カミュ 妹。 【ドラクエ11S】カミュの最強装備まとめ!武器別ダメージ比較付き【クリア後】

【DQ11 ネタバレ】マヤかわいい&カミュが仲間である必然性が低く感じる【ドラクエ11】

カミュ 妹

もくじ• 今まで家に閉じこもっていた町の人たちにも話が聞けるようです。 まずは大本命の魔女リーズレットあたりから聞きに行ってみますかねー。 やぁ、エッケハルト久しぶり。 黄金病はただの病気にあらず、か。 魔王がらみのニオイがぷんぷんします。 クレイモラン城の地下牢に来てました。 が、これまた凄いところに閉じ込められているな、リーズレット・・・w なにこれ?鳥籠か?w リーズレットに話を聞くと、やはり今回の件とは無関係っぽい。 そして何やら 裏で動く強大な何者かの魔力を感じるとのこと。 次は城下町にて集めますか~ 黄金病 感染 さっそく、城下町で情報収集を始めましょう。 い、いきなり黄金病に感染してしまった人を目の当たりにしてしまいました。 怖っ!w え?これって何の前触れもなくいきなり黄金化するんですか?? いや、そりゃ怖いよこれ・・・。 町の人たちもビビるわw そして、その 黄金化を見てカミュにも変化が。 カミュのことを知っている? 黄金病の騒ぎに駆けつけてきた神父さんが、カミュをみて反応しました。 ここの出身だった、ということでしょうか? 教会にて詳しく説明してくれるそうなので、着いて行ってみましょう。 バ、バイキング!!?? さっそく教会に伺ったところ、カミュの出生のヒミツについて説明してもらいました。 神父さんによると カミュは幼い頃、妹と共にバイキングに拾われ育てられたようです。 元々このクレイモランはバイキングと交流があったらしく、そこで見かけたようですね。 ただ5年前、 カミュの妹さんが亡くなったらしくそれ以来クレイモランでは見かけなくなったそうな。 ということは、その後盗賊家業を始めた感じですかねー? と・・・。 さすがに1人は心配ですし、カミュを追いかけますかー 神父さんも後から来てくれるようです。 では、カミュ探しにレッツゴ~~ 町の探索とカミュ探し カミュを探すついでに町の人とも会話ができるようになっているみたいなので、一通り回っておきますか。 贖罪というと「犠牲や代償を払って犯した罪をあがなう」という意味がありますが・・・ なんだろう?黄金を作って誰かが何かをあがなっているのか・・・?? ・・・分からんw おっと、これはクエストか?? 武器防具屋の2階にいた少女リリーに話しかけると クエスト「渡せなかった卒業証書」が進みました。 確か メダル女学園で受けたクエストでしたね。 なるほど、こういう結末でしたか・・・。 後は報告しに帰ればいいだけみたいなので、キリがいいところでメダ女に行っておきます。 裏門から、海を見下ろせる高台の方へ行ったらしいです。 早まって飛び降りたッ・・・といったことは無かったみたいです。 ・・・話しかけてみましょう。 黄金兵 襲来 よーし、しっかりと話を聞いてあげないとですね! ここは、こみゅにけーしょんのたちゅじんであるワタシがベシっと聞きたいと思います! ふむふむ。 なるほどなるほど。 ダイジョブ、ダイジョブ。 と、なんだー?? せっかく人がカッコ良く話を聞いているときに!? 町からの悲鳴みたいでしたが? 金ピカ軍団・・・ですね。 ・・・。 早く!町に戻らないと! ちょっと町から離れたすきに、なんてタイミング! というか、黄金化の犯人はコイツらか? と、今度はカミュが頭痛そうに倒れ込んでしまいました。 さっきの金ピカ軍団を見て気分が悪くなったようですが? 知り合いなんですかね?あの金ピカたちと。 派手な知り合いだー お、いいタイミングで神父さんが来てくれました。 どうやらカミュを見ておいてくれるそうです。 カミュは神父さんに任せて、我々は金ピカ軍団を退治しに行きましょう! 黄金兵戦 おりゃあああ! グレイグとマルティナが攻撃、主人公とロウが回復兼攻撃の盤石パーティです! ・・・が? どうやら、見かけだけの雑魚戦っぽいのでパパッと進めます!(ドーーンw) ドカーン!! ベシーン!!! ザクーン!! Win!! さらわれたカミュ よしッ!やっつけました! さあ、黄金のおばあちゃん像を取り返して・・・ ・・・て! あああああ!!! いつの間にか、運んでる! やられた!さっきの戦闘は陽動だったか!? お、追いかけないとッ! げーー!もう船に乗り込んでる! なんて逃げ足の早い・・・ ・・・あ。 ・・・。 え、えーと・・・? カミュが・・・ さらわれてしまいましたとさ。 そんな特徴的なこと言ってましたっけ? 戦う前に 「ヤイサホー!」っていってましたが、これかな? ああ、なるほど! バイキングか! それならカミュを連れてった理由もわかりますし、いろいろ繋がりますね! ・・・。 船で行けば、クレイモランからすぐ着きますし。 ということで、 バイキングアジトへレッツゴー! バイキングのアジトへ ということで着きました、 バイキングのアジトです。 先ほども言いましたが、ここには1度クエストで来てるんですよね。 そんなに広い場所では無いですし、さっそく奥へ行ってみましょう。 さて、ここがその奥への扉なんですが、 ・・・行きますか! と、本当にいましたね、金ピカ軍団。 向こうはやる気まんまんのようですね。 仕方ない、少しお相手しましょうか。 といっても、所詮は先ほどと同じメンツの雑魚。 少々数が増えたところで変わりません。 バイキングのアジトを抜けると雪原に出ました。 もしかして、ここに住んでいたのか? ・・・。 入ってみましょう。 そして、やはりココ、家みたいになっています。 カミュはここで暮らしていたってことですかね。 カミュ? ・・・。 もしかして、ここで何かあったのか・・・? ただ自分の家に帰ってきた、って反応じゃ無さそうですが。 プライベートにズケズケと入り込むようで悪いですが、これもカミュのため。 大樹の根を使って過去を見てみますか。 さあ、ここで何が起こった! 根よ、過去を見せてくれ! カミュの過去 神父さんの話でもありましたが、カミュは昔バイキングに拾われて育てられたようです。 その待遇は酷かったようでバイキングの一味、というより下僕みたいな扱いのようでした。 性格は男勝りな感じでしょうか? かなり気が強そうな子だったみたいです。 後、可愛いです  ̄¬ ̄ 衝突はあったみたいですが、かなり 仲の良さそうな兄妹でした。 大変な生活だったでしょうけど、もしかしたら 幸せだったのかもしれませんね。 そんな、苦しい中でも幸せだった兄妹に 転機が生まれます。 これで2人の生活が一転し大金持ちに・・・! なるはずでした・・・ そこで事件が・・・起きてしまいます。 身に付けた者に次から次へと金銀財宝をもたらし幸せにする。 そういわれているアイテムでした。 これが、ここで起こった真実。 カミュが封印していた過去・・・ ・・・だった。 だよね・・・ カミュ。 贖罪か・・・。 一時はどうなることかと思いましたが・・・ やっと来たな・・・ お帰り、相棒ッ! そして、次なる目的も・・・ もう決まってますよね! そう! マヤちゃん奪還!! ということで、行きましょう! キラゴルド退治だ!!!.

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【ドラクエ11S】カミュの最強装備まとめ!武器別ダメージ比較付き【クリア後】

カミュ 妹

1957年 誕生 1913-11-07 ・モンドヴィ 死没 1960-01-04 (46歳) ・ヴィルブルヴァン 職業 、 、 国籍 活動期間 1935年 - 1960年 主題 、、、、、 代表作 『』(1942年) 『』(1942年) 『』(1944年) 『』(1947年) 『転落』(1956年) 主な受賞歴 () デビュー作 『裏と表』(1935年、エッセイ) 配偶者 シモーヌ・イエ フランシーヌ・フォール 親族 (大甥) 受賞者 受賞年: 受賞部門: 受賞理由:「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して」 アルベール・カミュ(Albert Camus、 フランス語: 、 - )は、の、、。 中に刊行された小説『』、エッセイ『』などで「」の哲学を打ち出して注目され 、戦後はレジスタンスにおける戦闘的なジャーナリストとして活躍した。 また『』『』などを上演し、劇作家としても活動した。 戦後に発表した小説『』はベストセラーとなり、エッセイ『 (、)』において左翼全体主義を批判し、反響を呼んだ。 小説『転落』発表の翌年、、史上2番目の若さでを受賞した。 1960年、交通事故により急死し、未完に残された小説『最初の人間』が1994年に刊行された。 カミュの著作は「」という概念によって特徴付けられている。 カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれる。 そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとされる。 カミュの文学的営為は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との闘いだった。 それに対して、彼は一貫してキリスト教や左翼革命思想のような上位審級を拒否し、超越的価値に依存することなく、人間の地平にとどまって生の意味を探しもとめた。 彼は「父」としての「神」も、その代理人としての「歴史」も拒否した。 カミュは何よりも時代の妥協しない証言者であった。 彼は絶えずあらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義と対立した。 ソビエト全体主義に対する批判は、彼をコミュニストたちと対立させ、サルトルと絶交するに至った。 彼の著作のヒューマニズムは、歴史の最悪の時期における経験のなかで鍛えられたものであり、この意味で、彼は20世紀のもっとも高いモラルを体現した人物のひとりである。 日本で活動するのは従孫(兄の孫)にあたる。 生涯 [ ] 形成期 [ ] 、のモンドヴィ(現)近郊に生まれる。 父リュシアン・オーギュスト・カミュは、農場労働者であったが、19世紀初め彼の祖父がフランスからアルジェリアに渡ってきた。 父リュシアンはの大家族の娘であるカトリーヌ・サンテスと結婚、リュシアンとカミュの二人の息子をもうけている。 しかしカミュが生まれた翌年、この父はで戦死した。 以後母と2人の息子は市内のベルクール地区にある母の実家に身を寄せた。 この家には祖母のほかに叔父が一人同居していたが、のあった母親も含め、読み書きできるものは一人もいなかった。 カミュはこの家で、貧しくはあったが地中海の自然に恵まれた幼少期を過ごした。 に公立小学校に入学。 貧しいサンテス家ではもともと高等学校へ進学する希望はなかったが、この学校の教諭ルイ=ジェルマンはカミュの才能を見抜いて彼の家族を説得し、おかげでに、を受けながらアルジェの高等中学校=ビジョーに進学することができた(カミュは彼から受けた恩を生涯忘れず、ノーベル賞記念講演の出版の際に「ルイ=ジェルマン先生へ」との献辞を添えている)。 リセ時代のカミュはに打ち込み、ときにアルバイトなどしながらも比較的優秀な成績を取っている。 しかしよりの徴候が現れやがて、病院を退院後もしばらく叔父の家で療養生活を送った。 この結核は以後生涯を通じてカミュの健康をおびやかすことになる。 またリセ時代にカミュはリセの教員 ()と出会っており、彼の著書『孤島』や ()の『苦悩』などに触発されながら文学への志望を固めていった。 グルニエとは卒業後も書簡を通じて交流を保ち、のちにグルニエは『回想 アルベール・カミュ』を著している。 、に合格し文学部に入学、在学中の、カミュはの娘であったシモーヌ・イエと学生結婚するが、これをきっかけに結婚に反対していた叔父と疎遠になり、カミュはアルバイトやイエの母親からの支援を受けながら学生生活を続けた。 しかし奇矯で派手好きなシモーヌとの生活はやがて破綻し、後に離婚にいたることになる。 カミュはにグルニエの勧めもあってに入党している。 カミュはの思想自体にはそれほど共感を寄せていなかったが(ももほとんど読んでいなかった)、党の文化活動の一環として劇団「労働座」の創設に関わり、の『侮蔑の時代』を翻案し舞台にあげるなどした。 しかし党幹部と活動家たちとの間で板ばさみになり、最終的に党から除名処分を受けている。 ジャーナリズムと創作 [ ] 5月、学位論文「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」を提出しアルジェ大学を卒業。 5月には処女作となるエッセイ集『裏と表』を出版するが、生活の安定のため12月からアルジェ大学付属の気象学・地球物理学研究所でデータ整理の職に就く。 、パスカル・ピアに誘われ人民戦線寄りの新聞『アルジェ・レピュブリカン』(のち夕刊紙『ソワール・レピュブリカン』となる)の記者となり、冤罪事件や植民地経営の不正を暴く記事を書いた。 平行して『』の原型となった小説『』を書き上げるが、これは完成度に不満があったため出版を見合わせている。 、第二次世界大戦の開始にともない徴兵を志願するも、健康上の理由で拒否される。 戦争開始前後より、カミュは『ソワール・レピュブリカン』紙上で、当局の厳しいを受けながらでを唱え続けており、、このために同紙は発行停止処分となった。 同紙から責任を問われ解雇されたカミュは、しかしまたもパスカル・ピアの助力で『パリ・ソワール』紙の編集部に雇われ、ここで印刷関係の仕事をしつつ、その傍らでをテーマにした三部作『』『』『』を書き進めていった。 、によりパリが占領されると、『パリ・ソワール』紙編集部の移動に伴って自由地区のクレルモン・フェラン、ついでリヨンへと移り、占領体制下の1940年12月に同地にて出身の女性フランシーヌ・フォールとの婚姻届を提出した。 しかし物資の不足と読者の減少から『パリ・ソワール』紙でも人員整理が進み、失業したカミュは妻の実家のある北アフリカのオランに一時身を寄せた。 この地で前述の三部作を完成、さらに『ペスト』の執筆に着手するが、に喀血し、療養のため夫妻でフランス自由地区シャンボン・シュール・リニョン付近の小村ル・パヌリエに移る。 そして6月に小説『異邦人』、12月にエッセイ『シーシュポスの神話』を刊行した。 からは非合法誌『コンバ(戦闘)』の発行に関わり、また占領下のパリで、らとも知り合い親交を深めている。 8月の後は、それまで地下発行であった『コンバ』を公刊し同紙の編集長となった。 なお同紙でカミュは対独協力派()に対しては厳しい姿勢を取り、極刑もやむなしという意見を示し、寛容派のと対立したが、後に自説を修正し死刑には反対するようになる。 終戦前後にはまた『』『』が上演され、にはアメリカのに招かれて講演を行い、現代に蔓延する物質崇拝に警鐘を鳴らした。 同年、の企画審査委員会のポストにつき、ここで当時無名だったを発見し、彼女の叢書を企画、「永久反抗論」に影響を受ける。 、極限状態での市民の連帯を描いた小説『』を刊行、復興期のフランス社会で幅広い読者を得てその文名を高めた。 しかし、に刊行されたエッセイ『 (、)』は毀誉褒貶を受け、特にサルトルは一切の政治的暴力を斥けるその「反抗」の論理を、へと踏み出さない曖昧な態度だとして徹底的に批判した()。 さらにカミュは故郷で起こったに対しても、フランスとアラブの共同体という考えを捨てきれずに曖昧な態度を取って批判を受け、これらによってフランスでの彼は次第に孤立を深めていった。 ノーベル賞とその死 [ ] 、現代人の二重性と罪の意識をテーマにした中編『』を発表、翌年6篇からなる短編集『』を発表した。 同年、彼の「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して」 が贈られた。 当時カミュは43歳であり、これは戦後では最年少の受賞である(史上最年少は)。 しかしをめぐる政治的態度やサルトルとの論争で左右両翼やアラブ人からも非難を浴びていたカミュへの授賞に対し、当時のフランスは冷淡だった。 カミュの墓 受賞後、カミュは地方の田園地帯に家を構え、しばしばパリとの間を往復する生活を送っていた。 1960年、友人ミシェル・ガリマール(の甥)が運転する自動車()でパリに向かう途中、 ()において立ち木に衝突、のカミュは即死、ガリマールも手術中に死亡した。 しかし、後部座席に同乗していたガリマールの妻子は怪我だけで済んだ。 当時の報道 では、スピード超過(時速約180km)や、運転していたガリマールのの発作(走行中の並木模様によって引き起こされたとされる)、それにいっそう可能性が高いものとしてのが指摘されているが、イタリアの大学人であるジョヴァンニ・カテッリ(Giovanni Catelli)は、2011年に『』で「によって暗殺された」という説を発表した。 これは、カミュが『Franc-Tireurs』紙(1957年3月)で発表した記事において、1956年のソ連軍による弾圧で、ソ連外相を非難したことから、シュピーロフがKGBに暗殺指令を出したというものである。 作家のルネ・エチアンブルは「ずっと調査してきて、このファセル・ヴェガが棺であったという証拠を握っているが、私の記事を公表したいという新聞は探したものの見つからなかった」と発言している。 執筆中であった自伝的小説『最初の人間』は未完となった。 思想 [ ] カミュはその思想的な近さからに数えられることがしばしばあるが、カミュ自身は実存主義との関係をはっきり否定していた。 『』の中でも、、ら実存主義哲学者の名を挙げ、その思想が不条理から発していながら最終的に不条理の世界から飛躍し、理性の否定へと向かってしまう「哲学上の自殺」だとして批判している。 カミュによれば、「(absurde)」という感情は単にあるものの感覚や印象の検討から生じるものではなく、馬鹿げた計画と明白な現実との比較、理に合わない結果と当然予想される結果との比較というように、「事実としてのある状態と、ある種の現実との比較から、ある行動とそれを超える世界との比較から噴出してくる」ものであり、したがってそれは人間のなかにあるものでも世界にあるものでもなく「両者の共存のなかにあるもの」「両者を結ぶ唯一のきずな」である。 そしてカミュはを不条理な運命を見つめない態度として退け、逆に不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度を「反抗」と言い表し、それが生を価値あるものにするものだとして称揚している。 『 (、)』でカミュはこの「反抗」に対する考察をさらに深めていく。 「反抗」とは、例えば長く虐げられてきた奴隷が突然主人に対して「否(ノン)」を突きつける態度である。 このときこの「否」には、「これ以上は許すことができない」という境界線の存在が含意されている。 つまり境界線の外側のものを「否」として退け、内にあるものを「諾(ウイ)」として守ろうとすることであり、言い換えれば自分の中にある価値に対する意識である。 そして不条理の体験が個人的な苦悩に終わるのに対して、他者に対する圧迫を見ることからも起こりうる反抗は超個人的なものであり、そこから連帯が生まれる。 また『反抗的人間』ではかなりのページを割いてを中心とした歴史の記述に当てられており、そこでは「無垢への郷愁」であるところの反抗から起こったあらゆる革命が必然的に自由を縛る恐怖政治と全体主義へと変貌していく様子が考察される。 しかし革命に必要な政治的暴力を批判するカミュのこのような態度は、上述のように(でもある)サルトルとの間の論争を呼び起こすことになった()。 論争の直接のきっかけはフランシス・ジャンソンがサルトルの雑誌『レ・タン・モデルヌ(近代)』に『反抗的人間』に対する批判的書評を載せたことで、これに対してカミュがサルトル宛に反論、さらにジャンソンとサルトルが反論するという形で起こったが、ここでサルトルはカミュの思想を曖昧な態度と見なし、彼がに陥り「美徳の暴力をふるっている 」として徹底的に批判している。 この論争ではカミュの文章が文学的な曖昧さを持つこともあり、論理の明晰さにおいてサルトルのほうが優勢なのは明らかだが、カミュの思想もまた革命や党派性の限界を示すものとしてその意義を失っていないばかりか、左翼革命の幻想が潰えた今日ますます価値を高めている。 [ ] 作品一覧 [ ] 小説 [ ]• 1947年 - 『』( La Peste)• 1956年 - 『』( La Chute)• 1957年 - 『』( L'Exil et le Royaume)- 短編集• 1971年 - 『』( La Mort heureuse)-『異邦人』の初期草稿で、1936年から1938年にかけて執筆された。 大筋は完成していたが放棄され、カミュの死後に刊行された。 1994年 - 『』( Le Premier Homme)- 1950年代半ばに構想し、1959年から執筆を開始したが、翌1960年にカミュが交通事故により早世したため未完に終わった遺作。 戯曲 [ ]• 1944年• 『』( Caligula)• 『』( Le Malentendu)• 1949年 - 『』( Les Justes)• 1953年• 『精霊たち』( Les Esprits)- 16世紀の劇作家作のの翻案。 1956年 - 『尼僧への鎮魂歌』( Requiem pour une nonne)- 作の小説の翻案。 1957年 - 『オルメドの騎士』( Le Chevalier d'Olmedo)- 16-17世紀スペインの劇作家作の戯曲の翻訳。 エッセイ、評論など [ ]• 1937年 - 『裏と表』( L'Envers et l'Endroit)• 1939年 - 『結婚』( Noces)• 1942年 - 『』( Le Mythe de Sisyphe)• ・編『カミュ全集』全10巻、、1972-73年• 第1巻:アストゥリアスの反乱・裏と表・結婚(「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」所収)• 第2巻:異邦人・シーシュポスの神話• 第3巻:カリギュラ・誤解・ドイツ人の友への手紙• 第4巻:ペスト• 第5巻:戒厳令・正義の人びと• 第6巻:反抗的人間• 第7巻:十字架への献身・精霊たち・夏• 第8巻:ある臨床例・転落• 第10巻:追放と王国・悪霊• 全集所収作品以外の邦訳• 『アメリカ・南米紀行』( Journaux de voyage、1978年没後出版)高畠正明訳、新潮社、1979年• 『カミュの手帖 1935-1959』( Les Cahiers Albert Camus、1962年以降没後出版)訳、新潮社()1992年• 『幸福な死』高畠正明訳、新潮社(新潮文庫)新版2004年• 『最初の人間』大久保敏彦訳、新潮社(新潮文庫)2012年 脚注 [ ] []• 2017年1月30日閲覧。 2014年2月13日閲覧。 、117-118頁• Nobelprize. org. 2011年2月10日閲覧。 『アルベール・カミュ』223頁• 2020年4月15日閲覧。 Le Figaro. 2011年8月8日. 2020年4月15日閲覧。 、75頁• 、56-57頁• 、96-97頁• 、17-18頁• 、20頁• 、94頁 参考文献 [ ]• 『アルベール=カミュ』清水書院〈Century books 人と思想 167〉、2000年2月。 アルベール・カミュ『反抗的人間』・訳、新潮社〈カミュ全集 6〉、1973年。 アルベール・カミュ『』訳、新潮社〈新潮文庫〉、1995年、改版。 アルベール・カミュ『』訳、新潮社〈新潮文庫〉、2006年9月、60刷改版。 カミュ、『』新潮社〈新潮文庫〉、2006年、改版。 『カミュを読むー評伝と全作品』大修館書店、2016年6月。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• フランス語• incipit of the Fall La Chute• in German• Conversations about Christianity• (英語) - 「アルベール・カミュ」の項目。

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カミュ(DQ11) (かみゅ)とは【ピクシブ百科事典】

カミュ 妹

カミュと妹・マヤのエピソードの概要 カミュは過去に妹のマヤと共に海賊に拾われ、その盗賊達のアジトで生活していました。 雪の中で凍えそうだったところを救われた形なようですが、両親について関してはわかりません。 ある日、カミュは妹に対して 金のペンダントをプレゼントします。 しかしながら、それはただのペンダントではなく、何と触れるものが全て黄金になってしまうという 呪いのペンダントだったのです。 欲張りなマヤは、手当たり次第色々なものに触れては黄金に変えていきます。 その後そんな調子の乗ったマヤに対してカミュが恫喝し、マヤもそれを聞き入れてネックレスを外そうとしますが、外れません。 そして マヤ自身が黄金になってしまいます。 目の前で黄金になってしまった妹・マヤに対して何もできず、自分のしたこと(呪いのペンダントをあげてしまったという事実)と自分の無力さにカミュは自暴自棄になってしまいました。 その記憶がとても辛いものであったために、カミュは一時的に 記憶喪失となります。 しかしその後、マヤは魔王にその心に抱く 欲望・絶望・孤独のエネルギーに目を付けられ、キラゴルドという全てを黄金に変えてしまう魔物に変身する力を得ます。 後に主人公達とカミュはキラゴルドを倒し、マヤも元に戻って一件落着するのですが・・・。 マヤとカミュの性格 マヤの性格は絵に描いたような我が儘 妹のマヤは顔は本当にかわいいのですが性格が完全にオラオラ系で、自分の呼称は「俺」でカミュのことを「クソ兄貴」とか呼んだり口は悪いし、金をくすねたりと素行がとにかく悪いです。 ハトのエピソードではカミュが 「翼があればいつだって自由に飛んでいけるのに」 と乙女チックな発言をしたのに対し 「それよりこいつ焼いたら美味そうだな」 返しています(笑) それでも実は優しいとか、良いところがある等であれば別ですが、はっきり言ってマヤは素行が悪いだけそういったところは感じられず、悪い部分ばかりが目に付きます。 たとえばハトを黄金に変えてそれを兄に自慢気に見せたり、キラゴルドとして兄と対峙した際に 「この世界の誰も、兄貴でさえ俺を救ってくれなかった」 「今まで俺をこき使ってた奴らをこき使ってやる」 と発言したり。 さすが魔王に目を付けられるだけあって、 被害妄想と恨み・妬みが強いタイプです。 確かに恵まれない環境で生きてきたのはわかりますが、完全に捻くれしまっていますね。 いくら辛かったとはいえ、それを支えようとどれだけ兄が想ってくれていたのか考えることができていないのが残念です。 カミュの妹に対する愛情と優しさ 一方でカミュは、そんな妹に対して常に本気の思いやりを持って接しています。 特に印象に残ったのは誕生日プレゼントをあげたシーンで、 「はあ?何このショボい首飾り。 俺を祝いたいならもっと頑張れよ」 と返したマヤに対しても呆れてはいますが特に何も言いませんでした。 普通だったらブチ切れるところなのではないでしょうか。 しかしその後 ハトを黄金にしたことに対しては本気でキレています。 命を粗末にしたことが許せなかったのでしょう。 自分はどう扱われても良いけど、人に迷惑を掛けたり他の動物を傷付けることは許さない。 そして自分のあげたプレゼントによってマヤが黄金になってしまったと苦しみ悩み、記憶喪失になるほどに自分を責める。 そもそも完全に善意からの行為であり、そこまで責任を感じる必要はないのですが、本当に優し過ぎるくらい優しい男ですよね。 もっとも、マヤを失った悲しみも当然あったでしょうが。 Sponsored Link マヤの本性は違う? そんなこれ以上ないほど優しい兄に対して、妹のマヤはその優しさを逆手に取って散々我が儘を言って甘えていたわけです。 偉そうにしてた海賊に対しても悪態を付いていましたが、マヤの他の言動を見るとむしろマヤの方が問題だったのではないかと思えてきます。 カミュが助けられなかったことに対し、今まで与えた恩義や愛情を全て棚に上げて「兄貴は助けてくれなかった」と拗ねるのはかなり残念な人なのではないかと思わざるを得ません。 さらに良心の呵責から記憶喪失にまでなったのに、その気持ちを考えないにもほどがあるのではないでしょうか。 もっとも、まだ子供なのでそこまで強く言うのは少し変かも知れませんが(笑) しかしながら、そんなろくでもない妹であってもカミュは最後まで見捨てず、命懸けで救おうとします。 キラゴルドの力が暴走し出して制御不能になった際、自らの責任としてマヤに止めを刺そうとしましたが、これも 「これ以上妹に罪を重ねて欲しくない」 という優しさからです。 ですが追い込まれると、マヤはカミュに対して本気で助けを求めます。 最初に黄金になったシーンでも、力が暴走して飲み込まれそうになったシーンでも、カミュを 「お兄ちゃん」 と呼びます。 結局、 マヤは兄のカミュを一番頼りにしているのです。 ほんと虫の良い奴ですが、さすがにそんな妹に対して止めを刺すことはできませんよね。 そしてこのシーンから、もう一つわかることがあります。 それは、マヤが男言葉を使って男っぽい性格になっていたのは、実はただ強がっていただけであり、自分の弱さを隠すためであったということです。 実はペンダントをもらったシーンでも、口では「こんなもんいらん」的なことを言っておきながら、カミュが見てないところで抱きしめています。 確かに、マヤの置かれた境遇を考えたら強がってないととても生きていないところもあったでしょう。 心に傷を負い、その傷と向き合わないための一つの手段であったわけですね。 恐らくカミュはそれをわかっていて、自分がマヤの精神的な支柱になってやらなければならない、と常に思っていたからこそ、どんなにマヤが我が儘であってもそれに対して決して怒らず、ただただ優しく接していたのだと思います。 そう考えると、カミュはどこまで妹想いなんだ、という印象を受けないでしょうか。 つまり、マヤは 気持ちよりも実際の力の方に魅力を感じたわけです。 わかり易く言えば 愛か金かで金の方を選んだということです。 もっとも、キラゴルドとなってからカミュと再び対面した際には、彼女の中で明らかな葛藤があったことが伺えますが。 つまり、マヤは心が弱いだけで決して悪い子ではないのです。 最後に このエピソードで、人間の深層心理とは何なのか、ということを考えさせられますね。 カミュはかなりイケイケな性格でときに口が悪いところもありますが、ああ見えて実は本当に優しい。 マヤも同じように一見イケイケではありますが、実は心に深い闇を抱えていてそれを隠すための手段としてそう振る舞っている。 カミュは自分が追い込まれても弱気になるようなことは決してないでしょう。 逆にマヤは完全に兄のカミュに依存しています。 つまり、表向きだけでは人間の本性はわからないのです。 自分の周囲の人もよくよく観察して、深い部分で何が起こっているのか、そういう視点で見ていくとより人を見る目が養われてくるのではないかと思いますね。

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