう )を歴任し、実に1億銭を 霊帝 ( れいてい )に献上して 太尉 ( たいい )に就任する。 晩年は戦乱を 避 ( さ )けて 徐州 ( じょしゅう )・ 琅邪国 ( ろうやこく )に避難していたが、 兗州 ( えんしゅう )に地盤を得た 曹操 ( そうそう )の元に向かう途中、 陶謙 ( とうけん )の兵に襲われて殺害された。 曹節 ( そうせつ )・ 漢豊 ( かんほう ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 新野県 ( しんやけん )の人。 宦官 ( かんがん )。 順帝 ( じゅんてい )の時に 西園騎 ( せいえんき )から 小黄門 ( しょうこうもん )となり、 桓帝 ( かんてい )が崩御すると 中黄門 ( ちゅうこうもん )、 虎賁 ( こほん )、 羽林 ( うりん )1,000人を 率 ( ひき )いて 劉宏 ( りゅうこう )( 霊帝 ( れいてい ))を迎える。 竇武 ( とうぶ )・ 陳蕃 ( ちんはん )らの 宦官 ( かんがん )一掃計画を察知すると逆に彼らを 誅殺 ( ちゅうさつ )し、政治の実権を握って権勢を 誇 ( ほこ )った。 孫夏 ( そんか ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )で蜂起した黄巾賊・ 張曼成 ( ちょうまんせい )の将。 『 三国志演義 ( さんごくしえんぎ )』では 孫仲 ( そんちゅう )として登場する。 張曼成 ( ちょうまんせい )、 趙弘 ( ちょうこう )の後を 継 ( つ )いだ 韓忠 ( かんちゅう )は城を捨てて撤退。 朱儁 ( しゅしゅん )の攻撃を受けて降伏するが、 南陽太守 ( なんようたいしゅ )・ 秦頡 ( しんけつ )が降伏した 韓忠 ( かんちゅう )を殺害したため、 孫夏 ( そんか )は兵をまとめて再度 宛県城 ( えんけんじょう )に 籠 ( こ )もった。 その後、 孫堅 ( そんけん )の攻撃に耐えきれず城を捨てて逃亡するが、 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 西鄂県 ( せいがくけん )の 精山 ( せいざん )で討ち取られる。 17歳の時に 銭唐県 ( せんとうけん )で海賊退治をしたことで名を挙げ、その後は 会稽郡 ( かいけいぐん )で起こった 許昌 ( きょしょう )の乱をはじめとする各地の反乱の鎮圧で活躍した。 また、 袁紹 ( えんしょう )を盟主とする反 董卓 ( とうたく )連合に応じて挙兵し、 袁術 ( えんじゅつ )の下で積極的に戦って 華雄 ( かゆう )を討ち取った。 袁紹 ( えんしょう )と 袁術 ( えんじゅつ )の対立が深まると、 袁術 ( えんじゅつ )の命によって 袁紹 ( えんしょう )派の 劉表 ( りゅうひょう )を攻めるが、 黄祖 ( こうそ )の部下が放った矢によって命を落とした。 檀石槐 ( たんせきかい ) 鮮卑 ( せんぴ )族の 大人 ( たいじん )。 父・ 投鹿侯 ( とうろくこう )が3年間 南匈奴 ( みなみきょうど )に従軍している間に生まれる。 不義の子として殺されかけるが、母の「口に入った 雹 ( ひょう )を飲み込んだところ 身籠 ( みご )もったので、きっと非凡な人物になるでしょう」という助命嘆願によって、母は離縁され 檀石槐 ( たんせきかい )の命は助けられた。 その後、勇健で知略に富んだ 檀石槐 ( たんせきかい )は部族内で 推 ( お )されて 大人 ( たいじん )となる。 初めて 鮮卑 ( せんぴ )族を統一し、 扶余 ( ふよ )・ 丁零 ( ていれい )・ 烏孫 ( うそん )を 討 ( う )って内外モンゴル一帯を支配すると、たびたび 後漢 ( ごかん )領内に侵入・略奪をくり返し、討伐軍を 退 ( しりぞ )けた。 ち 种暠 ( ちゅうこう )・ 景伯 ( けいはく ) 司隷 ( しれい )・ 河南尹 ( かなんいん )・ 洛陽県 ( らくようけん )の人。 益州刺史 ( えきしゅうしし )を務めていた時、 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )が 曹騰 ( そうとう )に私的に送った書簡を手に入れ 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )と 曹騰 ( そうとう )を 弾劾 ( だんがい )したが、逆に 曹騰 ( そうとう )はこの行為を 褒 ( ほ )め 称 ( たた )え、その後も 种暠 ( ちゅうこう )を厚く遇した。 後 ( のち )に 司徒 ( しと )となった 种暠 ( ちゅうこう )は「今の自分があるのは 曹常侍 ( そうじょうじ )( 曹騰 ( そうとう ))のお陰だ」と語った。 はじめ 公孫瓚 ( こうそんさん )に仕えたが、 後 ( のち )に 劉備 ( りゅうび )に仕える。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍の激しい追撃の中 劉備 ( りゅうび )の妻子を守りきった。 また、 定軍山 ( ていぐんざん )の戦いではみごとな 空城 ( くうじょう )の計によって敵を退却させ、 劉備 ( りゅうび )に「 子龍 ( しりょう )は一身すべてこれ肝なり」と 称賛 ( しょうさん )される。 劉備 ( りゅうび ) 亡 ( な )き後も冷静な判断と実直な人柄で 劉禅 ( りゅうぜん )を支え、死後に 順平侯 ( じゅんぺいこう )の 諡号 ( しごう )を贈られた。 劉備 ( りゅうび )の挙兵以来、 関羽 ( かんう )と共に兄弟のように仕えた 万夫不当 ( ばんぷふとう )の豪傑。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍から逃げる 劉備 ( りゅうび )を守るために 殿軍 ( しんがり )を 務 ( つと )め、一喝して 曹操 ( そうそう )軍を退けるなど、その勇名は敵味方に 轟 ( とどろ )いていた。 目上の者は 敬 ( うやま )うが、部下に対する苛烈な刑罰を改めることができず、 関羽 ( かんう )の 弔 ( とむら )い合戦の前に恨みを抱いていた部下の 范彊 ( はんきょう )・ 張達 ( ちょうたつ )に殺害された。 『三国志演義』での 字 ( あざな )は 翼徳 ( よくとく )。 太平道 ( たいへいどう )の開祖・ 張角 ( ちょうかく )の弟。 張梁 ( ちょうりょう )の兄。 張角 ( ちょうかく )が黄巾の乱を起こすと 地公将軍 ( ちこうしょうぐん )と称してこれに従った。 朝廷より討伐軍が派遣されると、病床の 張角 ( ちょうかく )の代わりに指揮をとった。 兄の 張角 ( ちょうかく )が病死し弟の 張梁 ( ちょうりょう )が戦死する中、 冀州 ( きしゅう )・ 鉅鹿郡 ( きょろくぐん )の 下曲陽 ( かきょくよう )に籠城して最後まで抵抗したが、 皇甫嵩 ( こうほすう )率いる討伐軍に敗れて討たれた。 『三国志演義』では妖術を使って官軍を苦しめた。 陳温 ( ちんおん )・ 元悌 ( げんてい ) 豫州 ( よしゅう )・ 汝南郡 ( じょなんぐん )の人。 初平 ( しょへい )元年(190年)当時の 揚州刺史 ( ようしゅうしし )。 董卓 ( とうたく )が支配する 洛陽 ( らくよう )( 雒陽 ( らくよう ))から逃亡してきた 許靖 ( きょせい )を 匿 ( かくま )った他、 曹洪 ( そうこう )と親しく、 董卓 ( とうたく )に敗れた 曹操 ( そうそう )に 廬江郡 ( ろこうぐん )の精鋭武装兵・2,000人を援助した。 その死については、「 初平 ( しょへい )3年(192年)冬に病死」とする記録と、「 初平 ( しょへい )4年(193年)3月に 袁術 ( えんじゅつ )によって殺害された」とする記録がある。 杜喬 ( ときょう )・ 叔栄 ( しゅくえい ) 司隷 ( しれい )・ 河内郡 ( かだいぐん )・ 林慮県 ( りんりょけん )の人。 順帝 ( じゅんてい )に 泰山太守 ( たいざんたいしゅ )の 李固 ( りこ )を推挙し、 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )と関係のある地方官を次々に 弾劾 ( だんがい )した。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると 李固 ( りこ )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )しようとするが、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に敗れて殺害された。 な 『三国志演義』のみに登場する仙人。 張角 ( ちょうかく )に 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』を 授 ( さず )ける。 「これを使って民を助けよ。 ただし、悪しきことに使えば天罰が下る」と忠告するも、 張角 ( ちょうかく )は 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』で習得した妖術を頼りに 太平道 ( たいへいどう )を開き、黄巾の乱を引き起こした。 南華老仙 ( なんかろうせん )は、戦国時代の思想家である 荘周 ( そうしゅう )( 荘子 ( そうし ))が仙人になった姿と考えられており、青い目を持つ子供のような顔をした老人として描かれている。 李固 ( りこ )・ 子堅 ( しけん ) 益州 ( えきしゅう )・ 漢中郡 ( かんちゅうぐん )・ 南鄭県 ( なんていけん )の人。 大将軍 ( たいしょうぐん )・ 梁商 ( りょうしょう )に 辟召 ( へきしょう )されるが、 梁商 ( りょうしょう )の子・ 梁冀 ( りょうき )と対立した。 後に 太尉 ( たいい )に昇進する。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に対抗して 杜喬 ( ときょう )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )するが、 冤罪 ( えんざい )によって投獄・殺害された。 前漢の 魯恭王 ( ろきょうおう )であった 劉余 ( りゅうよ )( 景帝 ( けいてい )の第4子)の 末裔 ( まつえい )に当たる。 霊帝 ( れいてい )の時代、政治の腐敗や黄巾の乱の影響によって 刺史 ( しし )や 太守 ( たいしゅ )の支配力が弱体化していることを理由に、軍権と民政権を兼ねた「 州牧 ( しゅうぼく )」の復活を提案し、みずから 益州 ( えきしゅう )の 牧 ( ぼく )となる。 劉璋 ( りゅうしょう )の父。 『三国志演義』では、黄巾の乱の時に 幽州太守 ( ゆうしゅうたいしゅ )として登場するが、正史にその記録はなく、後に 益州 ( えきしゅう )を治めることになる 劉備 ( りゅうび )との因果関係を強める演出である。 劉悝 ( りゅうかい ) 桓帝 ( かんてい )の弟。 勃海王 ( ぼっかいおう )。 165年に反乱を計画した罪で 廮陶王 ( えいとうおう )に格下げされる。 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 王甫 ( おうほ )に 勃海王 ( ぼっかいおう )への復帰工作を依頼していたが、 桓帝 ( かんてい )の 遺詔 ( ゆいしょう )によって復帰が 叶 ( かな )うと( 王甫 ( おうほ )のお陰ではないからと) 王甫 ( おうほ )に礼金を支払わなかった。 これを 恨 ( うら )みに思った 王甫 ( おうほ )は「 劉悝 ( りゅうかい )に帝位 簒奪 ( さんだつ )の 企 ( たくら )みあり」と 誣告 ( ぶこく )し、追い 詰 ( つ )められた 劉悝 ( りゅうかい )は自害に追い込まれる。 東海恭王 ( とうかいきょうおう )・ 劉彊 ( りゅうきょう )[ 後漢 ( ごかん )の初代皇帝・ 光武帝 ( こうぶてい ) ( 劉秀 ( りゅうしゅう ))の長子]の 末裔 ( まつえい )に当たる。 清貧で知られ、 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )に任命されて「 張純 ( ちょうじゅん )の乱」を平定。 反 董卓 ( とうたく )連合が決起すると、 袁紹 ( えんしょう )らに 天子 ( てんし )に 推戴 ( すいたい )されるが、これを拒絶した。 その後、暴走する 公孫瓚 ( こうそんさん )討伐の軍を起こすが、敗れて捕らえられ、帝号を 僭称 ( せんしょう )しようとした罪で処刑された。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第4子・ 魯恭王 ( ろきょうおう )・ 劉余 ( りゅうよ )の第6子、 郁桹侯 ( いくろうこう )・ 劉驕 ( りゅうきょう )の子孫。 若い頃から清流派の党人として名声を得る。 孫堅 ( そんけん )によって 荊州刺史 ( けいしゅうしし )・ 王叡 ( おうえい )が殺害されると、その後任に任命される。 また、 劉表 ( りゅうひょう )は学問を 奨励 ( しょうれい )したため、戦乱を逃れた名士や学者の多くが 荊州 ( けいしゅう )に移住した。 河北 ( かほく )を平定した 曹操 ( そうそう )が南下の姿勢を見せると、領土を失った 劉備 ( りゅうび )を受け入れて最前線の 新野県 ( しんやけん )を守らせるが、間もなく亡くなった。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第9子、 中山靖王 ( ちゅうざんせいおう )・ 劉勝 ( りゅうしょう )の庶子、 劉貞 ( りゅうてい )の末裔というが、定かではない。 黄巾の乱の時に挙兵。 以来各地を転戦するも確たる地盤を持てずにいたが、 軍師 ( ぐんし )・ 諸葛亮 ( しょかつりょう )を迎えると「天下三分の計」に従って 益州 ( えきしゅう )の地に地盤を築いた。 献帝 ( けんてい )が 曹魏 ( そうぎ )に 禅譲 ( ぜんじょう )すると、皇帝に即位して「 蜀漢 ( しょくかん )」を建国する。 配下の 関羽 ( かんう )の 仇討 ( かたきう )ちに 呉 ( ご )に攻め込むが、 陸遜 ( りくそん )の火計に敗退し、病を患って 白帝城 ( はくていじょう )で 諸葛亮 ( しょかつりょう )に後事を託して没する。 梁冀 ( りょうき )・ 伯卓 ( はくたく ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 烏枝県 ( うしけん )の人。 後漢 ( ごかん )第8代皇帝・ 順帝 ( じゅんてい )の 皇后 ( こうごう )・ 梁妠 ( りょうどう )の兄。 外戚 ( がいせき )として権力を握り、 順帝 ( じゅんてい )、 冲帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )の4代に渡って国政を私物化した。 成人した 桓帝 ( かんてい )が 宦官 ( かんがん )・ 単超 ( ぜんちょう )らの助力を得て 梁冀 ( りょうき )の排斥に成功したことから、一層 宦官 ( かんがん )への権力集中が進んだ。 丁原 ( ていげん )に仕えていたが、 董卓 ( とうたく )が 洛陽 ( らくよう )に入ると 丁原 ( ていげん )を殺して 董卓 ( とうたく )に従い、父子の 契 ( ちぎ )りを結ぶ。 「人中に 呂布 ( りょふ )あり、馬中に 赤兎 ( せきと )あり」と賞された万夫不当の豪傑。 その後、 司徒 ( しと )・ 王允 ( おういん )らと結んで 董卓 ( とうたく )を殺害するが、 李傕 ( りかく )・ 郭汜 ( かくし )に敗れて各地を放浪、自分を受け入れてくれた 劉備 ( りゅうび )が治める 徐州 ( じょしゅう )を奪う。 その後 劉備 ( りゅうび )と結んだ 曹操 ( そうそう )に包囲されると配下の裏切りを受けて降伏するが、命 乞 ( ご )いも 空 ( むな )しく 劉備 ( りゅうび )の進言によって処刑された。 鄭玄 ( じょうげん )とともに 馬融 ( ばゆう )に師事して儒学を学び、故郷 幽州 ( ゆうしゅう )・ 涿郡 ( たくぐん )・ 涿県 ( たくけん )で近隣の子弟に学問を教えていた。 門下には 劉備 ( りゅうび )や 公孫瓚 ( こうそんさん )がいる。 黄巾の乱が起こると 北中郎将 ( ほくちゅうろうしょう )に任命されて討伐軍の一翼を担ったが、軍の監察に来た 左豊 ( さほう )に賄賂を求められ、これを断ったために罪を着せられて免官された。 黄巾の乱が終結すると、 皇甫嵩 ( こうほすう )が 冤罪 ( えんざい )を証明したために復職したが、 董卓 ( とうたく )の 献帝 ( けんてい ) 擁立 ( ようりつ )に反対したために再び免官された。 晩年は 袁紹 ( えんしょう )の 軍師 ( ぐんし )となって病死した。

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2ページ目の[ りゅう3歳、たいが1歳 ]

りゅう せい お 兄さん

超久しぶりの更新になってしまいました…涙 いやー最近を一言でいうと、、、疲れてました 笑 もーりゅうとたいがが、とっかえひっかえ風邪引いてはうつし、 うつしては引き、そのエンドレスサイクルで… 私も毎月のように熱出してるし…はぁ…。 お金出してもいいから体力と健康を買いたいなあと思う今日この頃です。 さてさて、気を取り直してこのGW、 旦那sanのお父さんの実家である福島にみんなで2泊3日してきましたー! 高速1000円で福島の山奥までいけたー!ほんとお得!! 以前も書きましたが、じいじの実家は福島の中でも奥会津のさらに奥!? 本当にどいなかです 笑 でもどいなか体験がたくさんできて、りゅうはとても喜んでいました。 じいじの実家の目の前は山。 見えないけど川もあります。 昔はよく川が氾濫して大変だったんだって。 なんとこれは雪!!!! まだ残雪があるんです!昼は暑いけど朝晩はまだまだ寒い! ストーブつけるほどです。 買うと結構高いんですけど、じいじの実家の山にはそこいらじゅうに うじゃうじゃ生えてます!!!まさに宝の山だね!? あっという間の二泊三日、 帰りにはひいばあちゃんに「またこいよ」と言われ約束の握手! 楽しい思い出がまたひとつ増えました。 でも…帰る日の前の晩からたいがが発熱。 帰りの車ではぐったり…ぐずりもあって私もぐったり…。 そんなこんなで風邪菌の呪いスパイラルからなかなか抜け出せず、 ほんと、疲れました。 GW後半にはりゅうも発熱、かと思いきやたいがもまたまた発熱。 結局GW明けは幼稚園をお休みし、この週末に至っております。 ようやく今日あたりから、二人とも本調子に戻りつつあるといった感じ。 まだお弁当なしの午前保育が今週いっぱい続きますが、 りゅうの様子はとういうと… かなり疲れがたまっているらしく、朝の寝起きが悪いです(笑) 制服に着替えるように言うとふてくされて「幼稚園行かない」と言います(笑) でも「じゃあお母さんが幼稚園バス乗って行っちゃおうかなー」と言うと 「大人は乗れないよ」とつっこんできます(笑) 送りの時間が近づいて「ほら、トイレ行っといでー」というと またしても若干面倒くさそうにトイレに行きます。 「はい、靴はいてー」「はい、帽子かぶってー」 そうこう言ってる間にだんだん機嫌が良くなってきて… 玄関を出るころにはお父さんに「行ってきまーす」とごあいさつ。 マンションのほぼ真下がバスの集合場所なので、 下に降りるとすぐお友達が見えます。 おませな女の子の同級生やお姉ちゃんが「りゅうくーん、おはよー 」 なんて手をつないでバス停まで走って連れて行ってくれます。 もうここまでくるとりゅうはされるがまま…(笑) 嫌がる様子もなく、列に並んでバスを待ち、 先生にごあいさつして順番にバスに乗り込みます。 今のところ、こんな感じで毎日過ごしてます。 靴をはいてしまいさえすればもう行く気になるようですが、 なんせ朝はかったるいみたいで、「行きたくない」連呼です(笑) でも帰ってくると笑顔で「ようちえんたのしかったー」なんて 言ってくれるので、まあ大丈夫でしょう。 さてさて、入園式の余韻さめやらぬ今日から、早速通園スタート! しばらくは弁当なしの午前保育です! 朝から「今日はいよいよ幼稚園バスに乗れるねー!」なんておだてまくり(笑) 案の定「お母さんも一緒?」と聞いてきたので、 「どうかなー、大人は乗せてくれるかなー?先生に聞いてみないとなー、 とりあえず下に行ってみようか」なんてごまかしながら出発。 園バス停留所のお友達とパチリ。 まだまだ余裕ではしゃいでジャンプ。 今日は年少さんしかいなかったけど、 うちの停留所はとっても乗る子が多くて、年長さんまで合わせると12人以上! にぎやかになりそうです。 さてさて、そうこうしているうちにバスがきました。 先生と挨拶して、ぞろぞろ園バスに乗り込みます。 りゅうは一瞬「おかーさーんもー」なんて甘えボイスを出しましたが、 先生に誘導されるがままに園バスの椅子に着席。 ちょっとドキドキしたけど、なんとか楽しく行ってこられたみたい。 まずは一安心といったところです。 これから毎日どんな風に成長していくのかとっても楽しみです! さてさて、そんな中、たいがはどう過ごしていたかと言うと、 珍しく午前中に昼寝しました! 兄貴がいないので家の中はめっちゃ静まり返っていたため、 邪魔されることもなく静かに爆睡。 りゅうはいない、たいがは寝てるで、 「こんな静かな午前中は何年ぶりかしら」状態に 私は完全に手持ちぶたさ。 「何したらいいの…」とどぎまぎ。 タンスの整理して、昼の準備して、それでもまだ時間余ってしまい、 結局夕飯の支度まで済ませてしまいました…汗 気持良くお目覚めのたいがはなんだか不思議な顔してきょろきょろ。 「あれ?あれ?」とお兄ちゃんを探していました。 その姿がとってもかわいかったです。 やっぱりお兄ちゃんラブなのね…。 そのことを帰って来たりゅうに伝えると、 「たいがおにいちゃんがいなくてさみしかったんじゃない? おにいちゃん幼稚園に行ってたんだよー、ごめんね、たいが」 とまたまた心温まる兄貴からのフォローの言葉。 ラブラブ兄弟愛にあふれた幼稚園初日でした。 さっそくりゅうに制服を着せてみましたー Lサイズにしたので手が出てません。 入園式までに袖をまつらなければ…。 「あー、いよいよ幼稚園に行くんだな…。 」 ようやく実感湧いてきました。 (私がね) たいがはお兄ちゃんの帽子が相当うらやましいようで、 羨望のまなざしで見つめています。 「うわあ…おにいちゃんかっこいいなあ…」 そんなにかぶりたいならとお兄ちゃんがかぶらせてくれました。 「やったー、これで僕も幼稚園行けるかな?」 当たり前のことなんだろうけど、クレヨンなど一本一本 すべてに記名しなくてはいけないとのことで… これからせっせと名前書きにいそしもうと思います 笑 7日に入園式!準備もいよいよ大詰めです。 その前に3日に父母の会で役員決めがあります。 初めての役員決めも…ちょっとドキドキ。 先週末実家に一泊のつもりで帰ったら いきなりたいがが発熱し、二泊することに…。 そんでもって、自宅にようやく戻ったと思ったら、 今度は私が発熱し、昨日までフラフラ…めまい&立ちくらみ。 ようやく今日になって調子を取り戻してきました。 いやあ、健康って素敵ですね!!!マジデ。 関係ないかもしれないけど、私熱出す前に美容院に行き、 髪を切ってカラーをしたんです。 気のせいかもしれないんだけど、、、 私カラーやるとかなりの確率で翌日熱出るんですけど…。 こんなことってあるのかな???? カラーと発熱の因果関係について、何か知ってる人いたら 教えてください 笑 さてさて、うちは去年から旦那さんが自宅で仕事してますので、 こういうときははっきり言って助かります。 ああ、なんてありがたき幸せ。 旦那san、本当にありがとう!! そんな素敵な旦那sanが、先週三十路バースデーを迎えました! 節目のバースデーケーキは初めてのタルトに挑戦! カスタードクリームをレンジで作ったらダマダマになっちゃったけど、 結構おいしかったです。 プレゼントは旦那sanが欲しがっていたスニーカー ついでに私のスニーカーも買ってもらっちゃって、 どっちが誕生日なんだかって感じでしたが 笑 旦那さん30代の抱負は「俺の青春はこれからだ」だそうです 笑 楽しい&美味しい誕生日になって良かったです。 さてさて、話変わって、 子供って新聞紙をびりびりやるの大好きですよね。 この間友達に、子供は新聞をびりびり破くことでストレスを 発散することができる上、情緒を安定させる効果がある って話を聞きまして、、、 それまでは新聞紙をいたずらしだすと 「こらこら、散らかるからやめなさい!」と止めていた私ですが、 この間は止めずに好きなようにやらせてみました。 挙句の果てには呆れかえった旦那まで一緒になって 「スピードスケートの清水だ」とかいいながら スケートすべる真似とかはじめて(りゅうは全く理解できず) かなりおもしろかったです。 片づけるのは大変だったけどね…。 でも確かに子供のストレス発散になってるのかも…!? まあたまには散らかるのを承知でやらせてあげても良いかな!? 毎日は勘弁です。 今日はこのくらいで。 まるで嵐でした。 そんな嵐にめげず、今日は電車を乗り継いで 母親学級同窓会?にでかけてきましたー! 毎度おなじみりゅうの同級生5組が大集合! 幼稚園に入園する前に集まれて良かったです! しかも今年完成したばかりの友人の新築一戸建てにおっ邪魔~ めちゃめちゃ広くてきれいで、テンション上がりました 笑 おもちゃめちゃめちゃいっぱいで、おもちゃ王国状態! お菓子に目がないりゅうも、お菓子には見向きもせず、 見たこともないようなプラレールの山とおもちゃに夢中!!!! 妊婦5人がいまとなってはママ5人、3歳5人、1歳4人の総勢14人! 時代の流れ、子供の成長、ほんとうにあっという間で みんなの姿を見るたびに感激してしまいます!!!! みんな本当に大きくなったねー! 気づけば母親学級で出会ってから4年くらいの付き合いに… とっても嬉しいです! これからもずーっとみんなの成長をみんなで見守っていこうねー! さてさて、そんな中、 先日近所のママ友に教えてもらった手作りチョコ絵巻?に さっそくチャレンジしてみました! 5人の同級生の似顔絵をチョコにしてみました!!!! 我ながら上出来!!!!! みんなに喜んでもらえてうれしかったよ~!!! てなわけで、嵐だったけど楽しい一日を過ごせました。 サンキュ学園ともどもよろしくお願いいたします。 さてさて、今日絵本などを整理していたら懐かしいものを見つけました。 一昨年、りゅうのトイレトレのときに書いた「おトイレアンパンマン」! (知らない人もいるよね。 私が画用紙に描いた トイレするアンパンマンです。 ) そろそろたいがのトイレトレも本腰入れようかなーなんて 思っていた時だったので、またトイレに貼ってみました。 お兄ちゃんのトイレトレ時代に、おしっこできたときに 貼ったシールなんかがべたべた貼ってあったので、 それらを丁寧にはがし、晴れて1年越しの再登場です!!!! たいがが無事パンツになるまで、また見守ってね!!! たいがはアンパンマンを見て「わんわんわん」と言いながら 喜んでさっそく一回おしっこしてました その調子その調子。 たぶんまぐれだけどね。 たいが、でべそです…。 しかも触ってほしいらしく、腹を出しながら近づいてきます。 触るとめっちゃ喜ぶし…。 この変な性癖兄弟…大丈夫かしら…。 将来がちょっと心配です。 もったいなくて食べられず…まだ冷蔵庫にあります… 笑 お返しに、午前中作ったプリンを持っていったら、 今度はそのまたお返しに、 その子が作ったいちごロールケーキをいただきました! これまた手作りとは思えぬ見映え&めっちゃくっちゃ美味しい!!! ほんとに料理上手なお友達です。 はっきり言って天才ですね、まじで。 「これは商売にした方がいいんじゃないか」と絶賛していました! 近所のママ友はみんなお菓子作りが上手なのでほんと勉強になります! っていうか最近手作りお菓子ブームなのか、 先週お天気悪い日は必ず誰かの家に行って、手作りお菓子&おやつを 午前中から食べまくる週間でした(汗) おかげでたいが明らかに太ったし…!!?? みんなー、美味しい手作りお菓子もほどほどにしようねー 笑 子供たちより自分たちがやばいよー 笑 そんなこと言いながらも、今日も別のお友達の家で シフォンケーキをたんまりいただいたんですけどね…。 サンキュ学園の4コマ漫画書くのに手一杯… とならずにこちらもしっかり更新していかなくっちゃー! さてさて、タイトルの通り、 りゅうが最近急に絵がうまく書けるようになってきました。 今まではあんまり絵らしい絵を書けず、 「あら、この子、美術のセンスはいまいちかしら…」 なんて親心に半分あきらめかけていたのですが、、、 最近になって急に絵に見える絵を書けるようになってきました。 親ばかながら、とても嬉しくて、どこかに飾ってやろうと思い、 使っていなかった すのこを壁にそのままひっかけて 作品展示場所を確保! これが案外おしゃれな感じで気に入ってます。 りゅうも自分の絵が褒めてもらえてとっても喜んでます。 どれもおいしそう! 笑 一番下に貼ってある手形は、自分の手を画用紙に置いて 手をマジックでなぞるように書いたみたいです。 うん、なかなかの発想力!? まあ、もっと上手に書ける子いっぱいいるんだろうけど… りゅうの中で何か目覚めたらしいので載せました。 親バカ記事にお付き合いいただきありがとうございました 笑 さてさて、我が家の息子たち、母親同様カメラ好きで、、、 最近何かする度「カメラ撮ってー」と要求してきます。 たいがもいっちょ前にポーズとります 笑 そして撮った後は必ずカメラのモニターで映りをチェック。 困ったなあ。 こういう時の対応が一番不明…。 りゅうもたいがもばくばく食べてました。 さてさて、話変わって、最近りゅうとたいがは以前にも増して よく2人で仲良く遊んでます。 (勝手に二人で遊んでくれるから本当に楽になりました!!!!) 最近はまってるのは懐中電灯を持って押し入れの中で遊ぶこと! 「うわー!おかあさんあけないで!くらくして!」 「おにいちゃんと秘密基地ごっこ、たのしいよーーー!!!」 押入れの中でキャッキャと騒ぐ2人…なかよし兄弟です。 今日はここらで。

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