さる びあ 丸 天気 の 子。 【完全ガイド】『天気の子』聖地巡礼(ロケ地)!!劇中に登場したあの場所はどこ?『君の名は。』に続き舞台は東京!!

東海汽船 さるびあ丸 往路 利島・新島・式根島・神津島 到着予告放送 われは海の子メロディー+アナウンス

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天気の子 謎の考察!魚と龍 意味と解釈! 映画が始まって数分で、 陽菜が雨の降る東京で病室の窓辺に水をまとったような魚を目撃します。 その時に「光の水たまりみたい」と思った鳥居のあるビルに向かいました。 病室にいる人は陽菜の母親と思われる人物で、病状があまり良くないのでしょうか… その時に陽菜は強く祈りながら鳥居をくぐります。 すると陽菜は遠く空高く舞い上がりました。 何が何だかわからない陽菜の周りには、病室の窓辺で見た水のような魚の大群🐟 このシーンの他にも、 劇中でも目撃情報などで謎の魚のシーンがたくさん出てきました。 他にも 謎の魚だけでなく、謎の龍も登場して「 この龍は何の意味が…?」と思った人も多いはず。 所説ありますが、人には伝説の龍の姿をした霊的エネルギー体がその人の人生に影響を与えていることがあるんだそう。 そういった人のことを「龍神系」と言うらしく、さらに 龍神系の魂の人には天気と関わりのある人が多いんですって。 陽菜は恐らく龍神系もしくは稲荷系の人間だったのではないでしょうか。 予告で警察が出てきたりしてたから、法を犯していて島を出たのか…?と私は思ってました。 劇中で帆高は実際に法に触れてお尋ね者になってしまうんだけど、それは島を出て東京に来てからです。 行方不明捜索願を家族が出しているので家族と仲が悪いわけでもない…。 虐待されていたわけでもない… でも 「どうしても帰りたくない」という帆高の明確な家出理由は明かされませんでした。 そこで食べているのはカップラーメン。 カップラーメンの蓋を押さえているのは一冊の本。 タイトルは「 The Catcher in the Rye」。 「ライ麦畑でつかまえて」という本です。 こちらの本は実際にあるもので、16歳の高校生が成績不振のため学校を退学処分になり、家出を決意という話なのです。 「ライ麦畑でつかまえて」の主人公・ホールデンは自分を取り巻くすべて 特に人間 にうんざりし、無垢な世界へ憧れを抱きます。 こういったストーリーなので元祖中二病小説として結構有名な本なんですよね。 帆高の家出はもしかして「ライ麦畑でつかまえて」に触発されたものだったのでは…?と解釈しています。 新海誠監督による、「現代版・ライ麦畑でつかまえて」と言うべきか。 帆高にも、島にいたころ謎の光を追うという純粋で子供っぽい部分がありました。 帆高自身、「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンと自分がリンクしてるなぁと感じたのかも…。 スポンサードリンク 須賀圭介の妻 嫁・奥さん ・アスカの死因は天気の子 晴れ女 で人柱? 帆高が東京に向かう船の中で 謎の男性・須賀圭介が登場。 帆高の命の恩人でもある圭介は東京の少し古びた場所に事務所を構え、怪しげなオカルト雑誌のライターとして勤務。 働くところがない帆高に手を差し伸べて自分のところで雇います。 圭介には子供がいて、妻は亡くなっていることが劇中で明かされています。 例えば警察から帆高が逃げて問題の鳥居に向かった時。 そこには帆高が来る前に、圭介がいました。 そして、鳥居に向かう帆高を必死に制止しようとします。 まるで重要な意味があると言わんばかりのアピールっぷりです。 安井刑事が圭介の事務所に初めて足を踏み入れた時、死んだ妻や子供のいた形跡を映しつつ… 最後には「あいつ 帆高 はもう関係ない」と言いながら泣いていることを安井から指摘されています。 それは 帆高と陽菜がまるで、過去の自分と死んだ妻と似ていたからではないでしょうか? 廃ビルに来た当初は「 行くな、諦めろ」と言っていたのに最終的には「 行け」と言っていたのも、自分と同じように後悔してほしくなかったからかもしれません。

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新海誠監督:次回作に意欲「構想は…」 「天気の子」公開11日で興収40億円突破

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。 ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。 今週評論した映画は、 『天気の子』(2019年7月19日公開)。 今夜扱うのはこの作品、 『天気の子』。 2016年の 『君の名は。 』が記録的大ヒットとなった新海誠監督の最新アニメーション映画。 連日雨が降り続ける東京にやってきた高校生の帆高はある日、祈ることで天気を晴れにできる能力を持つ少女・陽菜と出会う。 その出会いが2人の運命を変えていくこととなる。 声の出演は、醍醐虎汰朗さん、森七菜さん。 そして小栗旬さん、本田翼さん、などでございます。 音楽は『君の名は。 』に続きロックバンド、RADWIMPSでございます。 後ろでいまね、鳴っておりますね。 ちょっと後でも言いますが、前作以上に非常に密なというか、コラボレーションという感じで出来上がったみたいですけどね。 さあ、ということで、この『天気の子』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。 ありがとうございます。 メールの量は、 「今年最多クラス」! そうですよね、やっぱりね、これは。 で、賛否の比率はですね、賛が4割、賛否両論併記が4割、否定が2割。 かなり割れている状況でございます。 ただしいちばん多かったのは、「画面はいいけど、お話はご都合主義だし……」とか、「自分がもっと若かったら好きだったかも……」と、割り切れないモヤッとした気持ちになったという人がわりと多かった。 あと、 やはり男性からのメールが圧倒的に多かった、ということでございます。 褒めている人の主な意見は、 「ラストの展開に感動。 振り切った結末だが、自分は支持する」「画面の美しさや音楽の使い方でとにかく泣かされた」などなどがございました。 また、「セカイ系」と呼ばれるコンテンツ……まあ厳密な定義はいろいろとありますけども、まあセカイ系と呼ばれる新海さんの作品群のようなコンテンツを思春期に楽しんだ現在アラサー世代のファンが、 「新海監督はセカイ系を更新した!」と絶賛してる声も目立った、ということでございます。 そして、否定的な意見としては、「ラストで興ざめ。 全く感情移入できない」とか 「幼稚。 あまりにご都合主義的な展開に興ざめ」というようなご意見がございました。 「松竹梅03」さん。 「『天気の子』を鑑賞してきました。 相変わらず超絶美術とたまらん音楽で暴力的なまでに泣かされてしまったのですが、6歳下の弟と話してるうちに面白い世代ギャップのようなものが見つかったので報告したくなった次第です。 かくいう僕は、今年30歳で、高校・大学と多感な時期に新海さんの作品を見て育った直撃世代です。 特に意見が分かれたのが新海さん自身が『賛否両論ある』と言っていたラストです。 その理由は、 『だってあれ、俺の住んでる街だし』。 そう言われた時、 『よくある話』と油断していた自分が、むしろ今回の話を見えていなかったと気づかされました。 そう考えると、おそらく批判も多いだろう異様なまでのタイアップの多さや、身に覚えのありすぎる東京の描写にも納得がいきます」。 要するに東京が『リアル』に描かれてるということ。 そういったセカイ系の弱点を、 抽象的なカタカナの『セカイ』ではなく、私たちの住む『東京』に置き換えることで、改めてセカイ系を語り直す、というのが今回の新海さんのやりたかったことではないでしょうか? 人気作家になり、以前ほど自由に作品が作れるわけではなさそうですが、逆にいまの立場だからこその方法ですっかり下火になったセカイ系のテーマを更新してくれた新海さんを、これからも応援し続けたいと思えた作品でした」ということございます。 一方、ダメだったという方。 「家財道具百式」さん。 「僕はいままでの新海誠作品は本当に好きで、前作『君の名は。 』で様々な意見にさらされても好きな気持ちは変わらず、今作公開前に監督自ら『賛否両論ある作品にした』という発言に、『どこでもついていくぜ!』と腕まくりで臨みました。 しかし 鑑賞後に残るこの気持ちはなんでしょう? おそらく今作における問題は作品のメッセージが、 否定されることでようやく成り立つつくりにあると思いました。 主人公たちが迎える結論に、『それはないだろう?』と言っても、『いや、それがいいんだ。 これこそが私の望むものだ!』と反証することで初めて成り立つ主張のように思えます」。 これもなかなか鋭いな。 「……つまり、 『最初から否の意見を聞く気なんてないのでは?』と感じるのです。 1本通った主張があるのはいいと思いますが、あからさまに否定意見を誘発し、『問題作ですよ』と提示されると少し冷めてしまうかなといった感じでした。 メッセージは置いておいても、終盤まで終始挟み込まれる気の抜けたコメディ的なノリや、間に挟まる小ネタのような演出には『慣れないことやらなくてもいいのにな』と感じました」。 まあ、ファンならではのね。 「……しかし満員の観客がエンドロール終わりまで立つこともなく、ただ吸い込まれるようにスクリーンを見つめる光景を見ると、なんだかんだでやりたいことが成功してるのかなと思いつつ、どこか寂しいような、やっぱり嬉しいような……。 『君の名は。 』で記録的メガヒットしたからこそつくれるのは間違いないですし、突き抜けた1本であることもたしかです」。 だからまあ、認めつつ、ファンでありつつ、といったあたりでしょうか。 といったあたりでみなさん、メールをドサッとありがとうございます。 』 さあ、私も『天気の子』、バルト9で2回見てまいりました。 2回しか見てなくてすいませんね。 どちらも深夜終了回だったんで激混みっていうわけじゃないけど、やっぱり若者たちを中心に、まあまあ、深夜にしては入ってたと思います。 ということでアニメーション監督、新海誠さん。 言わずと知れた前作『君の名は。 2016年のね、あれがまさしく社会現象的な記録的大ヒットとなったという。 で、僕はその『君の名は。 』、2016年10月12日。 前の番組ウィークエンド・シャッフル時代に評させていただきました。 いまもんで、ぜひ参照してみてください。 その中でも言ったと思うんですけど、新海誠さん、 本来はカルト的な作家と言いましょうかね、もともとほとんど独力でキャリアをスタートさせたような方なだけあってですね、非常に強いクセが、明確にある作風。 それを一部の熱狂的なファンが支持していく、というですね、今回のメールにもちょっと傾向としてありましたけども、言ってみればミニシアター的な活動スタンスでやってこられた方ではあったんですね。 支持層が大きいは大きいんだけど……という。 なんだけど、それが『君の名は。 』で、一気に「国民的」と言っていいような爆発的ブレイクを果たすことになった。 それはひとえに……これは私の評ですけども、 それはひとえに「プロデュース力」「チューニング力」の勝利である、という風に私は評しました。 つまり、新海誠作品に、元々内在していたキャッチーな要素、もともと内在していた広い観客層にも強く訴求する要素を、たとえばキャラクターデザインを田中将賀さんに任せて、グッとポップにしたり、とかですね。 これまでにはなかったコメディタッチを大幅に取り入れたりとか。 あとはやはり、RADWIMPSの楽曲を、ほとんど音楽劇的に、というかミュージックビデオ的に作劇に組み込んでいく、とかですね。 そういう諸々のチューニングによって、さっき言った 「本来持っていたキャッチーな要素」、もともと持っていた要素を、最大限増幅してみせた。 で、それが見事にうまくいった、成功した、という作品だという風に、僕は『君の名は。 』を評したわけですね。 褒めてますよ、だから僕、めちゃめちゃね。 なんか「酷評」とか言われてますけども、全然酷評してないです。 すごく褒めてますけど。 で、たとえばその、いわゆるセカイ系と呼ばれるような、その赤い糸的な運命で結び付けられた主人公たちの個的な物語が、世界の問題に直結するという話。 先ほどのメールにもあった通り。 『君の名は。 』も、やっぱりそういう話ではあるんだけども。 で、それって見方によっては、もしくは語り方によっては、「独善的」と受け取られかねないところを、『君の名は。 』ではですね、そこを上手く……ちゃんとそこに、フォローが入ってるんですね。 上手くお話の調節・調整ができていて、あのお話の、 独善的ってなりかねないところの臭みをちゃんと抜いてる、っていうあたりも、よくできている。 だから、さっき言ったサービス展開全部乗せゆえに、お話的には非常に強引でしたけども、そんなのはつくり手たちも百も承知の上で、実はそういう、絶妙なセカイ系に対するチューニングをこらしている。 やはり川村元気さんのプロデュース力、恐るべし、そしてやっぱり、そちらに意識的に舵を切ってみせた新海誠さんのクレバーさ、恐るべし、というような作品だったと思いますね。 0」 で、その意味で今回の『天気の子』はですね、それそこ前作の時は、わりと前に出て発言しまくっていたプロデューサーの川村元気さんのインタビューとかが、今回、ほとんど現時点では出ていない、っていうのに象徴的なようにですね、そういう「細心のチューニング」みたいなことには、あまり重きが置かれていないように見える。 というかですね、むしろ「セカイ系をポップにチューニングして成功した『君の名は。 』」に対する、 一種のカウンター、セルフアンサーでもあるような作品だと。 ちなみに『君の名は。 』のね、あの主人公たちが、ちょっとキャメオ出演なんかをしていましたけども。 今回はつまり、セカイ系なるもの、もしくは新海誠さん本来のカルト的な作家性、そういうものが、マスな世間、最大公約数的な視点から、どう見られてしまいがちか……要は『君の名は。 』で、 「見つかっちゃった」わけですよね。 「こういうエンターテイメントを必要としてる、特に若者というものもいるんだ!」っていう風に、改めて、一種乱暴に反転して、セカイ系的なるものを全肯定してみせるような。 いわば 「セカイ系2. 0」的な、そういう作品になっている、という風に思います。 まさにだから、肯定的なメールも否定的なメールも、言っていたことはある意味同じで、そのセカイ系っていうのに対して、いったんの否定があってからの、 「いや……!」っていう全肯定。 そういう構造の作品になっている、という。 まず、大前提として……これ、すいません。 非常に表層的な部分で申し訳ないけども。 でも、表層だけど大事な部分だと思いますけど。 「天気」がテーマ、っていうとこで、僕はまず、 「そう来たか!」っていうところで。 僕、この着想がもう、見事だと思いました。 うならされました。 天候の変化、特に日本人にとっては、情緒的なもの込みで、誰もが日々かならずコミットすることですよね。 誰もが天気の話題、かならず1回はする。 だからこそ、毎日のこのね、いま僕がやっているようなラジオ番組でも、かならず話題にする。 予報だけではなくて、話題にする。 で、あるいは「晴れ女」だの「雨男」だの、ふんわりした土着信仰チックなものもそこに絡めて……みたいなものも、この現代のね、科学が行き届いたような社会に見えるけど、そういうなんか土着信仰的なものも、我々の中にいまもやっぱり、染み付いちゃってますよね。 みたいなことがある。 で、そこに目をつけて、実際にですね、圧倒的なビジュアルとしてそれを提示して見せた、という。 まあ、雲の表現しかり、雨粒の表現しかり。 そしてその中で神々しく差し込む、あの晴れ間の表現しかりですね、 ここはやっぱり、美術監督の滝口比呂志さんの仕事が非常にデカいですね。 『言の葉の庭』の天候描写、そして東京描写っていうのを、ググッとグレードアップしたというか、スケールアップした、という感じだと思いますけども。 なので事実、僕は最近人から「『天気の子』、どうでした?」って聞かれたら、即答で、 「冗談抜きで、天気がすごい!」「『天気の子』は、天気がすごい!」っていう風に答えてます。 つまり「『天気の子』というタイトルで天気がテーマ、そして実際に天気描写がすげえ!」っていう、この時点で僕はもうね、 ある結構なラインをクリアしてる、っていう風に思うんですよね。 「大したもんだ」っていう風に思う。 しかも、この季節なわけですよ。 梅雨から夏に向かっていくこの季節。 映画館を出れば、雨が降ってるにせよ、晴れてるにせよ、何かしら劇中のそれとシンクロする「天気」が、現実にそこにあるわけですよ。 特に、舞台となってる新宿とか池袋で見ると、さらにシンクロ率が上がると思うんだけど。 だから先に結論を言っておくなら、 いま、この季節に、劇場で見る。 そして劇場を出た瞬間、そのシンクロ率を味わう。 これが間違いなくお勧めです! ということなのは間違いないと思います。 冬、家のちっちゃい画面とかで見たら全然でしょう、それはだってね。 ということで、季節的なことだけじゃなくて、いまこの瞬間の日本、東京というのが、多分に意識的に刻印された作品でもあったりする、ということですね。 3人が出会う一幕目 で、とにかく主人公の帆高くんというのが、離島っぽい故郷からフェリーに乗って、東京に家出してくるという。 で、理由は劇中では詳しく語られませんけど、顔に絆創膏なんかを貼ってるあたりから察するに、まあ誰かからぶん殴られて嫌になっちゃったんだろうなって……ちなみに新海さん本人によるノベライズ、これ僕も読みましたけど、そこでは一応「父に殴られた」って書いてありますけどね。 まあでも具体的な理由の、そこが重たいわけじゃなくて。 どっちかと言うとそれを引き金として、若さゆえの衝動……周囲に対する苛立ちや疎外感、「ここではないどこか」に行き、「何者か」にならなければ! なることができるのか、俺は?っていう焦燥感に突き動かされての、要は思春期男子としてはむしろ普遍的な心理とアクションの結果なんでしょう、っていうね。 というのは、彼が家出中もずっと、 『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持ち歩いていて。 で、それがわかりやすく何度か大映しになるわけですよ。 まあだから、わかりやすいですよね。 そういう感じで、まあまあ、『ライ麦』的な感じです! 『ライ麦』的な、普遍的な思春期のアレです! みたいなことですね。 で、序盤はそんな彼が、新宿歌舞伎町をあてどなくさまよい歩く、というあたりなんですけども。 ここも含めてこの『天気の子』という映画、これもメールにもいっぱい書いていただきましたが、さっき言った天候描写に加えて、 東京各所の切り取り方っていうのも、非常に、大変魅力的な作品で。 まあ新宿、代々木、田端、池袋のあたりね、実在の場所とか店などが、スペクタクル的なその天気描写と相まって……要するに、いつも結構僕らは目にしている光景のはずなのに、その天気描写と相まると、何かすごい切り取り方が、まあレイアウトとかもいいんでしょう、非常に新鮮に見える。 いわば 「東京映画」としても一種、記念碑的な作品になっていて、それが楽しめるな、っていう風にも思えます。 ともあれ、家出少年の帆高くん。 歌舞伎町で、拳銃、マカロフというロシアの拳銃をね、拾ったりしつつ……まあ、この「拳銃を拾う」というこれに関して思うところはありますが、それはちょっと後ほど言いますね。 で、まあ拾ったりなんかしつつ。 まずは、彼のような「子供」サイドの立場と、社会=「大人」側との、間に立ってるような存在である、小栗旬さんが声を当ててる須賀という男と、さらにその須賀というおじさんと子供側の中間にもう1人いるような、夏美さんという女性。 これ、 声を当てている本田翼さんが、僕はすごいよかったと思います。 絶妙な、色っぽさとサバサバ感、人との距離感、温度感みたいなのが、セリフ回しですごい、一気に表現されてて。 本田翼さん、すげえよかったですね。 夏美さんね。 とにかくこの2人の間で、帆高くんは、一種疑似家族的な居場所を見つけていく。 これが一幕目、っていう感じですね。 面白いのは、この 「疑似家族」っていうのがポイントで。 この帆高くんは、後にというか前後して、陽菜というヒロインと出会って、その弟の凪くんというのと3人で、まあその 「晴れ女」業というのを始めるわけですね。 お祈りして晴れにしていく、っていう。 で、その二幕目の部分では帆高くんは、今度は……まず疑似家族の、疑似的な子供みたいなところに収まって居場所を見つけた後に、今度は、こっち(陽菜と凪)の疑似家族の、 家父長的な責任を担おうとする、というところに行くわけです。 なんだけど……っていう話になっているわけですね。 しかし当然のようにそれは、社会的立場として無理がある、非常に実に危ういものでもあって……という。 で、そうこうするうちに、それまで劇中で繰り返しほのめかされてきた、要は「晴れ女力」というこの超能力のツケが……実際のところこのツケは、主人公たち、帆高くんたちに回ってくるように見えるけども、 実際のところは陽菜さんというその女性、1人に回ってくる。 で、ここで主人公たちが、まだ子供ゆえの無力さ、寄る辺なさをたたえながら、 「冷たい東京」……舞台は夏なんですけどもね。 まあ、どういうことかは見てください。 冷たい東京の街……これには二重の意味がありすまよね、冷たい東京の街を、身を寄せ合って漂流する、というくだり。 ここもやっぱりその「天候+東京」描写、非常にフレッシュな画が連発される部分で、すごくいいんですけど。 で、ついには池袋のラブホの一室にたどり着いて、束の間の、刹那的な……しかもその刹那的というのを、本人たちも薄々わかってる、っていうのがまた切ないというあたりなんですけども。 まあ、疑似家族としての団欒の場にありつく、という一連のシーン。 ここね、まあもちろん、お色気的なというか、 淡いお色気もあるわけですね。 あの陽菜ちゃんがお風呂に入ってきて、風呂上がりですれ違う瞬間に、お互いちょっと照れながらすれ違うんだけど、その瞬間に、帆高くんの髪がふっと揺れることで……要は 「あっ! こいつ、いま匂いを嗅いだな?」っていう(笑)。 「石鹸の匂いを嗅いだな?」っていう感じがするとかね、そういう細かいね、ちょっとエロきゅん的な描写がありつつ。 しかも、ここを団欒の場って言ったけども、彼らにとってのごちそうとは、ジャンクフードであるという。 美味しそうではあるんだけど、やっぱり確実に いまの若者の、貧困の時代というのを感じさせるフード・食描写の数々っていうのも、本作を特徴付けてると思いますね。 それもまた切ないという。 とにかくここ、社会の片隅で、無力で小さいものたちが肩寄せ合って、いっとき生き延びようとするが……っていうその切なさ、悲しさ、そして愛おしさ、みたいな。 僕はこれ、個人的には 本作の白眉の部分だなと思いました。 とてもいい場面だなと思いました。 なんだけど、それでもなおそれを振り切って、自分にとって大切もの……この話の場合は、陽菜さんを取り戻すべく、走りだす! というようなクライマックスになってくる。 ここね、RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」、すごい耳に残っていると思いますが……ここ、RADWIMPSの野田さんが脚本を読んで、3ヶ月後に、最後に流れる「大丈夫」っていう曲とセットでつくってきた。 依頼じゃなくて、アンサーとしてつくってきた、という曲らしい。 しかもその、エンディングで流れる「大丈夫」っていう曲から、新海誠さん本人が逆に、ラストの終わらせ方のインスピレーションを得た、っていうことをあちこちのインタビューでおっしゃっているぐらい、今回のRADWIMPSと新海誠さんのコラボは、 より密接かつクリエイティブになっていて、これは大変、構図としては美しいなっていう風に思います。 で、帆高くんがそんなRADWIMPSの曲に乗せて、ヨタヨタと、山手線の線路をですね、おそらくは池袋から代々木まで駆けていくくだりの、言うならばその、格好悪いまでの一途さみたいなのも、やっぱりグッとくるくだりですし。 あと、東京の切り取り方としても非常に新鮮だし。 ただですね、個人的にはですね、帆高くんが社会と対立する理由がですね、要は 「拳銃を拾って発砲しちゃった」っていうことと、そもそも家出中であるっていうことでの、社会との対立。 警察に追っかけられるわけですね。 つまりそれは、その陽菜さんと一緒に選びとったこと、 晴れ女活動のツケ、という件とは、直接関係がないんですよ。 僕はこれゆえにですね、クライマックスに向けた警察とのすったもんだとか、あとはそのオトナコドモ的な立場の須賀さんとの言い合いっていうのが、テーマに対して、ピントがずれちゃってるっていうか、正直ちょっとイライラしちゃったんですね。 まあ拳銃っていうのが、思春期のヒリヒリ、 何ならそのリビドーの象徴的なもの、っていう風なものとして置く、っていうのはあるかもしれないけど……僕はこれはもっとストレートに、やっぱり陽菜さんの晴れ女活動そのものが社会と対立する、っていう構図でよかったでしょう?って思うんですよね。 そうじゃないから、なんかちょっとピントがずれてる気がして、クライマックス周りでなんかモヤッたりする。 RADWIMPS feat. 三浦透子さんの「グランドエスケープ」という曲(宇多丸註:放送では「祝祭」と言っておりました。 お詫びして訂正しておきます)が高らかに鳴り響き……ここは本当に、音楽と映像のテンポだけでまずは生理的に感動させられてしまう、もう力技!っていう感じがありますけど。 そこで帆高くんがする、ある選択。 これ、「賛否両論分かれることを覚悟して……」と新海さんがおっしゃってますが、僕は全然、フィクションならでは、物語ならではの大風呂敷、 その志や良し! 全然いいと思いますし。 映画なんだから、こういう極端なカタストロフ的着地、全然素晴らしいと思います。 それはいいんです。 で、まあ最終的な結論は、要はひたすら若者たちの背中を優しく押してあげる方向、というかですね。 「たとえ世の中がめちゃくちゃになっちゃったとしても、きっとみんななんとかやっていきますし、君らはそのままで大丈夫!」。 あるいは、「人がどうこう、社会がどうこうじゃなくて、自分にとって大切なものの方に突き進んでいいんだよ! 多少それで大変なことになっても、結果なんとかなるから大丈夫だよ!」っていう風に、若者の背中を押してあげる感じ。 で、ラスト近くですね、その須賀さんという、オトナコドモ的な立場だった人の口を通じて、いったんセカイ系的な考えを批判的に相対化してみせた上で……「なにが世界を変えちゃっただ? そんなわけあるかい!」って相対化してみせた上で、「いや、世界のあり方っていうのは、僕が自分で決めるんだ!」っていう再宣言に至るという。 まあ、 セカイ系再宣言!みたいな感じに至るという。 まあここがミソなんでしょうけど。 ただですね、その須賀さんのセリフも、言い換えれば、 「いや、責任を感じなくていいよ」っていう風に、その帆高くんたちを「免罪する」ニュアンスもある。 その前の、倍賞美津子さんが声を当てているおばあさんのセリフも同様ですね。 (多くの罪なき犠牲を伴ったであろう主人公たちの選択を)免罪するっていう。 特に気になるのは、大人たちが許すのはまだいいんですけど、ヒロインの陽菜さん。 彼女がですね、結局その、いろんな業を1人で背負っちゃってるわけですけど、 彼女がひたすら帆高くんの行動を許し、その選択を受け入れていくことで、初めて成り立ってる話なわけですね。 ちょっとだから陽菜さんは、不自然なほど帆高を受け入れるし、許すんですよ。 あまつさえ、彼女がその犠牲を自ら払うことになっているのに、「いや、ありがとう」みたいなことまで言うんですよ。 「気にしないで。 むしろ、ありがとう」みたいな。 なんか すごく帆高くんに都合のいいことを、常に言ってくれる人になってるわけです。 で、最終的に、じゃあ逆に帆高くん自身は、なにを犠牲にして、なにをしたんだっけ?って考えると…… 実はなにも、っていう話にも見えちゃうんですよね。 非常に理想化された他者っていうのを置くんだけど、 それって<他者>なんですかね?っていう感じにもなる。 そういう結末の甘さというか、それがすごく僕は気になりました。 やっぱりここはですね、「社会との対立」っていうテーマが、その帆高くんがピストルを持ち歩いて発砲して……とかっていうところで、ずれちゃったことが最大の原因だと思います。 陽菜さんと選択したことと(社会とが)対立するのであれば、ここでもうちょっと、その対立と結果っていうのに対する帆高くんの責任っていうのが、もうちょっとはっきりしたと思うんですけど。 ある意味帆高くんっていうのは、 「ミスターひとり相撲」なんで。 そのミスターひとり相撲の行動に感情移入できるかどうかで大きく分かれるかな、という感じ。 ただもちろん、こういう風につくりたかった、っていうことがあるんでしょうけどね。 ということで、先ほども言いましたが、いま、この時期に劇場で見る……ジャッジはもちろんおまかせしますんで。 それがおすすめでございます! (CMあけ) はい、ねえ。 『天気の子』の聖地巡りとかもね、きっと楽しいでしょうね。 「歌舞伎町のマックの、あの席!」ってさ、できちゃうからね。 (来週の「ムービーウォッチメン」はお休み。 かわりに、『モテキ』『未来のミライ』などで衣装コーディネートを手がける スタイリストの伊賀大介さんに 「スタイリスト目線で選んだおすすめの映画」をご紹介頂きます。 ) 以上、「誰が映画を見張るのか?」。 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。 5MHz/AM954kHz、PCやスマートフォンはで。 聴き逃しはで一週間前まで、それより過去はで。 スマホの方はを使うとより快適にお聞き頂けます。

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『天気の子』とセカイ系、そしてビジネス中二病|宇野常寛|note

さる びあ 丸 天気 の 子

映画「君の名は。 」で異例の大ヒットを起こし、一躍時の人となった新海誠監督が3年ぶりに制作した新作「天気の子」。 君の名は。 を期待値MAXで観て、全然楽しめなかった勢の筆者ですが、ここまで盛り上がっている作品を見逃すわけにはいくまいと早速観てきました。 結論、君の名は。 よりも面白かったし、普通に良い作品だな、と思いました。 細かいところはやっぱり苦手でしたが。。。 作品の根底にあるメッセージに救われてしまった。 正直終盤までは「やっぱり全体的に苦手だな〜このまま終わる感じかな〜」と思っていましたが、 終盤に圭介が放った一言で評価がドカッと上がりました。 あの一言は本当目からうろこが落ちた。 今作を筆者なりに一言で表すなら 「迷える現代人への応援歌」です。 ということで、この記事では新海作品を「君の名は。 」しか観ていない上にあまり楽しめなかった勢の目線から「天気の子」の感想や考察を書いていきます。 天気の子の基本情報• 監督・原作・脚本:新海誠• 製作:市川南・川口典孝• 企画・プロデュース:川村元気• 音楽:RADWIMPS• 主題歌:RADWIMPS・三浦透子• 製作年:2019年• 製作国:日本• 配給:東宝• 上映時間:114分 2016年に異例のヒットを記録した「君の名は。 」の新海誠監督の3年ぶりとなるアニメーション映画新作。 今作も君の名は。 に引き続きRADWIMPSとタッグを組み、PV然とした演出が繰り広げられる! 天気の子のあらすじ 高校1年生の夏、帆高は離島から逃げ出して東京に行くが、暮らしに困ってうさんくさいオカルト雑誌のライターの仕事を見つける。 雨が降り続くある日、帆高は弟と二人で生活している陽菜という不思議な能力を持つ少女と出会う 出典: 「自惚れるな。 お前たちが世界の形を変えたなんて思い上がるんじゃねぇ。 もともと世界は狂っている」。 「天気の子」という作品はこの言葉と帆高の行動に全てが詰まっていたと思います。 「世界はもともと狂っている」。 あの言葉を聞いた時にすごくスカッとした自分がいました。 この言葉を聞いた時に天気の子という作品が伝えたかったことは 「もっと自分勝手に生きればええんやで」ということだったんだなぁと確信しました。 この点にいい意味で新海誠さんの開き直りを感じたんですよね。 筆者が君の名は。 を鑑賞した後に感じた印象は率直に言うと「溢れ出る童貞感」で。 さらに嫌味ったらしい言い方をすると「陰キャラが全力で男女のキラキラした物語を作った結果」が君の名は。 みたいな。 こういった理由で、めちゃくちゃ失礼なのは承知で新海さんはわりと陰キャ寄りの人だと推し量っていました。 全くもって身も蓋もない、カラッとした快晴の青空のようなメッセージ。 「世界は狂っている」という言葉を聞いたとき「新海さんがこんなことを言わせるとは…!」と衝撃を受けました。 改めてクライマックスシーンをを振り返ると、主人公の帆高はヒロインの陽菜を救うために世界の崩壊を選びました(これ自体がミスリードの可能性もあり、それも巧い)。 崩壊した世界を目の当たりにした帆高は自身の選択に少なからず後悔の念を感じている。 その帆高に向かって圭介が言うわけですね。 「世界はもともと狂っている」と。 しかし、陽菜と再開できた時に彼が紡いだ言葉は「大丈夫だ!」でした。 大丈夫なんですよ。 自分にとっての大丈夫を探して、生きていればそれでいいんです。 世界の変化を受け入れて、その中で毅然と、自由に好きに生きていけばそれでいい。 息苦しさは自分で壊せる。 天気の子は今に息苦しさを感じる現代人への、彼なりの応援歌でした。 君の名は。 と似ているようで異なる構図 物語の大筋だけみたらもうほとんど君の名は。 と同じなんですよねこれ。 セカイ系というやつですね。 それでも天気の子と君の名は。 は決定的に違うポイントがあって、個人的にはそれも好印象でした。 というのも天気の子はどこまでも主人公の自分本位に物語が進んでいくんですよね。 自ら選択して、答えを掴み取っていく。 主人公がヒロインを取り戻すために、そのために全てを投げ出して突き進んでいく。 その選択がたとえ世界のバランスを壊すものだったとしても。 一方で君の名は。 は世界を救う物語だった。 世界を救うために奔走した。 愛を犠牲にしても。 天気の子はどこまでも自己中心的で青くて、「なんだこのクソガキは」みたいに感じる人もいたかもしれません。 筆者もあの言葉がなければそう思っていたかもしれない。 でもあの言葉が拓いてくれた。 君の名は。 は偶然に身を任せてその中での最適解を選びにいったけど、天気の子は自ら選び取りに行ったのがよかったですね。 「世界はもともと狂っていた」。 だから自分勝手にやればいい。 どうしようもないくらい身も蓋もなくて、でも核心を突いていた言葉だと思う。 これまでセカイ系のプロットで主流だったのは「セカイもあなたもどちらも救う」でしたが、天気の子はその流れをぶった切り、この上なく現代に適ったアンサーを出してきたように感じました。 RADWIMPSとのコラボは無理やり入れなくていいでしょ感しかないけど、主題歌はよかった RADWIMPSと新たに加わった女性Voの挿入歌は「タイミングそこ!?」みたいなところが多くて失笑だったけど、主題歌の「愛にできることはなにかあるかい」だけはすごく良かった。 「愛が語られ尽くしたこの世界で何ができるのか」。 今まで恋愛をテーマにした作品を作ってきた人間が主題歌でそれを語らせる。 並々ならぬ思いがあったと思います。 それでも「まだできることはある」という表明がかっこよかった。 他の曲の記憶はまったくありません。 なんか多かったのは覚えている。 とはいえ薄ら寒い演出は健在だしきつい部分はある それでもやっぱり全体的なトーンは苦手。 女性性を意識させる演出は気持ち悪いし、歌とともに生活を早回しで描いていくのは「それわざわざ映画でやることか」と思うし、説明口調が多いくせに重要な点についてはそこまで触れないところとか……。 どこか違和感があるんですけどこれはもう相性ですね多分。 仕方ない。 そんでもってなんやかんやで恋愛を神格化しているような感じは否めず。 今どき「どこ見てんのよ!」とかやる?「陽菜さんを見ていた」という言葉とリンクさせたかったのだろうけどそれにしても寒い。 全体の情景とか花火のアニメーションはすごく綺麗でそれはすごい。 素直にすごい。 新宿で見れば鑑賞後にすぐに聖地巡礼できるコスパも最高。 天気の子の考察・疑問点・君の名は。 との関係 天気の子の考察と疑問点など。 異常気象は本当に陽菜のせいだったのか 天気の子においてとても重要な論点がこれだと思っていて。 筆者は「どちらとも言えない」という解釈に落ち着きました。 100%彼女のせいにすることはできないって感じです。 意図的にそうしていると思う。 「そもそも現状が本当に異常気象なのか」• 「元々海だった東京を天気が元に戻そうとしている」• 「もともと世界は狂っている」 こういった言葉をもって、割と周到に彼女一人が原因ではないという理由が用意されているんですよね。 だからこそ好きに生きればいいというメッセージにもつながってくる。 ここらへんの話の組み立て方はすごくうまいなと思いました。 完全に推測だけども、今作は「もっと自由に好き勝手に生きてください」という伝えたいメッセージから逆算した結果、天気をテーマに選んだのでは?とも思っています。 良くも悪くも天気ほど我々の身近にあって、かつ不確実でご都合でなんとでも語れるお題はないから。 君の名は。 のキャラが割と主張してきた件 出ても瀧か三葉がチラッと出てくる程度だと思っていたんだけど、割とガッツリめにでてきて笑った。 以下登場シーンです。 瀧くんの登場シーン:お天気ビジネスのクライアント 天気ビジネスのクライアントとして登場。 三葉の祖母の立花富実の孫として登場します。 帆高と仲良くよろしくやっていてスイカまで出してくれました。 出演長かったです。 三葉の登場シーン:ルミネ新宿の店員 瀧くんと終わりかと思いきや、三葉も登場。 帆高が陽菜へのプレゼントを購入する時のルミネの店員役で登場しました。 帆高の「これ、喜んでくれますかね」という脳みそ空っぽの質問に対し、「喜んでくれるよ。 あんなに悩んで頑張って選んだんだから」。 と優しすぎる回答を返していました。 名札に「MITSUHA」と書いてありましたね。 話ずれるけど帆高くんはバカのひとつ覚えでYahoo知恵袋を使い続けるの何なの?馬鹿なの? 大人の都合ですかわかりました。 テッシーとサヤちんも登場していたらしいが見つけられず エンドロールで成田凌らの名前があったのでテッシーたちも登場していたっぽいですが、筆者は見つけられず。 見かけた方はラッキー! 花澤香菜さんはほぼ本名で登場 君の名は。 のキャラではありませんが。。 新海誠さんが大好きで毎作声優として出演している花澤香菜さん。 天気の子ではほぼ本名で出演していて草でした。 今作はイケメン弟に恋する園児の役でした。 ちなみに「君の名は。 」は で観られるので見返したくなった方はぜひ登録してみてね。 U-NEXTは 解約も簡単(3分くらいで完了します)なので「無料トライアル期間だけ使いたい」という方も気軽に使えますよ。 ファフロッキーズはなんだったのか:「その場にあるはずのないもの」が空から降ってくる現象 完全にウィキペディアからの引用ですが。 途中、水の形状をした魚が度々現れて、ファフロッキーズ現象という単語がでていましたが、あれは「その場にあるはずのないもの」が空から降ってくる現象のことを指すみたいです。 ファフロツキーズは、その場にあるはずのないものが無数に降り注ぐ現象を指す用語である。 飛行機からの散布や竜巻による飛来など原因が判明しているものを除き、「なぜ降ってきたのか分からない」ものを指す 出典: Wikipediaのページで「シンガポールで魚の雨が降った光景」が描かれた絵が掲載されていました。 帆高はなぜ家出していたのか 閉鎖感を感じたのはわかった。 でももう家族間の関係とかも少し掘り下げてほしかったなぁ……と思いました。 君の名は。 もそうだったけど、全体的にバックグラウンドの説明が弱いよね。 帆高の顔の傷の意味 陽菜を取り戻そうと電車の車線を激走する帆高くんの顔の傷の位置が上京してくる時に絆創膏を貼っている位置と同じだったのはなにか意味があったのかしら(わからない)。 それにしてもすごいスタミナだった。 帆高が読んでいた本:なぜキャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)なのか 明らかに意識して「ほらここ!帆高が読んでいるのはキャッチャー・イン・ザ・ライだよ!!」とこれみよがしにアピールしてきてたけど、意味はわかりませんでした。 この本です。 割と有名なやつですよね。 副題(英題)のダブルミーニングは見事 今作の副題は「Wheathering with you」。 直感で「天気やな」と理解できますが、 weatherの意味を調べてみると巧妙なダブルミーニングが仕込まれていることがわかります。 というのもweatherは名詞では天気という意味ですが、動詞の意味にすると• 〈…を〉風雨にあてる,外気にさらす; 干す. 〈あらし・困難などを〉切り抜ける,しのぐ. 出典: という意味もあるんですね。 この中の2「(困難などを)切り抜ける」という意味が天気の子の物語にもバッチリはまると思いませんか? 困難を切り抜けて、陽菜を救い、そして変わってしまった世界を受け入れて陽菜と生きていくことを選択する(with you)。 weatherという言葉に動詞的用法があったのも驚きでしたが、まさかこんなダブルミーニングが仕込まれているとは。 これはオサレと言わざるを得ません。 上手い。 続いてサブタイトルとなった「Weathering With You」について、新海は「『Weather』という気象を表す言葉を使いたくて。 これには嵐とか風雪とか、何か困難を乗り越えるという意味も含まれるんです。 映画は何か大きなものを乗り越える物語でもあるので付けました」と語った。 出典: こちらの記事で監督自ら言及されてました。 が苦手な筆者でも楽しめた 「君の名は」。 と比べてんばかりでしたが、いい意味で前作から吹っ切れているように感じて好感がもてました。 いわゆる「世界かあなたかどちらを取るか」的な物語はたくさんありますが、 世界を犠牲にするという選択をとった時点で珍しいし、その上で「世界はすでに狂っているのであなたの選択がおかしいわけではない」。 だから自らの意志で選べばいいというアプローチで選択を正当化するのはとても現代社会に適っていると思いました。 なにを信じて、なにを選べばいいのかわからないこの時代で、自ら選択して選び取っていく。 それはとても難しいこと。 迷ったらこうやって考えればいい。 「世界はもともと狂っている」。 天気の子は新海誠監督からの、迷える我々へのエールでした。 今作では家出の理由や陽菜の家庭状況等、描写不足過ぎる部分が数え切れぬほど存在しています。 もちろん主人公(社会を知らぬ子)と須賀(社会を知り、常識に囚われた者)との対比なり、伝えようとしていることはしっかりと存在してはいました。 ただ矛盾や突っ込みどころ、また物語の緩急に描写の丁寧さを見れば『君の名は』の方がはるかに出来はよく、完成しているというのが実際の所です。 あなた様の書かれた全文を読まして頂いたところ、矛盾点や描写不足等には気づいているものの評価は今作が上となっており、また評価している点の理由が余りにも自己による感情からです。 それらを踏まえ、あなた様は物語やテーマを見ようとしているのではなく、単純に自身にかけて貰いたい言葉や、自身の現状を肯定するようなモノを見たいだけに思えました。 君の名は。 も天気の子もどっちも好きな立場(わずかに天気の子)で言わせてもらうと、君の名は。 の方が矛盾や突っ込みどころは多かったですよ。 そもそも新海監督に緻密な世界観を求めるところがナンセンスだと思っていて、そう言った矛盾や突っ込みどころが些末に見えるくらいの演出力が新海監督のウリだと思っています。 天気の子で言えば、最後のシーン。 元に戻っただけ、最初から狂ってる、そんな言い訳で観客を納得させようとしてるのかと思いきや、全部ぶん投げて「全部自分で選んだんだ!」と主人公とヒロインに責任を背負わせた演出は神懸かってますね。 ブログ主さんの言う通り、自分たちで選んだからこそ心揺さぶられるものがあるのだなと。 なんで自分が天気の子の方が面白いと思ったのかこのブログを読んでわかった気がします。 そうなんでしょうか……。 かなり決定的な部分でズレてるんじゃないかなって思っちゃいました。 私の解釈は違います。 帆高は東京水没後、すぐに田舎に戻っています。 ですから東京の惨状と陽菜が(おそらく毎日)祈っている光景を目の当たりにしたわけではないのでしょう。 だから、確信が持てなかった。 「世界はもともと狂ってる」 その言葉に引き寄せられてしまうほどに、自らの選択が一体どういうことなのか理解していなかった。 ラストシーンで、帆高は「そうなのかな……世界がもともと狂っていたのかな……」と思いつつ歩いていきます。 ですが、ついに水没した東京を前に祈っていた陽菜を目の当たりにして彼は確かこう言ったと思います。 「違う! あの日、僕たちは世界を変えたんだ。 僕は選んだんだ! あの人を! この世界を! ここで生きて行くことを!」 世界がもともと狂っていたんじゃなくて、僕たちが選んだ。 この破壊を。 この結末を。 それを一人で背負わせた。 何よりも最愛な彼女に。 だから今度は僕も背負いたい。 大丈夫だと言いたい。 これがラストシーンの彼の気持ちだと思います。 ここで、Radの『大丈夫』の歌詞が活きてくるのだと思います。 「世界が君の小さな肩に乗っているのが僕にだけは見えて泣き出しそうでいると、大丈夫?ってさ、君が言うからさ、大丈夫って僕は慌てて言うけど、なんでそんなこと言うんだよ。 崩れそうなのは君なのに」 「君の大丈夫になりたい」 世界を決定的に変えてしまった。 それを二人で背負って生きていこう。 Weatheringとはきっとこういうことなのだろうと。 「世界はもともと狂っていた」なんて大人の飲み会での愚痴みたいなこと、彼は受け入れません。 そういう老婆心を蹴飛ばすところに、若者の感性があるんだと思います。 正直帆高の東京を水没させたことに対する鈍感さには少し思うところがあるのですが、それでも『世界の調和をたとえ乱して、世界中から背を向けられても、それでも二人で生きていこう』とい帆高の決意には、胸を動かされました。

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